57話 バイバイ
前言通り、家は変わりなかった。ボロ屋。風は吹き込み、隣人が灯すランプの光すら部屋に届く。
半ば無理矢理に連行された実家だが、一つ足を踏み入れると、安心感に包まれる。しかし同時に、どこかもの悲しくも思う。
積もる話はあった。
家族と会えずに、弱肉強食の世界を漂い歩いた一年間。外で見てきた全てが、家族にとっては新鮮そのものであろう。しかしサミュエルは、どの土産話を口にする気にはなれなかった。
記憶を蘇らせるたび、相棒が頭の中を駆け巡るのだ。
盛り上がらない会話に、両親も何か察したらしい。もしかしたら、サミュエルの隣にあの少年――共に旅立った少年がいない時点で、理解していたのかもしれない。腫れ物に触るように、彼等の話題は逸れていく。
朝を迎える頃には、サミュエルはすっかり疲れきっていた。
幼年期から変わらない、母手製のぬいぐるみに囲まれた寝台は、成長したサミュエルには少し狭い。村のワラ敷きベッドよりは柔らかかったが、寝返りを打つたびに軋まれては、おちおち寝ていられない。
そんなこんなで、サミュエルは寝不足のまま朝を迎えたのである。
起きて一番に思うのは、友人のことであった。
今日、彼の埋葬が行われる。棺に入れられ、土に埋まり、その上に墓標が立つ。死人、過去の人になる。生者であるサミュエルとは、一線を画す。その宣言が、今日下される。
「今朝、だっけ」
村長は言っていた。早朝、イアンの埋葬を行うのだと。場所は墓地。国の南部に位置する家から、五百メートル程東へ向かった位置にある。朝の散歩にはもってこいだろう。
手の届く位置に立て掛けていた剣を腰帯に差し、小さな道具袋を
両親の寝床から音は聞こえない。昨晩は、東の空が白ばむ程まで話し込んでいたのだ。今頃はぐっすりと、二人揃って夢の世界でイチャついている筈だ。
重い腰を持ち上げて、サミュエルはそうっと家を出ようとした。
「もう行くの?」
声が聞こえる。母の声。仕切りの奥から、音も立てずに近付く彼女は、サミュエルの手の届く位置に止まると、ひどく切なそうに目を細めた。
「本当に、子供って成長が速いわね。私達を置いて、すぐに巣立ってしまう……」
「そうしないと、安心できないでしょ」
「でも、複雑なのよ。親心って」
母の奥へ視線を遣ると、父の姿が見える。顔を隠すその背は、微かに震えていた。
かつて憧れた大きな背中。それもすっかり見栄えのしないものになってしまった。母の伸長も、もう幾年か経れば超してしまうだろう。知らぬ間に、自分はこんなにも成長していたのか。こんなにも彼等は弱々しかったのか。
胸が締め付けられる。居た堪れなくなって、サミュエルは背を向けた。
「あなたの家はここなんだから。……戻って来なさい、いつか必ず」
いってらっしゃい。投げ掛けられる声は、ひどく
■ ■
墓地には既に人が集まっていた。
戦没者の埋葬とその準備は、夜通し行われていたのだろう。棺を運ぶどの人も、隈と疲労を浮かべていた。その中には、村長の姿もある。痩せっぽちの身体を懸命に動かして、目まぐるしく働いている。
監督だけが、彼の仕事ではない。労働にも、彼は進んで従事する。これにはマルケン巡査部長、一一七番植民地両人下に属する人々も怪訝そうだ。
「ちょっと、何やってるの」
「あ、サミュエル君。おはようございます」
村長は汚れた顔を歪め、気の抜けた笑みを作る。
「どうせ寝てないんでしょ。少しは休めば」
「お気遣い、ありがとうございます。でも、どうしても寝られなくて……」
無理もない。昨晩は遅くまで一一七番植民地のナビ子と言い争い、人混みに揉まれ、亡骸を見た。常人ならば、ぐっすりと眠れるような状況ではない。
鈍感な村長ならば、と微かな希望はあったが、それは儚くも崩れ去る。
「途中で倒れないでよ。ナビ子に怒られるの、僕なんだから」
「あはは、大丈夫ですよ。一徹や二徹くらい慣れてます」
「どうなの、それ」
懐疑を示すが、村長の言葉は嘘には聞こえなかった。かつてどのような環境に身を置いていたのか、心配でならない。
「……イアンは?」
「いますよ。あそこ」
村長が示すのは、木の根元である。
墓地の片隅で、青々と葉を茂らせる大樹。よく見ると、そこにある棺桶は友人のもののみで、他は墓地の入口付近に集められている。
それに何かよからぬ意図を想起してしまって、サミュエルは思わず眉を顰めた。
「御両親の近くに埋めてあげようって話になってまして、あそこに置いてあるんです」
サミュエルの気配を察してか、村長が僅かな笑みと共に語る。
「イアン君だけ墓標が木製なので、後で石に作り替えてあげないとですね」
雨と陽に打たれる墓標は、月日を経るにつれ腐敗していく。木製であれば、その進行は遥かに早い。
この墓地には、いずれ再び訪れることになるだろう。しかしサミュエルがそれに同行するか――それは怪しいところである。
墓参りの習慣はない。土葬すら、サミュエルにとっては無縁だ。
殺してきた全ての人は、殺したきり放置してきた。仲間ですら自然に委ねる。それが略奪者。きちんとした埋葬を受けられるのは、上層階級か身寄りがいる者のみである。
死後忘れ去られることはない、形として地上に残り続ける。そういう意味では、イアンは勝ち組なのかもしれない。
「さあ、始めましょうか。――クローイさん!」
そう呼び掛けると、作業台に
彼女の手元には板や
棺桶や墓標を作っているようだ。完成した箱には順次亡骸が収められ、それに取り付いては遺族と思わしき人物が泣き崩れる。
あれが、本来あるべき姿なのだろう。手に付いた木屑を払い、クローイがゆっくりと、様子を窺うように近付いて来る。
「おはよう、サミュエル君。よく眠れた?」
「ああ……まあ」
頷くと、クローイの表情はパッと明るくなる。少なくとも、一晩でこけたように見えるクローイよりは休むことが出来ただろう。
改めて、サミュエルは墓地を見遣る。
木の根元、少年の母が眠るすぐ横には穴が開いている。ちょうど人一人が収まる大きさだ。
ここに、イアンの棺を納めるのだろう。思わず眉間に力が入った。
「お別れ、しますか?」
サミュエルは迷った。
あの顔をもう一度見る。それがどうしても憚られた。だが少年に会えるのはこれが最後である。土の中に埋めてしまえば、もう二度と顔を見ることはない。
「…………」
意を決して頷くと、村長は目を細める。棺に手を掛けたクローイが、そうっと蓋を押した。棺桶の蓋がずれ、髪が――見覚えのある髪色が覗く。
「……眠ってるみたい」
その顔は穏やかだった。苦悶と侮蔑に満ちた、悪魔のごとき顔ではない。眠っている、そう錯覚する程に柔らかい。
ただ一つ、首だけは元通りにならなかったようだ。血や肉はすっかり元のように収まっているものの、白い皮膚には縫い目が確認できる。
それに安堵する自分がいた。サミュエルの罪は消えていない。依然として、あの少年との繋がりは保たれている。そのように思えてしまった。
「後悔しないことを願うよ。まだ生きていたかったって」
ただそれに尽きる。いや、一層のこと後悔してもらった方がよいかもしれない。それはつまり、イアンの予測を裏切ったと同義なのだから。
彼が生きたかったと地団太を踏む程の村を、今後は育てていきたい。それが出来れば、どれだけよいことか。
「バイバイ、大好きなイアン」
おやすみなさい。
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