71章

――ルーザー。


コンピュータークロエの暴走のより、合成種――キメラと呼ばれる異形いぎょうの化け物が現れ、全人類が滅ぶ前にクロエを止めることに成功した人物の名――。


その後、世界は膨大ぼうだいな数のキメラが蔓延はびこり、荒廃こうはいした大地を埋め尽くしていったが、今もなお人類が生き残っていられたのは、彼のおかげだと言っていい――キャスはそう話を続けた。


「私も城内の古い文献ぶんけんで読んだだけだが。その英雄の名がルーザーだったはずだ」


キャスの言葉を聞いた全員が、その場に立ちくしていたが、マナだけが何か思い出したような顔をしていた。


「あたしも聞いたことあるよ。前に死んだお父さんから教えてもらった。でも、それっておとぎ話じゃなかったっけ?」


マナが亡き父親から聞いた内容は、話のすじはキャスとほとんど同じだった。


しいていえば、おとぎ話というだけあって「悪いことをするとルーザーに封印されるぞ」といったところが違いか。


マナは、そのルーザーの容姿や現在の身体状態などを付け足して話す。


「え~とね、その英雄さんにはわかりやすい特徴があって……あれ? なんだったっけ? ……そうだ! たしか顔が隠れるくらい長い前髪をしてるって……」


アンは彼女の話を聞いて、先ほどの野菜売りの老人の姿を頭の中で思い出した。


……そういえば、あの老人。


たしかに前髪で顔がよく見えなかったな。


重傷だったルドを動けるようにしたり、8メートルはある巨体のストーンコールドをね飛ばしたりと、常人ではありないことをやってのけているし……。


どうやら、そのルーザーという英雄がさっきの老人で間違いなさそうだ。


それにしても世界を救った英雄なのに、敗者ルーザーって……。


「それとね、身体に女神を封印ふういんしているって」


「英雄に女神か……いよいよ神話めいてきたな」


神妙しんみょうな面持ちでアンがそう言うと、マナは続ける。


「さらにさとりし者と修羅しゅらの神も……」


「いや、封印し過ぎだろう。大丈夫か、その身体……」


アンが無愛想につぶやくように言うと、ニコもその横であきれた顔をしている。


突然ルドベキアがロミーをかついだまま、泣いているクロムとルーの頭とでた。


その彼の顔は、笑みを浮かべている。


「ジイさんが英雄だろうがなんだろうが、ともかくこいつを動けるようにしてもらうのが先だ」


そう言ったルドベキアは、早足で大広間から出て行く。


その後を、涙をぬぐって追いかけていくクロムとルー。


マナとキャスもそれに続いた。


だが、アンは――。


……もしかして、ストリング皇帝がこの雪の大陸へ来た目的とは、その老人なんじゃないか?


だけど、一体何のために軍をひきいて……?


老人は英雄なのだから、機械兵オートマタ航空機トレモロ・ビグスビーなどを連れてくることはなかっただろうに……。


そのとき、考え込んでいるアンの足が引っ張られる。


アンが見ると、そこにはニコが心配そうな顔をして立っていた。


……いや、今はルドの言う通りロミーが先だ。


「ごめんニコ。早くみんなを追いかけよう」


来た道を戻って、また材木を組みわたした暗い坑道こうどうを進んでいく。


ルドベキアは以前に来たことがあるのだろう。


何の迷いもなく、スタスタと早足で歩いていく。


口にも顔にも出していないが、彼は急いでいるようだった。


アンはそれを見て微笑む。


……あいつ、何も言わないけど、早くロミーを治してもらおうと急いでいるんだな。


まったく不器用というか、なんというか……。


アンは、そんなルドベキアの姿を見て思い出していた。


ストリング帝国で軍人として過ごしていたときのことを――。


……そういえば、私も一緒だった。


当時のアンは、合成種キメラを殺すことに執着しゅうちゃくしているロミーや、表情や口ぶりと行動がまるで合っていないルドベキアのような人間だった。


それが、いつからか少しずつだったが、改善かいぜんしていった。


親代わりであったグレイや、いつも傍にいてくれたニコ――。


さらにも同じ部隊の仲間――リード、ストラ、レス、モズのおかげだったと、今さらながら彼女は思う。


歩きながらアンは、急にニコを持ち上げて強く抱きしめた。


ニコは、いきなりのことにビクッと驚く。


そして、アンの顔を見つめた


「何でもないよ、ニコ」


アンはそう言って笑みを返した。


しばらく歩くと、前にいたルドベキアが扉の前に立ち止まってノックをしている。


どうやらルーザーの部屋に着いたようだ。


ゴンゴン、ゴンゴンゴン。


「ジイさん! 俺だ、ルドベキアだ。早く開けてくれ」


声をかけたが、老人の反応はない。


表情を歪ませたルドベキア。


そのノックの音は、次第に乱暴になっていった。


ドンッ! ドンドンドンッ!!!


「おいッ!! いんだろジイさん!!! 返事がねえなら勝手入るぞ!!!」


「そんなに強く叩かないでくれよ。壊れてしまうじゃないか」


中から声が聞こえると、扉はキィィッという音を立てて、ゆっくりと開いていった。

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