第9話「友の帰還」
日が沈みかけた頃。
山賊団の番兵がホプリたちに問う。
「止まれ、何者だ」
一行の中に二人も、怪しい仮面を身に着けた者がいる。しかも主人と思しき者――ホプリのことなど、山賊団の中で知る者などいない。仮にホプリが著しい軍功を重ねていたり、クロトのように要人、またはそれに準ずる立場なら別だが。
「私は大河邦で謀殺された騎士バハリタの息子、ホプリ。そしてそこにいるのがパレートと……」
当惑するホプリの言葉を、仮面卿が継ぐ。
「ゆえあって素性は明かせませんが、こういう者です」
仮面の男女は、士官学校卒業生のエンブレムを提示する。
「むう……?」
山賊団にとって、士官学校卒業生は大半がタートベッシュ王国側であるから、つまりは敵である。
しかし目の前の人間に、今からこのディビシティ山賊団と一戦交えようという気配は感じられない。おまけに仮面の二人は素性を明かせないときている。わけありの貴族の可能性が高い。
「とりあえず用件をうかがおう」
「我らは白雲邦に遺恨のある者だ。貴殿らがもし、白雲に戦を挑むなら、指導者ベイナード殿にその助力を申し出たい」
「むう。しばし待たれよ」
番兵は急ぎ足で取り次ぎに行った。
果たして、お目通りは許された。
「お初にお目にかかる。私がベイナードだ」
「お目にかかり光栄です。それがしがホプリでございます」
言うと、ベイナードは怪訝な表情で道化師の仮面の男女を見る。
「その二人は……」
「わけあって素性を明かせぬようです。ええと」
すると、仮面の男が口を開いた。
「大変ご無礼をいたしますが、明かせるのは『これ』だけでございます」
二人は士官学校卒業のエンブレムを見せる。
「むう、これは……なるほど、出自を聞かれるのはまずいのだな」
「左様」
「うむ、わかった」
ベイナードはうなずいた。
「ちなみに仮面をかぶっていないほうは、それがしの従者のパレートでございます」
「今後ともよろしゅうお願い申す」
「ああ、よろしく」
こちらには特に興味はなかったようだ。きわめて簡単にあいさつを済ませる。
「で、我が山賊団に助力したいとかなんとか」
「然り。ただ……」
ホプリが口ごもると、仮面卿が言葉を継ぐ。
「単刀直入に申しましょう。団長殿、正兵の兵法は一度捨てなければ、白雲……特にクロトには勝てません」
「ぬう」
ベイナードの眉間にしわが寄る。
「団長殿の理屈は聞き及んでおります。正兵であれば、小さな戦力差が大きな結果を生む」
「その通り。戦力数で勝っていれば、力攻めが最も効果的な軍略である」
彼が断言するが、仮面卿はなおも反論する。
「しかし、紫雲峡谷の戦いは、どう考えてもその正兵志向のせいで負けたと分析いたします」
「むぐぐ」
「正兵が通じるのは、相手も正面からの戦いを挑んだときのみです。そして、クロトはそれを選ぶ人間ではありません」
仮面卿は雄弁に語る。
「私はクロトを知っておりますが、彼は奇手謀略の類を使う男です。こずるい男です。特に戦力的に不利な合戦では、決してまともなぶつかり合いなど選びはしません」
ベイナードは黙って聞く。
「相手が誠実であれば、正兵も効果を発揮しますが、かのクロトは卑怯卑劣、まともな人間ではありません。誠実でない相手を打ち負かすには、一工夫せざるを得ないのです」
「むむ」
「私の兵法でなら、クロトを倒せます。ぜひ次の戦では、私めの進言をお聞き入れください」
言うと、団長はゆっくりうなずく。
「……そのとおりだな。分かった、貴殿らを迎え入れよう」
仮面の下で、男は薄く笑った。
仮面卿が暗躍の下準備をしているころ、白雲邦では一人の男が帰ってきていた。
「ただいま戻りました。デミアンでございます」
デミアンと名乗るその男は、クロトと同じ十六歳。しかしクロトと異なり、その面構えは気の鋭さと、豪放さを感じさせる。
「うむ、長きにわたる窮屈な生活、ご苦労であった」
白雲伯マリウスは、自分のあごをなでる。
「そんな、窮屈などと。これは伯爵様がわざわざお取り計らいくださったことです。そうでなければ、私は中央貴族の毒牙にかかっていたことでしょう」
「いずれにしても、その脅威は過ぎ去った。これからは同年代のクロトとともに、邦を盛り立てていってほしい」
言うと、デミアンは大きくうなずく。
「もちろんです。これから邦に尽くす所存です」
「うむ。まあしばし休むがよい。特にクロトとは数年ぶりに、積もる話もあるだろう」
クロト、デミアン両名が、微笑とともにうなずく。
「ご厚意に甘えさせていただきます」
デミアンを知らないアイリーンとミーナは、小首をかしげていた。
デミアンはどのような人か、といわれれば、この青年もなかなかに波乱の人生を送ってきた人間だ、といえる。
もともと彼は、白雲の近隣で地方貴族の一門であったが、中央の貴族らの謀略により邦を失った。
そしてそれを聞きつけ、哀れに思ったマリウスが、形式上直臣としてデミアンを迎え入れた。このときデミアンは八歳である。家臣というより被保護者であった。
その後、デミアンは宿将ゲーエンらから学問や術策、武術などを教わり、将来の柱となるべく成長していった。
彼は当然というべきか、クロトともよく交遊し、彼が士官学校に入学したあとには、休暇の里帰り中によく遊んでいた。デミアン自身は貴族一門の地位を失っており、また王都には彼に対する危険があったため、士官学校には入らなかったのだ。
しかし、再び中央貴族の策謀が白雲邦に迫る。これに対して、マリウスはしかるべきところにデミアンをかくまわせた。このときのデミアンは十四歳である。
そして、マリウスらの水面下の奮闘により脅威は過ぎ去り、彼は帰還命令を受けたというわけだ。
客室で、二人は改めて再会を喜ぶ。
「いやあ、久しぶりだなクロト!」
デミアン本来の口調。クロトも明るく返す。
「そっちこそ久しぶりだね、デミアン」
一方、同席していたアイリーンとミーナは、やはりまだ事情が分かっていない。
「クロト様、この方は……」
「ああ、紹介するよ。彼はデミアン。小さい頃……」
クロトは事情を説明し、デミアンに女性二人を紹介した。
「大変な境遇の方ですね。驚きましたわ」
「ご主人様、学校にいたころは何もおっしゃっていませんでしたからね」
確かにクロトは、在学時代にはデミアンのことを話したことがない。
「それはひでえな、俺、忘れられたの?」
「そんなわけないだろう。話す機会がなかったんだよ」
デミアンはクロトの言葉を受けて、ハハハと快活に笑う。
正確には、話す機会がなかったというより、王都でうかつに話しては、デミアンや白雲邦に危害が及びうるという判断だった。
今はミーナはクロトの家臣であるし、アイリーンも与力、つまり家臣のようなものなので、話しても問題ない、むしろ説明したほうが事が円滑に進む、と彼は考えた。
「まあ、これからは俺のことも頼りにしてくれよ。初陣はお前に先を越されたけど、武芸も兵略も磨いてきたつもりだ」
「よろしく頼むよ。きみの師匠のゲーエン亡き今、主に
軍略面で白雲を支えるのは僕たちだからね」
「お師さんが健在なら、もっと楽になったんだけどなあ」
嘆息するデミアンに、クロトは返す。
「たとえ健在だったとしても、人はいつか死ぬもの。世代交代の時期が少し延びるだけだよ」
「まあそれもそうか。……そちらのお嬢さん二人も、よろしく頼むぜ」
「こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
「よろしく!」
かくして、デミアンとクロトたちは顔合わせを果たした。
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