ぶどうジュース
☆
絵美は、鞄の中に、紙パックの百パーセントぶどうジュースを見つけた。お昼に買ったのに、飲むのを忘れて入れっぱなしになっていた。
今日の昼、購買を出た後、絵美は翔馬の姿を学校で見かけていた。一人で歩いていたから声をかけようかと思ったけれど、彼はぼんやりと気の抜けたような様子で、結局声をかけられなかった。まるで、今まで何とかギリギリのところで保っていた気力を全て失ったかのようだった。
絵美はぶどうジュースにストローを挿す。甘さと少しの渋さが混じった味に、すーちゃんを思い出す。二百ミリリットルの紙パックを大事そうに包む、繊細な両手。
チューくんは、木のえだからまあるいぶどうをもぎとります。
ミキサーでぐるぐる、ぶどうジュースのできあがり。
あまくて、ちょっぴりにがいあきのあじ。そのあじは、ちょうどいいバランス。
チューネちゃんはおおよろこび。なんどもおかわりします。
ぶどうジュースはね、チューくんがいいます。
ぶどうジュースは、あまいのと、にがいのと、どっちかがつよすぎてもダメなんだ。
まだ小さい頃の、彼女の無邪気な言葉が別の意味を帯びてくる。渋すぎて、口がきゅうっとなって、心もきゅうっとなりそうで。
翔ちゃんは、すーちゃんに告白したんじゃないだろうか。
溜め込んできた思いを吐き出してしまって、だけど返事はもらえるはずもなくて、だから抜け殻のような気持ちになって。やっと言えたのに。やっと……。
思わず、ぶどうジュースを一気にストローで飲み干す。甘さはすぐに口の中で溶けて、苦さだけがどんどん蓄積されていく。
勝てないよ。すーちゃんは私より大人で、私よりずっと翔ちゃんと一緒にいた時間が長くて、今は永遠になってしまって。あの日、夕焼けを翔ちゃんと一緒に見たときから、私中では、諦めたくなる気持ちと、悔しい気持ちが混ざり合いながら徐々に膨らんでいる。
そしてその気配に気付く度に、私は困惑してしまう。負のオーラが漂い始めて嫌な自分が見えてしまうから、蓋をしたくなる。
やっぱり今も耐え切れなくて、机の上に置いていたアルバムに手を伸ばす。可愛いふわふわのうさぎが描かれた表紙を開くと、最初に目に飛び込んでくるのは四人の少年少女たち。子供会の遠足で遊園地に行ったとき、お昼ご飯を食べている写真だ。
お弁当箱を持ちながら、翔ちゃんも、すーちゃんも、誠も、そして私も、みんな笑っている。それは幼い笑顔で、心からの本当の笑顔。みんな、楽しさが体中から溢れている。
誠の言う通りだ、と思う。私たちはもう大学生で、確かに、この頃には戻れない。背が伸びて、それぞれの人生が分かれて、すーちゃんはもう笑ってくれなくて。
でも、変わらないことはちゃんとある。この表情のみんなが、翔ちゃんが、私は大好き。
そして、かつてそんな表情を教えてくれたのは、翔ちゃんだった。彼が私の中から見つけてくれたんだ。
私は、元々明るい性格じゃなかった。
一人っ子で、子供の頃は引っ込み思案だった。幼稚園に入っても、最初の頃は中々自分から友達を作れなかった。
だけど翔ちゃんは、公園の砂場で一人遊ぶ私を引っ張ってくれた。すーちゃんや誠もすぐに受け入れてくれた。そんな彼らといると楽しくて、彼らを、翔ちゃんを楽しませたくて、どんどん素直で無邪気な一面を出せるようになっていった。つまり今の私があるのは、みんなのおかげ。翔ちゃんのおかげ。
今、力になってあげないと。私の大事な人を支えてあげないと。
部屋の電気を消すと、窓に自分の弱々しい表情が映る。結んだ口、強張った頬、逃げようとする目。夜の窓ガラスは、いつだって自分の本当の姿を映し出してしまう。
それ以上見たくはないから、目を閉じ勢いよく窓を開けた。顔に夜風を受けながら夜空を見上げる。目をしっかりと開いて、明るい星の一つ一つに、当てもなく祈りを込めていく。
私の思いが、翔ちゃんに、ちゃんと伝わりますように――。
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