第23話「偽善の兵法家」
報せを聞いた山賊団本陣は、冷静だった。
「そうか、ベイナード団長が討死したか」
なかでも副長ルーネスは、全く動揺していない。
もとより、山賊団上層部のほとんどは、勝てるとは思っていなかった。
相手は白雲の軍神クロト。着実に実績を積み、その真の実力を世に広く示している。一方、こちらは日々脱走兵の対処に追われている惨状。まともに出陣できただけでも御の字というありさま。
たとえ一度や二度勝っても、滅亡への道は変えられない。最終的には地に倒れる。戦略的劣勢は、戦術では動かしがたい。
だから、ルーネスは言った。
「諸君、ここは降伏しないか」
きっとルーネスが言わなくても、誰かが提案しただろう。
「勝ち目はもはや、万に一つもない。総大将は戦死し、軍は崩壊寸前。降伏して慈悲を請うほうが、我らのためになるのではないか」
「勝ち目がないのはまさにその通りでございます。しかし……我らに慈悲は与えられますでしょうか」
武将の一人が不安を口にするが、ルーネスは返す。
「それは交渉を頑張るしかない。それに、白雲邦が狭量であるという話はあまり聞かない。むしろ、例えば白虎邦のクシャナは拾われている」
「しかし、我々はかつて何度も白雲邦を襲った身。同列には考えられますまい」
「では戦うのか。この状勢で、軍神クロトと?」
反論した武将は沈黙した。
「決まったようだな。使いを出せ。白雲軍に降伏を告げる」
軍使頭は「御意」と答えた。
かくして、山賊団は白雲邦に降伏した。
残ったわずかな兵士や士官たちは、遊撃隊「黒鳥衆」として白雲軍に取り込まれた。さすがに白雲の本隊とは合流しなかったようだが、これはやむをえないものとして、元山賊団たちは納得しているようだ。
白雲邦の内部では、かつての仇敵たちを取り込むのには反対の声も多かったようだが、伯爵マリウスやクロトらの説得により、反対者たちはしぶしぶ引き下がった。
そして、その経緯を聞いた元山賊団たちは、大いに感激したという。
クロトはミーナに尋ねた。
「それで、仮面卿に関して何か新しいことは」
「何もありませんでした……」
ミーナは肩を落とす。
山賊団は、かつて仮面卿が接触した組織である。上層部から下級士官、兵卒に至るまでくまなく探せば、何かを知っている人間が見つかるのではないか、とクロトは踏んだ。
しかし、ミーナに調査させたものの、それは空振りに終わった。今までに出てきた以上の情報は、誰も持っていなかった。
「そうか。仮面卿はよほど注意深く正体を隠したんだろうね」
「申し訳ありません……」
「いや、いい。そう簡単に尻尾がつかめるとは、僕も思っていない」
相手がかなりの策士であることは、クロトも実感している。したがって、もとより、正体が一気に割れるなどとは期待していなかった。
「これからもよく用心しよう。今、僕たちにできるのはそれだけだ。今回もミーナは頑張ったな」
ねぎらいの言葉をかけ、クロトはまた戦後処理の書類に目を通し始めた。
仮面従者は、宿の一室で独り考えていた。
軍神クロト。
仰々しい通り名である。もし自分がこんな異名を授かったら、恥ずかしさで悶えてしまいそうだ。
もっとも、問題はそこではない。
クロトは、彼自身の言い分を聞く限り、戦が嫌いである。その理由は、根本的には「変化を嫌う」からだ。世界が静止すればいいと考える、頭の壊れた人間である。
そのクロトが、よりにもよって兵法家として名声を博する。そして彼自身は、調べた限り、それを特に嫌がってはいないようだ。
とすれば。
クロトが戦嫌いだなんだとうそぶくのは、民や文官たちをたぶらかすための、虚言に過ぎないのではないか。
その場合「世界の停滞を願う」の真意が計りかねそうに見える。しかしきっと、この破滅的な願い自体は本当なのだろう。
むしろ、クロトは世界の停滞を実現すべく、あえてその邪悪な本音を隠さず、それを世界の平和という美しい幻想のためなどと吹聴して、共感者を集めているのではないか。
本音をはばかりもせず、それでいて屁理屈をこね、輝ける幻を民衆に見せ、己を正義の人であるように見せかけているのではないか。
害悪。偽善。いや、偽善ですらない、詭弁で覆い隠された邪悪な意思。
仮面従者は彼を排除しなければならない。彼の人格や属人的な何かを責める気はないが、価値観を変えるなど不可能である以上、彼の命そのものを狩り取り、その醜悪な導きを止めなければならない。
憎しみでも軽蔑でもない。世界のためにやらなければならないこと。悪は打ち砕かなければならない、ただそれだけである。
と、ドアを叩く音がした。
「入るぞ」
仮面卿。
「カルナス様」
「おっと、それはなしだ。仮面卿で頼むぞ、従者よ」
「失礼しました。仮面卿」
仮面従者は一礼する。
「何か考え事でもしていたのか」
尋ねる仮面卿に、従者は答える。
「クロトの邪悪さを、少し」
彼女はつぶさに説明した。
だが。
「む……それはそうかもしれんが……」
反応はいま一つ。
「確かに、クロトは倒すべき敵だ。しかし、壊れた人間だとまでは、俺には思えん……彼は彼なりに奮闘している。たまたま彼が、俺と相容れないだけだ」
「ずいぶん敵の肩を持つのですね」
「いや、その、敵を必要以上にさげすんでは、品格が疑われる」
やはり、主君はクロトの邪悪さを理解していない。倒すべき敵ではあっても、仮面卿は彼を世界の害悪とは考えていない。
「仮面卿……あなたはもっとクロトの狂気に向き合うべきです」
「そうはいってもな……」
仮面卿は頭をかく。
「まあ心配するな。俺はクロトを倒す。そこは変わることなどないだろう」
「むむむ」
ゆっくり休め、と彼は部屋を後にした。
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