56話 違う、そうじゃない。
城下町では、マルケン巡査部長の医療班指示の下、野戦病院が開かれていた。
街のおよそ中央、噴水を中心に据えた円形広場に、東屋のようなテントが設置されている。付近の店々や家屋の軒下には簡素な食事処も整備されており、数人が呑気にも食事を摂っていた。
一一七番植民地とマルケン巡査部長、両者の和睦は無事認められたらしい。住民同士のわだかまりは依然として消えることはないだろうが、それは時が和らげてくれる。
村長はサミュエルを診療所に預けると、その場を後にした。
自分の村で待っているナビ子や住民に連絡を入れるのだと、ほんの少し恐怖した様子で語っていた。
この時間帯、普段ならば村人は眠りについているだろうが、何せこの緊急事態である。きっとおちおち寝てはいられまい。
村長にとってはたった一報、しかし人々にとってみれば、長らく生死不明であった人物と再会するような感動を覚えることだろう。間抜けだが人望はある男だ、きっと一言二言のやり取りでは終わらない。
「さあ、出来たよ」
キュ、と包帯の端を縛る。
ネルと名乗る女医師は、長い黒髪を鬱陶しそうに掻き上げると、
「村長さんに言っておいて。モンスターの襲撃もあるんだから、ちゃんと医療関係は充実させておくようにって」
「言っとく」
いつでもタイミングよくマルケン巡査部長やその医療班が現れるとも限らないのだ。
この世界では基本自足。自分で出来ることは、自分で済ませる。皆、暇ではない。
「うちの村長、怪我とかしてなかった? あの人、たまに傷を隠したりするの」
話題に詰まったのか、ネルは他愛ない話を持ち掛けてくる。
マルケン巡査部長は、サミュエルが知る限りでは戦闘に巻き込まれていない。危うい場面は幾つかあったが、幸いにも実害までは及ばなかった。
多分、大丈夫。そう応じると、女性は安堵した様子で沈黙した。
「……医者って、人を生き返らせたりできるの」
口を開くと、ネルの目が訝しげにこちらを見遣る。
「予想している通りの答えだよ」
「じゃあ出来るんだ」
「おっと、世間知らずアピールかな? 無知は好きだけど、無知被りはいただけないなぁ」
「別に、そういうつもりじゃない」
「どういうつもりだったの?」
「魔法。生き返らせる魔法が、本に出てきた」
余った包帯を巻き、汚れた布を箱へ放る。後片付けに手を動かしながら、ネルは肩を落とす。
「魔法と医療は全くの別物だよ」
「魔法使いなら出来る?」
「勇者の旅に同行するくらいの賢者なら出来るかもね」
その口調は、どこか揶揄じみていた。全く本気にしていない。それは明らかだった。しかしサミュエルとて愚かではない。死んだ者は、もう二度と生き返らない、失ったものは戻らない――そう知っている、理解している。
ぱたん、音を立てて箱が閉じられる。そうかと思えば、ネルはまじまじとサミュエルを見詰めた。
「何?」
「別に。お大事にね。傷が塞がるまで、無理はしないように」
黒髪を揺らし、ネルは去って行く。すれ違いざま、温もりがサミュエルの頭を撫でた。
思わず首を傾げる。真意を測れず、ただ茫然とその背を追ったが、すぐに人混みに紛れてしまった。
広場には、辺りを覆い尽くさんばかりに人が集まっていた。これだけ多くの人が一堂に会する集まるなど、何年振りだろう。どれだけ見ていなかっただろう。
耳を澄ませると、どこからともなく笑い声が聞こえてくる。彷徨い出たサミュエルの腕に肩を当てて、子供が通り抜けた。
これからは、『プレイヤー』を探し求める必要がないのだ。子供達が訓練を行うことも、あの少年が再び誕生することない。
きっとこれは、喜ばしいことなのだろう。争いはないに限る。しかしサミュエルは複雑な心持ちであった。
友人が、無駄死にのように思えてならない。
彼が尽力せずとも、いずれ然るべき場所に落ち着いたのではないか。事情を話せば、あの村長ならば快く一一七番植民地の訪問に同意してくれたのではないか。それが引っ掛かってならない。
「……もう、いいだろ。終わったんだ」
頭を振り、思考を払う。人混みは嫌だ。賑やかな場所にいると、つい友の影を探してしまう。おかしくなる。
「あ、いたいた。サミュエル君!」
人混みを掻き分け、よろよろと見慣れた男が近付いて来る。
横切る人々に押され、なかなかこちらへ渡って来ることが出来ないようだ。どんくさい。ああいう流れは、踏み出した者勝ちなのに。
やっとのことで波から抜け出した男は、見るからに疲弊していた。水でも用意すれば、がぶ飲みしそうな様子である。サミュエルはそこまで気を利かせてやるつもりはない。
「はあ、疲れた。人、多すぎですよ。病院の周りにこんなに集まって……大丈夫なんですかね」
「医者が気にしてないならいいんじゃない」
この場で医師として働く人物は、大半がマルケン巡査部長の統括する大所帯より派遣されている。芋洗いのような空間は慣れっこなのかもしれない。
「連絡は終わったの」
「ええ。一応……」
そう言って、村長は視線を外す。
「手短に済ませてきました。明日もあるので。……向こうはもっと説教したそうでしたけど」
説教とは何と高慢な。サミュエルはうんざりとしていた。すっかり少年を信用していたくせに。
「で、何か用」
尋ねると、村長はわざとらしく手を叩く。そうだ、思い出した、そう言わんばかりに。
「棺の用意が出来たそうで、呼びに来たんです」
「……そう」
「来ないんですか?」
「行ったって仕方ないでしょ」
「これが最後なんですよ」
友人の顔を見られるのは、これが最後。これ以降は土に埋もれて見えなくなってしまう。だがもう一度、あの顔を目にしたいだろうか。あの顔――悪魔と生り果てたその姿を、再び。
せめて思い出は綺麗に取っておきたい。サミュエルは逃げるように歩き始めた。
「朝方には埋めるそうです! だから、それまでには墓地に――」
喧騒に紛れ、村長の声はすぐに掻き消える。
足が向かうのは南の方角。居住地が集中する区域だ。城から遠ざかるにつれ家は質素になっていき、次第にボロ屋同然になり下がる。
子供の頃から変わらない。かつて走り回った廃墟が、そこら中に点在する。
あの村長が国の復興へ尽力するようになれば、これらの建物は全て取り壊されるだろう。そして新しい、思い入れ一つない綺麗な建物へと置き代わる。その前に――最後にもう一度だけ、目に焼き付けておきたかった。
「サミュエル?」
時間が止まった。止まったように思えた。背後から掛けられた声。それは紛れもなく、鼓膜によく染み込んだ声だった。
振り返ってはいけない。顔を合わせてしまえば、何もかもが崩壊してしまう。張り詰めた糸も決意も、全部。
「サミュエルでしょう?」
声と足音が近づく。逃げ出したい。足が動かない。どうしても、「子供」には抗えない。
肩越しに様子を窺おうとした途端、サミュエルの身体は温もりに包まれた。稀有とされる色素の薄い髪。太陽の匂い。それが鼻先を掠める。
「まあまあまあまあ、こんなに大きくなって! 覚えてる、お母さんとお父さんよ」
ようやく視界に映るその顔。母、その奥に父。二人揃って目元に涙を浮かべ、感極まった様子でこちらを見つめている。
母の指が目を――潰れ、開くことのなくなった右目をなぞる。その時だけだった。母の口角が引き攣ったのは。
応じられずにいるサミュエルを余所に、二人の表情は次第にほどけていった。デレデレと、情けない程に口元を緩めている。
「本当に大きくなったなぁ。髪の毛もすっきりした骨格も、母さんそっくりだ」
「まあ、この凛々しい目元なんて貴方そっくりよ。お父さんと同じで美形に育っちゃって!」
「美形は母さん似だろう」
「あらあら、お父さんったら。困ったわねぇ、弟か妹が出来ちゃうかもしれないわ」
「この欲しがりさんめっ」
長らく会っていない為か、彼等のテンションは若干高めである。いや、単に忘れていただけかもしれない。これだけ親密なのに、なぜこれまで弟妹が誕生しなかったのか、不思議で仕方ない。
「……帰っていい?」
「そうね、それがいいわ! お家に帰りましょう。ぬいぐるみでいっぱいのベッドも、あのまま残してあるのよ」
違う、そうじゃない。
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