センパイたち



 ☆★☆




 キーボードを弾く指が、またつっかえる。耳につく不協和音が鳴って、絵美は力の無い溜め息をこぼす。たぶん、私、さっきから十回以上は同じ溜め息をついている。


「おおう。ちょい、休憩!」


 淳博が茶目っ気たっぷりに言って、休憩に入った。椅子に座って、楽譜を見つめたまま動かない絵美に、文代が話しかけてくる。


「大丈夫? 今日はもう帰る?」


 絵美は首を横に振る。ライブはもう明日で、今日が最後の合わせ練習だ。一番できていない自分にそんな時間の余裕なんかない。


「困ったな。ねえ、淳博」


「なんでごんすか」


「誰?」


 思わずクスッと笑ってしまう。竹田さんはすごい。裏声でそんなセリフは反則だ。


「あ、笑った。絵美ちゃんは笑ってる方が可愛いよ」


 文代に頬をつつかれ、絵美は俯いて顔を赤くする。


「いいな、面白そう。俺もやってみていい?」


「ダメ、これは遊び道具じゃありません」


「これ呼ばわりってひどくないですか?」


 ようやく出てきた絵美の言葉に、二人は爆笑する。自分も顔を歪ませて笑う。おかしいのやら、悲しいのやら、変な気分だ。


「よし、今だ。さっきのここ弾いてみて」


 唐突に、文代は楽譜の一箇所を指さした。絵美は慌てて鍵盤に指を乗せ、その場所を弾いていく。すると、どうしたことだろう。メロディーはつっかえることなく滑らかに流れていく。


「やっぱりね」


 弾き終えた絵美の頭をよしよしと撫でながら、文代が言う。


「前にさ、惜しいって言ったの、覚えてる? 絵美ちゃんね、感情が音に乗り過ぎるの」


「あ、なんとなく、わかります」


「うん。だから、気分の良いときはとってもリリカルな音をしてるし、間違いが続くと音まで引っ込んじゃう」


「それって、あんまり、良くないんじゃないですか?」


 文代が首を横に振り、淳博が「とんでもない」と言う。


「それは一朝一夕じゃ身に着かない長所だよ」


「淳博の言う通り。だから、絵美ちゃんの演奏ってとっても魅力的」


 今まであまり褒められたことはなかったのに、と絵美は思う。自分は何一つ上手くできないし、足を引っ張っているだけだと思い込んでいたのに。まさか、ここに来てこんなにべた褒めされるとは思っていなかった。ただただ、「ありがとうございます」と気恥ずかしく言う。


「それを伝えたら余計に考えちゃうかな、とか、今は技術的なことだけ言うべきかな、とか思って黙ってたけど。だから、うん、何があったかわからないけど、今だけでも楽しい気分でやってみようよ」


「そうそう。俺たちのこんな夫婦漫才くらいならいくらでも見せてやるから」


「誰が夫婦? ……でも、淳博とだったらいいかな」


「お、マジ?」


「バカ、冗談を真に受けない」


 がーん、と言って淳博は手で顔を抑え、女々しそうにすすり泣くそぶりを見せる。ダメだ、この二人、面白すぎる。


「あはっ、あははっ」


 自分の中から、笑い声が自然と湧き出てくる。そんな私を、二人はただ優しく見守ってくれる。



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