5章 忘れられた国

39話 獣の如く

 その日、俺は穴だらけの部屋にいた。


 手には縄。尻の下には埃に塗れたベッド。格子を嵌めた窓は、やつれた街並みを臨む。栄光の果てに衰退した町。それを見下ろす俺の背を、声が叩いた。


「時間です」


 迎えに来た『ナビ子』は、冷徹とした目で俺を眺めていた。


   ■    ■


 《小麦》の加工、『罠師』の確保を経た村は、次第に安定した生活を送ることが出来るようになった。


 だがそれでも、食糧事情は未だ綱渡りの状態である。いつ均衡を崩すとも分からない。俺が「口」に加わったことが、何よりの圧迫だった。


 ナビ子と『ナビ子』との会談から早五日。俺は、マルケン巡査部長と同じく、「『村人』のように生きる『プレイヤー』」になることを選んだ。


 苦楽を共にしたい、ただその一心で変更した設定――正確には戻した設定ではあるが、正直キツイ。よくこれまで、村人達は不満一つ洩らさず作業を続けていたなと感心する程である。


 ニートを志望してまなかった男が、進んで仕事を行うようになったのは、これが原因であるかもしれない。


「アランさん、そろそろ《ニンジン》はキツイです」


「はいはい。そーかい、そーかい」


 畑のさらなる拡張を進める背を眺めつつ、俺は手元の紙を弄る。村の設計図――今後どう村を発展させていくか、その案を描いた紙だ。


 先日設置した《井戸》を中心に、四方へ道を引く。その周りに施設を置く。家屋は、各住民の仕事場に近い位置に据えたい。これが現段階の構想である。


 ゲームのクリア条件である施設の充実。それを満たす為にも、少しずつ構想を物にする必要があった。


「そろそろ『調理師』……でしたっけ。欲しいですね」


「それなら後継を探してくれよ。放っておけないだろ、これ


 加工人がいても、材料の生産が止まっては仕方ない。『調理師』に最も近い位置にいるアランを転職させる為には、その後釜となる『農民』を新たに用意しなくてはならないのだ。


「そうですよねぇ……。新しい人、受け入れないとかなぁ」


 人口を増やしたいのは山々だが、気に掛かるのは、やはり新参の少年二人である。


 彼等を迎えてから十日も経っていない。いくらこの村の生活に慣れてきた頃とは言え、果たして新たな入植者を迎えてよいものか。彼等の心情に、何か悪い影響を及ぼさないだろうか。


 「正式に招かれた者」と「捕虜から村人になった者」、両者の間には明確な差がある。デリケートな問題だ。とはいえ、この村を発展させる為には、とにかく人手が必要である。


 こうして迷っている時間も、もはや無駄のように思えてくる。


「……ま、村長一人で悩んでても仕方ねぇだろ。手っ取り早くあいつらに訊いてみたらどうだ?」


「とうとう読心術を使えるように……」


「当たりだったのかよ」


 アランは呆れ顔を作る。この村における最初の村人にして同年代の男は、気の置けない友人となっていた。他の村人やナビ子とも良好な関係は築いているが、異性ということ.もあって、気を使う場面も多少存在するのである。


「アランさんの仰ることも尤もですよね……。相談してみることにします」


「おう、是非そうしてくれ」


 大抵の場合、最初の結論に行き付く相談事に、彼も飽き飽きしているのだろう。それでも構ってくれるのだから、この世界の人間は温厚だ。


 耕作を終えたアランは、次いで種撒きに取り掛かった。


 以前から植えていた《小麦》と《ニンジン》、《亜麻》の他、新たな作物となる《カボチャ》と《ジャガイモ》、《茶葉》の苗数本を迎え、食糧基盤の確立と嗜好品の確保へと本格的に乗り出した。


 今後増えるであろう人員とキャラバンとの交易を見据えての決断である。


 新人の受け入れに尻込みしているとは言え、その答えは半ば決まっているようなものだ。


「ねーねー、村長さーん。ちょっとこっち来てくれるー?」


 イアンが駆けて来る。悩みの一角を成す彼は、俺の憂慮を吹き飛ばす笑みを浮かべていた。


「イアンくん、どうかしましたか?」


「ちょっと来て、すごく大きな川を見つけたんだ!」


 ぐいと腕が引かれる。元『戦士』であるだけあって、少年の力は強かった。


 この近くに川などあっただろうか。記憶を探るうちに、俺は普段イアンが狩場として出入りしている森へと導かれた。


 その森は村から離れた位置にある。伐採の手も深く入っておらず、まさしく「手つかず」の自然が多く残っている。以前、動物の血抜きを披露してくれた湖も、奥に居座っている。


 木の根に躓き、小石に滑る。


 不慣れな俺の一方、毎日のように通う『罠師』の足取りは確固としていた。草を掻き分け、獣道を踏み、開けた場所へ――。


「……え?」


 そこにあったのは家だった。いや、家と呼ぶにはあまりにも質素である。テントと称するべきであろう。


 獣の皮を張り合わせた円錐と、その傍には小さな焚き火。鼻の長い《ジビナガシープ》の姿も確認できる。何より人がいた。一組の男女である。注がれる眼光は獣の如く、とても迷子には見えない。


 ようやく理解した。俺は今から「異常」に巻き込まれようとしているのだと。


「分かるね? ちょっとだけ、おれ達に付き合ってくれる?」

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