第10話「勝利と敗北」
しばらくして、城下町を見回りに出ていたクロトとアイリーン――彼女は逢い引きのつもりで彼に同行していたが、しかし、彼はその本心を知らない――は、妙な噂を耳にした。
「ディビシティ山賊団に仮面の男女が参加した……?」
いわく。最近、かの山賊団に、先の粛清で誅殺されたバハリタの息子、ホプリらが加入した。
郎党の規模は百名ほどで、数自体はそれほど多くない。しかし注目すべきは、ともに山賊団に入った仮面の男女である。
両名とも道化師の仮面を被り、素性を隠している。ただ二つ明らかなのは、どうやらかなり若いということと、士官学校卒業生のエンブレムを持っているということである。
「若くて士官学校を卒業……同期かな?」
クロトがベンチでつぶやくと、アイリーンが返す。
「考えすぎですわ、きっと。それだけなら同期でなくとも、たくさん当てはまりますし」
「そうですね。ただ……」
彼は腕組みをする。
「同期でなかったとしても、十中八九、その二人は貴族か仕官した元平民ってことです。誰かからエンブレムを盗んだのでない限り」
「それは、そうですわ」
「そういう者が山賊団に与している。これは結構な『コト』です」
クロトは眉をしかめる。
「まさか、背後にどこかの領邦が絡んでいるのでしょうか。嫌ですわ」
「ないとはいえません。現状、山賊団や近隣の領邦を注意深く観察する必要はありそうです。まあ裏切り者が潜んでいるのが、遠くの領邦や王都であるおそれもありますが、そこまでは僕たちもあまり追えません。それは仕方がないでしょう」
「暗雲、ですね」
「併せて、山賊団の中に、なんらかの変化が起きていることもありえます。柔軟に対応しなければならないこともあるかと」
「なんらかの、ですか」
「今はそれ以上は分からないです。ただ、本当に用心するしかないでしょうね」
彼はそう言うと、目頭を揉んだ。
それからほどなくして、ディビシティ山賊団が行軍を始めた。
目標は白雲城と推測される。
「またあやつらか……」
にわかに厳しい表情になるマリウス。
「こたびの進路も、紫雲峡谷を経由する道順になっております。八門山を通る道順ではございませぬ」
武官フィオナが報告する。八門山とは、白雲の領内にある山であるが、その山道は意外と通りやすい。ただ、道順としては非常に遠回りであり、まともな感覚を持っていれば侵攻路には選ばない。時間と体力の無駄である。
「こたびも紫雲の峡谷を?」
ぴくりとクロトが反応し、問い返す。
「左様。順当に進めば、峡谷の中央あたりで激突するかと」
「峡谷の出口には、まだ先の戦で築陣した防備が残っているんですよね」
「然り。破壊も撤収もしておりませぬ」
「そこが奇妙です」
クロトは首をかしげる。
「クロト、どうしたんだ」
デミアンが尋ねる。
「おかしい。これはおかしい」
敵の視点に立てば分かる。峡谷の経路を通っては、また例の防備を使われ、再び大打撃を負うことは必至、と考えるはず。
失敗が目に見えている作戦を繰り返すだろうか。
「なるほど」
「とは言えど、山賊団は小細工を使わない戦闘教義を採っているからのう。何か勝算があるのではないか。報告によると、山賊団側は軽騎兵や軽歩兵の比率を増やしたらしいから、機動力と突破力で防備を押し切るのでは」
白雲伯マリウスが問うが、クロトは否定する。
「それでも無理です。あの防備には騎兵に対する馬止めもありますし、軽歩兵に至っては格好の餌食になるだけです。標準的な兵家はそう考えます。それ以外に編成などについて大きく変わった点はありませんから、どう考えてもあの戦の二の舞にしかならないはずです」
「そういうものかな」
「然り。また戦闘原理に関しても、いくつか気になる噂がありますから、転換をしたということもありえます」
「むむ」
「それでも敵は紫雲の峡谷に向かう……」
かの峡谷を経由する限り、山賊団には敗北の未来しかない。そこを通ってくる。
「……紫雲の峡谷を、通ってくる……?」
「おい、大丈夫か」
「……ああ、そうか、そういうことか!」
クロトの表情が晴れる。
「おお、どうした、説明してくれ」
「はい。これはつまり……」
彼は話し始めた。
そのころ仮面卿は、ホプリらや山賊団の兵たちとともに、とある道を行軍していた。
「これで成功するだろうか」
ホプリの問いに、仮面卿が答える。
「どうでしょう。クロトの底はなかなか見えませんゆえ。……ただ、それでもやはり、やるしかないのです。実行なくして結果はないのです」
当たり障りのない答え。
今回、白雲側には、大河邦や平原邦からの援軍は来ないという。なんでも、両領邦からの援軍の申し出を、白雲が断ったという。
仮面の男と女は、これを吉兆と受け取った。また例の防備を使って、紫雲峡谷で山賊団を滅多打ちにすれば、援軍の必要もない。……そう白雲が判断したのだとすれば、説明がつく。
仮面の男女にそう思わせるために、わざわざ戦力を絞った、とは、彼らは考えなかった。いや、考えたが、いくらなんでもクロトがそこまで読んでいるとは思えなかった。
どこかで割り切らないと、およそ軍略などというものは実行できない。戦場の霧は、どんなに火を焚いたとしても、完全に払拭することなどできない。これも士官学校で学んだことだった。
もっとも、今回の兵略を考案したのは、彼ではなくその従者の女であるが。
「実行なくして結果はない、か。良い言葉だな」
「左様。良い言葉でなければ、こうして残ることなく、世間から消えていきますゆえ」
このホプリの感想も、きわめて十人並みであるゆえに、埋没してゆくのだろう。
……クロトは。自分は。従者の女は。そして金髪碧眼の想い人は。
歴史に残ることなく、その他大勢の中に埋没してゆくのだろうか、と彼はふと思った。
いや、別に歴史に残りたいわけではない。意外かもしれないが、彼にはその手の野心はない。
彼が望むのはあくまで、想い人の奪取。そしてそのついでに、クロトを排除すること。
実際、クロトのことですら、殺害には至らなくてもよいとまで思っている。必要なら致し方ないが、正直なところ、あの女性を拒絶して関係性、および可能性を完全に断ち切るのなら、生きていても構わないとまで考えている。
だが、現状、どうもそれはできないようである。クロトとは戦って勝利し、その息の根を止めざるを得ない。彼はそれを積極的に意欲しているのではないというのに。
彼が恨んでいるのは、天の為した差配。六年前に出会った「あの女性」を自分にあてがわなかったという、運命の理不尽のみ。
「難儀なことだ」
ぽつりとつぶやく。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
ホプリの問いに首を振り、彼は馬に揺られる。
しかし、情勢は急転する。
「……ん?」
仮面卿は、行く先に集団を発見した。
「……これは」
「まずい、来ます!」
地響き。喚声。
そして白雲邦の旗。槍兵隊が隊伍を組み、槍ぶすまを構え、一斉に押し寄せる!
「これはっ!」
「読まれていたのか!」
「しかしここは八門山……通行は容易だが、逃げるとなると」
基本的に一本道。山の中で散開などできない。
「殿軍は……いや、殿軍を備える暇など無い。全軍、とにかく逃げよ!」
八門山を攻め上がっていた軍勢は、リアナの提案で、軽騎兵中心に編成していた。特にホプリの手勢は、そろって騎兵である。
つまり最善策は、ホプリの手勢が素早く逃げるために、山賊団から借りた将兵に殿軍をしてもらう、この一手に尽きる。
もちろんそう命令するわけではない。ホプリの手勢はいずれも山賊団をも超える熟練の勇者ぞろいだから、全軍退却命令を出せば、自然と山賊団将兵が遅れる。
要するに、ここで出すべき一手は。
「全軍退却、伝令を回せ!」
とても単純なものだった。
この報せを聞いたベイナードは。
「このド畜生め!」
荒れていた。
「併せて、白雲の本隊が我が本隊へと向かってきています」
八門山で交戦中の白雲別働隊が、奇襲でホプリらを退けたとなれば、すぐにこちらの本隊へと迂回してくるだろう。
そうなれば、山賊団本隊は、敵の本隊と別働隊とで挟撃される。
いくら兵の総数で勝っていても、はさみ撃ちはまずい。全滅もありうる。
「こちらも撤退だ、すぐに陣を引き払え!」
退路をふさぐ別働隊を、どうにかして無理やり突破する。被害は大量に出るが、それ以外にやりようがない。
もたもたしていると、繰り返し述べるが、全滅する。
「冗談じゃねえ、あの仮面野郎どもめ!」
あのふざけた連中は、やはりろくな人間ではなかった。
彼は足早に馬留めへと向かった。
地獄を見たのは、ホプリらに随行していた山賊団の戦士たちである。
「くそっ、追いつかねえ!」
ホプリの手勢は、さすがというべきか、見事な統率と巧みな馬さばきで、どんどん後退していく。
一方、山賊団兵は、真正面からの切り合いとなれば強いものの、統率は薄弱、退却行動にも不慣れであり、白雲軍に背中から襲われる。
「くそったれ、迎え撃ってやる!」
山賊団の中隊長が勇ましく声を上げるが、もちろんその程度で戦況が変わるはずがない。
「ぐわぁ!」
「このっ……!」
槍隊のがっちりと組まれた槍ぶすまの前に、みるみるうちに兵が減ってゆく。
そしてその背後からは。
「弓備、仰角に放て!」
矢が降り注ぐ。軽装、つまり頑丈な防具を帯びていない山賊団兵は、上から降ってくる矢を防ぐことができない。
「うわあぁ!」
「死にたく……ないのに……」
バタバタと倒れていく。
山道に、紅い花が咲き乱れた。
充分に敵から離れたところで、ホプリが仮面卿に問う。
「このまま山賊団本隊に戻るのか?」
もし戻れば、処罰のおそれがある。山賊団から借りた将兵を見殺しにしたと受け止められかねないからだ。
だから仮面卿は言った。
「戻りません。このまま出奔します」
処罰、特に敵前逃亡の罪でむざむざ死刑を受ける必要はない。
彼らが山賊団に忠誠を捧げる義理などない。
「おお、大胆だな」
「大胆ではありません。むしろその逆です」
仮面卿は続ける。
「誰しも死刑は怖い。私とてそれは同じです。ホプリ殿もおそらくそうでしょう」
「正直、そうだな。戦場で華々しく討死するのならともかく、刑罰として死ぬのは御免こうむりたい」
「私は名誉の討死も避けたいですが……」
「まあそういう者もいるだろうな。命あっての物種という言葉もあることだし」
仮面卿は頭をかく。
「ともあれ、死刑が約束されている場所に戻る必要はありません」
「そういうものか」
「そういうものです」
彼は断言する。
「ついでに申し上げれば、こたびの敗北を残念がる必要もありません。もとよりこれだけで白雲邦を倒せるとは思っておりませんでしたし、その旨を事前にホプリ殿にもお伝えしました」
「ああ、そうだな」
ホプリはうなずく。
「まあ、なんだ、期待しているぞ、仮面卿よ」
言われた彼は「御意」とだけ答えた。
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