54話 盛者必衰
「もし出来るなら助けてあげたいけど……」
村長は迷っていた。
何に迷っているか、サミュエルには分からない。だがおそらく、余計なことで頭を悩ませているのだろう。この男はそういう人だ。面倒臭い。
「好きにすれば?」
口先だけを動かす。自分の耳にすら微かに届く程度の音量だったが、村長は無事聞き取れたらしい。息を飲む音が降って来た。
「そうですよ、村長さん。他の皆だって、きっとそう言います」
クローイもまた同意を示す。彼女にも届いていたらしい。少しだけ頬が熱くなった。
村長は唸っている。ここに『農民』の男でもいれば、分かり易く、頼もしい言葉を掛けてくれることだろう。しかし彼は、ここにはいない。村長の背を押せるのは、サミュエルとクローイ、ただ二人のみである。
だがサミュエルは関心を持てずにいる。
どちらでもいい。祖国が救われようが、このまま滅亡しようが。今となっては関係のない話である。あの少年――王の願望を満たすべく奮闘していた少年とて、覚悟していただろう。
再興と荒廃、どちらにも傾き得るのだと。
「……いいですか?」
「どうぞ。俺は必要ないので」
村長とマルケンは互いに目配せをする。答えは決まったようだ。
「じゃあ、一一七番植民地のナビ子さん。占有とやらをしたいんですけど」
「……はい。ここにサインを、お願いします」
王は懐からバインダーを取り出す。赤の下地に獅子の模様――この国の紋章が刻まれている。
もう少しで王の願いが叶う。そうだというのに、彼女の表情は一向に晴れなかった。それに村長も気付いたらしい。バインダーを受け取ろうとする手を止め、
「何か気になることがありますか?」
「……王、ここのプレイヤー様が戻って来た時に、どう思われるか……」
「戻って来たらお返ししますよ。……それも出来るんですよね?」
「いいえ。村の放棄は、基本的に認められていません。元々所有していた人物に、所有権を譲渡する場合も同様です。例外はありません。出来ることは奪い取る――ただそれだけです」
再び村長の顔に迷いが生じる。なぜそこまで、面倒事に首を突っ込もうとするのか。あのまま、何も知らず、に占有のサインとやらを済ませてしまえばよかったのに。
「あの……村長さん、今は助けることが先決じゃないでしょうか」
クローイが口を挟む。
「後のことは、一緒に考えましょう?」
「クローイさん……」
向こう見ずの言葉ではあったが、村長の背を押すには十分であったらしい。彼は目を伏せた後、力強く頷いた。
村長の手がバインダーを受け取る。村長の村に伝わるバインダーよりも、ずっと多くの紙が挟まれている。これが歴史の差。紡いできた時間の差であろう。
「サイン、します」
村長が持つペンが文字を刻む。
ポリプロピレンニキ。
マルケンといい、『プレイヤー』とは妙な名前ばかりである。ポリプロピレンニキ――口の中で反芻して、サミュエルは一人首を捻った。
白色の紙面に署名を終えた途端、村長の手元が光る。儀式は完了した、そう言わんばかりの光である。
「本当に俺、設計図を描くとか、そのくらいの手助けくらいしかしない――というか出来ないと思います。それなので、この村の運営は、今後もナビ子さんにお任せしてもいいですか?」
「私に、ですか」
鳩が豆鉄砲を食らったよう、その表現が当てはまる。すっかり意表を突かれた様子の王へ、村長はばつが悪そうな笑みをもって返した。
「占有したいとか言い出しといて何ですが、今は自分の村の運営で精一杯なので……。ど、どうでしょう」
「……分かりました。その方が、民としても混乱せずに済むでしょう。王は王のまま、指揮を執ることにします」
「王様は続けるんですね」
「民には王が必要ですから」
ようやく王の顔に笑みが戻る。だがやはり、どうしても「本来の王」とやらの存在が片隅にあるようだ。
笑みは笑みでも、影がある。心の底から――サミュエルの知るナビ子が浮かべるような、無邪気なそれとは程遠い。
「それじゃあ一件落着ということで、一仕事してもらってもいいですかね」
マルケンが一つ手を叩く。ああ、と王は頷いて、
「戦闘を止めるのですね」
「戦闘!?」
外の様子を知らない村長は、素っ頓狂な声を挙げる。
「えっ、戦闘? なんで――」
「そりゃあ、村長が拉致られたら、戦争にもなりますわなぁ」
「…………」
どうせ村長は、誘拐されたなどとは思っていないだろう。人助けの為に連れて来られた、その程度に捉えていたのかもしれない。ようやく彼は、自分の立場を理解したようだ。
平生の腑抜けた様子はなく、それ以上に萎れている。
「まあ、今回のは例外とは言え……もう少し危機感を持った方がいいかもしれませんね。俺達が死ねば、
「……気を付けます」
村長がいなくなれば村は衰退する。村長の代わりは存在しない。
かつて友人が呟いていたように、村長――『プレイヤー』は、特別な力を持っているのかもしれない。
すぐ近くにいる男もまたその一人であるとは、にわかに信じ難いが、どの村にもいる『プレイヤー』が、どこでも重視されるとなれば、そう考えざるを得ない。
「さて、と。では、お先に失礼します。いつここを発つか決定し次第、連絡しますね。……くれぐれも村人を近くに置いておくように」
ポンと村長の肩を叩いて、マルケンが部屋を出て行く。王は形式ばった一礼をすると、その後を追った。
部屋には三人が残された。サミュエルにクローイ、村長。改めて再会を喜ぶかと思いきや、
「サミュエル君、傷、治療! どうしよ、包帯とかないですよ……」
開口一番はこれだった。村長は狼狽える。それはもう、滑稽な程に。
それに釣られてか、クローイの顔にも焦りが見え始めた。先程までのキリリとした彼女はどこにもいない。いつも通りのオドオドとした女性が、そこにはいた。
依然として刺さったままのナイフを抜き取り、放る。栓を失った割れ目から赤がこぼれる。友人が見ていたらどやされるだろう、我ながら荒治療である。
「処置くらい、自分で出来る」
「あ、あの、ここに布あります! この汚れてない部分を使って……」
クローイが手にしているのはシーツである。返り血に濡れたサミュエルを拭った布――友人の血が染み込んだ綿布だ。
流石の村長も、布を汚しているものに気付いたらしい。複雑そうな顔をしつつ、布を引き千切るクローイを眺めていた。
「……そういえば、イアン君に会いましたか?」
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