49話 希望

 少年の連撃は、オリハルコンの波紋を打ち鳴らす。一撃は大して重くはない。しかし絶え間なく与えられる衝撃は、次第にサミュエルの手を、腕を、身体を蝕んでいった。


 攻撃を受け続けるのは得策ではない。分かっている、分かっているのに、どうしてもサミュエルは反撃に出ることが出来なかった。


 哀艶とした剣の紋様。それは多くの武人が羨む最高の素材、オリハルコン製だ。それが一度ひとたび少年の首に触れようものなら、野菜のように断ち切ってしまうだろう。


 鋼のナイフと衝突すること自体怪しい。現にそのナイフは、刃こぼれを起こしている。痛ましい程に、刃はギザギザだった。


「ね、サミュー。一人で出て来ちゃったのは謝るからさ。ね? いい加減、機嫌直してよ」


 ナイフと剣、その間にギリギリと音が鳴る。下がる眉は心底申し訳なさそうにしていたが、口元は歪んでいた。狂気に、歓喜に、あるいは侮蔑に。


「よく抜け抜けと……僕を置いて行ったくせに」


「ごめんね。あのタイミングじゃないとって思ったんだ。ホントに申し訳なく思ってるから」


「そう思ってるなら引けよ」


 イアンがお手上げと言わんばかりに力を緩め、後退する。しかし一足のもとサミュエルへ飛び掛かると、ナイフを振った。


 既の所で避けた少年の前髪を、数本さらっていく。争いの手を止めるつもりは、はなからないらしい。サミュエルは眉根を寄せた。


「殺されたいのか」


「殺さないよ、サミューは。殺せないでしょ。殺したくないでしょ。友達だもん。とってもとっても大事な、おれの相棒。ね? これでおれ達、国に帰れるんだ。もう旅をしなくてすむんだ。争う必要なんて、もうないじゃないか」


「だから黙って死ねと」


「そう聞こえる?」


 ニイと笑って、イアンは再び刃を振る。サミュエルはその腕を掴んで、ぐいと捻った。剣、その上にナイフ、それぞれが落下する。


「……っ、そうやって、無力化したつもり?」


 イアンの顔に苦痛が滲む。


「無駄だよ、。そんなことしたって。邪魔するなら殺す。こっちに来るなら、前みたいに仲良くしてあげる。簡単な話でしょ」


 ちらりと背後に視線を遣る。マルケン巡査部長とクローイ、二人はとっくに姿を消している。腑抜けた顔の村長を捜索するため、この場を離れさせたのだ。


 護衛がいなくなる、そのことを憂慮しない訳ではない。だがあの女なら――実家では狩りをしていたと豪語するクローイなら、幾分か持ち堪えられるかもしれない。淡く、蜘蛛の糸のような希望ではあったが、それに託せざるを得なかった。


 仮にサミュエルが長らく足止めを食らっても、シリルやアレクシアがいずれ合流する。どこまでも守ってやらねばならない赤子ではないのだ。きっと大丈夫。きっと身を隠すくらいの機転は利かせる。


「そんなボロボロの装備で、どう殺すっていうんだ」


「……その綺麗な剣、おれでも使えるでしょ?」


 反発が強まる。サミュエルは一層力を強めて押さえ込む。


 同年齢、似た体格ということもあって、力比べの戦歴は五分五分である。今まで――サミュエルが「相棒」と呼んでいたイアンとの勝負では。


 元『狩人』の現『戦士』と、元『戦士』の現『罠師』。勝負は拮抗している。しかし、イアンがやや優勢である。まだ余裕があるように見える。おそらく、この開きつつある差には前職とその経験が関係しているのだろう。


 サミュエルが就いていた『狩人』は、弓とナイフを主な武器とする。一方『戦士』は剣だ。弓やナイフと剣、どちらが重いかと問われれば、多くは剣に軍配を挙げる。


 重い物を扱って来た分、それだけ筋力が鍛えられる。二人の溝を開きつつあるのは、それかもしれない。決して情けなどではない。


「イアン」


「なぁに、サミュー」


 ころりと口調を変え、彼は優しく尋ねる。


 これだ。さながら洗脳でもしているかのごとく、少年は声色を切り替える。これにサミュエルは何度も惑わされてきた。


「僕は……僕は、国に戻らない」


 ぴくりとイアンの眉が動く。


「飯はマズイしアランのいびきは煩いし、ルシンダの鼻歌は下手糞だし、クローイはウジウジしてムカつくし、ナビ子は面倒臭いし……あの男は、鬱陶しい。だけど、でも……いや、だからこそ」


 ギリギリと腕を押し返す。


「あの国は放っておけない。あの村を、僕は守りたい」


「なぁんだ、もうとっくにほだされてたのか」


「イアンは何も思わなかったの、あの村でしばらく暮らして」


「思ったよ、そりゃ。おれにも感情はあるもん」


 突然足元が掬われる。半ばもつれ、押し倒すように、イアンが圧し掛かってくる。肩と腰、それぞれを押さえ込まれ、サミュエルは身動きが取れなくなった。


 視界の外でイアンの足が動いている。前言通り、サミュエルが持って来た剣を手繰り寄せているのである。絞首台の階段を上がるように、ゆっくり、ゆっくりと死が迫る。


「サミュエルって不器用だよね。さっきも、嘘でも戻るって言えば、隙が生まれたかもしれないのに。……ホント、そういう所だよ。そういう馬鹿正直な所、ちょっと憧れてた」


 とうとう目の前に艶やかな剣が現れる。オリハルコン製の剣。それがサミュエルの喉に切っ先を向けた。


 一瞬の油断が命取り、まさしくその通りである。油断をしたつもりはないが――いや、していた。心のどこかで。きっとイアンなら、サミュエルの意をんでくれる。理解してくれる。手を休めてくれる。心を惑わせてくれる。そう侮っていた。


「そんな顔しないでよ。大丈夫、一撃で終わらせる」


 微笑むイアンは、少し悲しそうだった。


「バイバイ、大好きなサミュー」

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