172章

クリアは生まれて初めて死の恐怖きょうふというものを感じていた。


1万の大軍を前にしてもれなかった心が、今たった1人の男によってくだかれそうになっている。


「さて、次は何を見せてくれるのかね? これで終わりというのなら君のいのちもここで終わりだ」


一歩いっぽずつ――。


少しずつゆっくりとこちらへと向かってくるストリング皇帝を前にして、クリアは体をふるわせて立っていることしかできなかった。


……ダ、ダメだ。


私ではこの男には勝てない……。


おさなころから、剣術けんじゅつまなび――。


これまで何度も敗北はいぼくあじわっても立ち上がってきた。


自分の住む街――。


歯車はぐるまの街ホイールウェイを守るために、幾千いくせん死線しせんくぐけてきた。


だが、そんな彼女でも、このときばかりはそう感じずにはいられなかった。


圧倒的あっとうてきな力の


今ならあのルドベキアが、協力きょうりょくしないと勝てないと言ったのがわかる。


この男――ストリング皇帝は次元じげんちがうのだ。


たとえアンが持つマシーナリーウイルスの力を使ったとしても――。


たとえ小雪リトル·スノー小鉄リトル·スティール精霊せいれいたちの力を使ったとしても――。


ストリング皇帝には通用つうようしないと、クリアは思ってしまっていた。


「もう戦えんかね? まあ、ひさしぶりに楽しめた。君ほどの使い手はにそうそう会えまい。おかげでだいぶかんが取りもどせたよ。感謝かんしゃする、クリア·ベルサウンド君」


ストリング皇帝は、左右の手にピックアップブレードをにぎったまま、自分の長いひげもてあそぶ。


皇帝にとって、クリアとの戦いは準備運動じゅんびうんどうのようなものでしかなかった。


思わず後退あとずってしまうクリア。


だが、彼女は――。


……しかし、ここで私がこの男を止めなければ……。


ブレイブ……なさけない私に勇気をください……。


アンたちのために……亡くなったルーザーのためにも……私はこの男をたおさねばならない。


クリアは表情をキリっとさせ、前へと出る。


「リトルたち……お願い……」


「ほう、まだ何か手があったのかね? クリア·ベルサウンド君」


クリアは何も答えず、ただ両手に持った刀に神経しんけいを集中させた。


そして、彼女の顔が次第しだいに生気をうしなっていく。


代わりに刀のほうは、すさまじい気をまといだしていた。


クリアは、自分の命を刀にわせているのだ。


「たしかに途轍とてつもないエネルギーだ。だが、顔色が悪いぞ。君はそんな状態じょうたいで私と打ち合うつもりかね?」


「私はもう死んだ身……アンのためにもここで……あなたを止めてみせます」


まるで死人アンデットのような顔のクリアがそう言うと、ストリング皇帝は立ち止まってはならした。


まるで相手を見下みくだすような、そんな表情をしている。


「くだらん。あの小娘にそんな価値かちがあるのかね?」


「アンは私をすくってくれた人です。そのことをあなたに理解してもらおうとは思いません」


「君には失望しつぼうしたよ、クリア·ベルサウンド君。その修羅しゅらごと太刀筋たちすじには、他人にすがらないという気高けだかさを感じていたのだがね」


「では……まいります!」


みずからの命の火を刀にたくし、クリアはストリング皇帝へ飛ぶ斬撃をはなった。


それと同時に一瞬いっしゅんで間合いをめ、放たれた斬撃とともに、いきおいをつけて皇帝へ斬りかかる。


「まったく……残念ざんねんだよ」


だが、凄まじい斬撃にびたストリング皇帝は、爆風ばくふうの中から現れると、飛び込んできたクリアの体を十字に斬りいた。


真っ赤なマグマようなピックアップブレードの光のやいばで斬られた彼女は、その体に十字のきずをつけられ、そのままき飛ばされてしまう。


「その傷だ。もう立てんだろう」


だが、クリアは立った。


2本の刀を松葉杖まつばづえのようにして、立ち上がった。


その体――斬り裂かれた傷口からは、当然血は流れ、おまけに体の肉がかれたため蒸気じょうきのようなけむりがあがっている。


「まだ立つか。それも他人のために……。くだらん。実にくだらんな。人はそれを勇気とは言わん。匹夫ひっぷゆう、またはドン・キホーテ的勇気と言うのだ」


「俺もその意見に賛成さんせいだよ」


まだ戦うつもりでいたクリアを前にして、ストリング皇帝があきれていると、どこからかみょうかるい感じの男の声が聞こえてきた。


ストリング皇帝が声のがするほうを向くと、そこには――。


「でも、命懸いのちがけで頑張がんばっている人って、何故か放っておけないんだよな」


緑のジャケットに黒いパンツを穿いて、首にはゴーグル、手にはかわのフィンガーグローブを付けている男――。


ラスグリーン·ダルオレンジの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る