「また会いに来たよ」

大福がちゃ丸。

第1話 主の居なくなった家

 ぼくの前から、トニオ爺さんが姿を消してから、ずいぶんと時間が流れてしまった。


 あの日。

 トニオ爺さんの家で、ぼくの背後に居たモノ。

 何か暗く重い刺すような視線を、ぼくに送ってきたモノ。

 ソレから、トニオ爺さんは、ぼくを守ってくれたんだろうと思う。


『乾杯!』


 ソレに向って、ラム酒の瓶を持ち上げたトニオ爺さんの声を今でも覚えている。

 そして、何かを飲み干すような喉を鳴らしたような音と共に、トニオ爺さんは消えてしまった。



 ぼくは、今日も学校が終わってからトニオ爺さんの家に通う。

 お父さんもお母さんも、最初は困った顔をしていたが、今では理解してくれたみたいだ。

 トニオ爺さんは必ず帰ってくる、それまで、ぼくは家の片づけをすることを決めたから、いつ帰ってきてもいいように、家も庭も荒れないように。

 毎日来ているから、軽く掃除くらいしかすることがないんだけど。


 トニオ爺さんの家に着いて、しばらくしたら幼馴染のアニータが来た。

 アニータも「私も手伝ってあげるわ」とか言って、いつも来てくれている。

 一人では帰せられないから、一緒に帰ってるんだけど、アニータのおじさんとおばさんにニコニコされる、絶対勘違いされてる……。


 アニータが、クッキーを焼いて来てくれたので、ココアを入れて二人で食べることにした。


「ねぇ?」

 アニータが、話しかけて来る。

「トニオお爺さん……、本当に帰ってくると思う?」


「うん、必ず帰ってくるよ」

 ぼくは真っ直ぐアニータの目を見て言うと、「そう」と軽く返事を返してきた。

 アニータは、たぶん、帰ってこないと思っているんだろう。


 ぼくには、証拠も確証も無いけれど、何かわからない確信のようなものがあった。

 トニオ爺さんが居なくなった家。

 居間を何気なく見渡していると。


 不意に、ぼくの影が濃く壁に写される。

 外から日差しより明るい、強烈な光が部屋の中に入って来た。


「え? なに?」

 アニータが、びっくりして立ち上がり、椅子をひっくり返している。

 ぼくも慌てて立ち上がり、窓から外を見てみた。



「いたたたたっ、なんじゃ? わしの家か?」

 庭に座り込み、きょろきょろと周りを見渡している。

 そこには、しばらく見ていなかった、ぼくの大好きな人がいた。


「トニオ爺さん!」


 ぼくは大慌てで、庭に飛び出していくと、トニオ爺さんもびっくりするようにこちらを向き、ガハガハと愉快そうに笑いながら、いつもの調子で話し出した。

「お? おぉ、なんじゃ、マルコか? アニータもいっしょか? お前さんたち少し背が伸びたかの?」


「どこ行ってたの? 何か光って、トニオ爺さんが居て、何があったの?」

 そんなぼくを見ながら、「よっこらしょ」と腰を上げて、庭にある簡素なテーブルの脇にある、愛用のロッキングチェアに腰掛けた。


「ふむ、わしがじゃがなぁ……」

 ぼくとアニータを向かいの椅子に座らせると、トニオ爺さんは話し出した。




 ナニカに、連れ去られた先。


 そこは暗く、光の一条すらなく、それでいて熱く、寒く、轟音と無音が

 渦巻く暗黒。


 その中を、ただ漂い、体も心も魂さえも覚束なくなった頃、酷く醜く不快な音楽が聞こえだした。

 まるで出鱈目でたらめな、低くくぐもった太鼓の狂おしき連打。

 醜く奇怪な呪われた単調なフルートのかぼそき音色。

 暗闇の中で、目視できないはずなのに、その音楽に合わせ、名状しがたい無形のナニカが踊り狂いっている。




「……それで、どうなったの?」

 つばを飲み込んで、ぼくは聞いてみた、そんな場所とても帰ってこれるなんて思えない。


「ふむ、それでな」

 トニオ爺さんは、アニータが取ってきたくれたラム酒を一口飲むと、また話し出した。


「わしは、そんな酷く不快な音楽を聴くのが初めてじゃった」

「気がおかしくなりそうになったわしは、得意のカンツォーネを歌ってやったんじゃ」

「そうしたらな、そこに居たナニカが、わしの歌を気に入ったようなんじゃ」

 ガッハハハっと、愉快そうに笑うトニオ爺さん。

 ぼくとアニータは、そろってポカーンとしている。




 そのナニカは目の前に居た。

 あまりに巨大な、蠢き、泡立ち、脈動する、その巨大なナニカは、大海に落ちたアリのような存在を、ほんの刹那ではあるが認識した。

 虚空のごとき暗闇が躍動し渦を巻く混沌の最奥に存在する、時空を超越した無名の房室で、「宇宙の中心にいる原初の混沌」「時空のすべてを支配するという白痴の存在」「万物の王である盲目にして白痴の神」、この盲目白痴にして全能の魔王は、彼の願いを叶えたのだ。




「その時にのぉ、わしは願ってしまったんじゃ、また家に帰って親しい友人たちとラム酒を飲みたいとな」

 ぼくたちを見て、ニッカリと白い歯を見せて笑うトニオ爺さん。


「はぁ、もうお爺さんたら、でも、どこからか帰ってこれたのはホントですものね~」

 アニータが呆れたように言っている、でも、ぼくもアニータもわかっているんだ。


 パチパチと、不意にぼくの後ろで拍手をする音が聞こえる。

 トニオ爺さんは、ぼくの背後を睨んでゆっくりと立ち上がり始めた。


 ぼくは、その姿を見てドキドキしながら後ろを振り向いてみたんだ。





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