携帯電話



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 イヤホンから流れる、ピアノの、どこか内省的な響きが翔馬の胸を打つ。この前絵美と買ったCDの一曲だ。別の明るい、可愛らしい曲に惹かれて買ったものだが、こんな音楽も共存していたんだ、と妙に感心する。


 さっき、どうして、絵美とギクシャクしてしまったんだろう。どうして、絵美は泣いてしまったんだろう。


 何度も考えて、寝ないで一晩考えて、答えが浮かばなかった。途中、なぜか何度も澄香の姿が頭をよぎって、ダメだ、と振り払った。何が悪かった、と絵美に聞くような無粋な真似はもちろん出来ない。当てもなく、説得力のない意見を堂々巡りして、夜を流し、暁を越え、朝の日差しを迎えてしまった。


 混雑した心とは裏腹に、あくびが自然と出てしまう。寝れば、何か思い付くだろうか。窓の外に広がる黄色と青の混じり合う空を眺めて、わかんねえ、と呟いた。




 知恵熱か、慣れない徹夜をしたせいか。


 授業までの間に仮眠を取ろうとして、目を覚ますと、翔馬は体のだるさを感じていた。明らかに体からは熱を発していて、その熱は自分の周りにまとわりついて離れてくれない。


 頭がじん、じん、と痛む。ふらつきながら、体温計なかったかな、と押入れを開けた。押入れの一番手前に置いた小物入れを開けて、体温計を鷲掴みする。


 その直後、押入れの中の物が一斉に流れ出してきた。


 思わず声が出て、足に力が入らず、二、三歩後ろにふらついてからしりもちをついてしまった。尻の痛みに顔を歪めていると、足下にオレンジ色の巾着袋が落ちているのに気付く。昔、よく携帯ゲーム機を持ち運ぶのに使っていた物だ。なんでここにあるんだろう、と、何気なく拾い上げて中を開けた瞬間、目を見張った。


 高校二年生、時期的には野球部を辞める前まで使っていた黒い携帯だった。ご丁寧に充電器まで入っている。


 ビー玉といい、どこから紛れたんだろうか、と自分の適当さに呆れる。呆れながら、ぼんやりする頭で自然と手が動き、気付けば充電を始めていた。指は勝手に電源ボタンを長押しして、待ち受け画面が表示されると、即座にメールボックスを開く。


 フォルダ「澄香」には、未読メッセージが二十件ほど溜まっていた。


 謹慎処分を食らってから、見ることができなくなっていたメールだ。結局開くことができず、その後は携帯をキャリアごと変えていた。実家に眠らせていると思っていたのに、今、ここにある意味。


 躊躇は短かった。そのフォルダを開いて、順番に読もうと未読メールの一番下から開いた。


 最初の方はいつも通り、他愛のない日常を綴っていた。窓から見える花壇の白い紫陽花が目に眩しいこと、霧雨は水で薄めた白い絵の具を散らしているみたいだという発見、絵美や学校の友達が、同じ日に次々お見舞いに来てくれてビックリしたこと、などなど。


 次に開いたメールから、内容は一変した。




 翔ちゃんへ。


 やっぱり、私はもう長くはないみたいです。家に帰ってもいいと言われましたが、迷った末に入院を続けることにしました。お金は大変かもだけど、急に倒れたら逆に迷惑だもんね。


 入院中に、短いお話をいくつも書いていました。本当は絵本ですが、文章だけでも、今からちょっとずつ、翔ちゃんにメールしていきます。


 最後まで送れるかな。不安だけど、チューくんはアイツに送れよと急かし続けているので、きっと大丈夫でしょう。




 その次のメールからは、彼女のキャラクターが動き出していた。登場人物は、いつも通りチューくんとチューネちゃん。しかし、翔馬はその内容に信じられないような気持ちになっていた。




 あるときは、チューくんとチューネちゃんが水族館に行っていた。ジンベエザメを見て、そのスケールに驚いていた。




 またあるときは、チューくんとチューネちゃんが街の本屋さんを訪ねていた。お互いの欲しい本を見せあいっこしていた。




 また次のメールでは、チューくんとチューネちゃんが小さなカフェでディナーを楽しんでいた。チューくんは、ミートスパゲティーで口の周りを赤く染めて「美味しい」と喜んでいた。




「どういうことだよ……」


 メールはそこまでで終わっていた。深呼吸して、もう一度確認する。確かに、このメールを開いたことはなかったはずだ。もちろん他の方法で内容を知ることもなかった。


 偶然にしては、できすぎた偶然だ。何度も文面を読み返して、その度に心臓の鼓動が大きくなっていく。


 嫌な汗をかきながら、視界が徐々に霞んできていることに気が付いた。意識が遠のいていく。ヤバい、せめてベッドに戻らないと――。



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