ガラス越しに笑って

倉海葉音

プロローグ

 引っ越しの段ボールの底に、なぜか青いビー玉があった。


 こんなもの、いつの間に紛れ込んだんだろうな。そう思いながら、翔馬しょうまは指でつまみ、目の前に掲げる。


 数時間前のこの場所には窓越しに差し込む朝日の陽だまりしかなかったのに、荷解きもほとんど終わって生活環境ができつつある。そうはいっても大型家具は週末に届くので、完成にはあともう少しかかるけれど。ビー玉でこの空間を透かせば、そんな部屋が青く映し出され、窓ガラスを通した昼の明かりできらりと輝く。これから、この部屋で新たな営みが始まる。


 ビー玉、ガラス。腰を下ろして、壁にもたれながら、呟いてみる。


 さて、ガラスと言えば何を思いますか?


 窓ガラス、車のフロントガラス、ビー玉、水晶玉、電球、ビールの瓶、鏡。そういう目で見てみれば、日常には、色んなガラスが溢れている。


 翔ちゃん。


 幻の声が聞こえた。そうだ。元々、この質問をしてきたのはアイツだった。小学六年生の自分は、たぶん給食の牛乳瓶とかどうでもいいことを答えたんだろうけど、アイツは確かこう言ったはずだ。


「私は、ガラスと言えば、ガラスのハートかな」


 あのとき、「なんであれってガラスなんだろうな、お皿のハートとか、土器のハートとかでもいいんじゃない」って言って、笑わせた記憶がある。「土器のハートなんて、なんか嫌だな」と笑いながら、アイツはこう言った。


「ガラスは割れやすいでしょ。しかも、表も裏も透明で一緒。強い気持ちも、くじけそうになる弱い気持ちも元は一緒なんだ。一つ割れちゃったら、みんな一緒に砕けちゃう。心って、心許ないんだ」


 今からすれば、彼女自身がガラスのような存在だったんだと思う。透明でピュアな心と、その小さな体は危なっかしくて、すぐに砕けてしまいそうだった。


 もう一度、手の中のビー玉を見つめる。掌でころころ転がる精巧なガラスの玉が、自分の心を映し出す。希望と、不安。


 正反対の二つの心も元を辿れば同じ、新生活への気持ちからだ。


 そして同時に映し出されているのは、後悔と懺悔の気持ち。



 

 ゴメンな。

 今頃戻ってきてゴメンな。



 

 澄香すみか、もう一度、会いたかった。

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