35話 探究せよ、乙女

 《小麦》の脱穀作業を村人達に任せ、俺はイアンとルシンダの様子を窺いに向かった。


 イアンは狩りへ向かった、その報告は聞いているが、ルシンダはというと不明である。仕事を任せた覚えはなく、休憩を取っている様子もない。


 考え至るのは、たった一つだった。二人は一緒にいるのではないか。


 村から離れた場所にある森林――狩場と聞いていた位置よりもさらに奥の水辺に、彼等は揃って蹲っていた。まさか食あたりでも起こしたのだろうか。


 サッと血の気が失せる。慌てて駆け寄ると、ふとイアンが面を持ち上げた。


「あれ、どーしたの?」


 顔色と声色はいつも通り。不調はないようだ。俺は胸を撫で下ろす。


「様子を見に来たんです。何をやっているんですか?」


「解体を教えてるんだよ」


 イアンの手には、血に濡れた《石のナイフ》と毛の塊がある。『罠師』イアンが捕らえた小動物のようだ。


「――で、ちゃんと血抜きをしたら内臓取り出して……」


「この時も持ったままですの?」


「地面に置いたままなのは、ちょっと気分悪いからねー。まあ、土が付いても洗えばいいんだけどさ。サミューの奴、そういうの気にするんだ」


 二人旅をしていた頃、狩りをサミュエルが、解体はイアンが担っていたというだけあって、手際は確かだった。


 小型犬程の動物はみるみるうちに「肉」と「皮」に分けられ、「資材」と化す。その様子を感慨深げに眺めていたルシンダは、剥ぎ取ったばかりの毛皮を撫でると、


「肉ってこうやって採れるのね。初めて見たわ」


「おねーさん、こういうことしないの?」


「わたくしの前に出る肉は全て調理済みだったのよ。生肉を見るのも初めてだわ」


 彼女の家は、まつりごとに関わる家柄である。


 この地に流れ着くより前は、生肉を見ずに済む暮らし――自炊すらしない生活に身を置いていたのかもしれない。イアンからすれば、まるで異世界のような生活であろう。


 歪む少年の顔には、信じられないと書かれていた。


「じゃあおねーさんは、皮のなめし方とか内臓の使い方とか、何も知らないんだ?」


「皮なら知ってるわよ! バンバン叩いているところを見たことがあるわ!」


 年齢こそルシンダが上ではあるが、この地においてはイアンの方が先輩である。


 『学者肌』という特性もあってか、ルシンダの興味は決してついえることがない。「先輩」へ質問を投げ掛ける。


「内臓って何に使うの? そんなぐちゃぐちゃなの、食べられそうにないわよ?」


「食べられないこともないけど……まあ、これだけ小さいとね、特に使えないかな。でも、もっと大きな動物だったら……そうだなぁ、水筒とか小物入れを作れるよ」


「水筒? 小物入れですって?」


 ルシンダの目が輝く。


「ああ、興味深い。解体も加工も、全部やってみたいわ! 村長、クローイが作ってた道具、わたくしも当然使えるのよね?」


「さ、さあ、そこまでは俺も……」


「使えなかったらわたくし、『罠師』になるわ!」


「『ニート』志望設定はどこに行ったんですかね……」


 だが労働に意欲を見せてくれるのはよい傾向である。このまま希望する役職を、忘却の彼方までかっ飛ばしてくれればよいのだが。


「検討はしておきます。一つの役職に、最低一人は欲しいと思っているので、後継人が育てば……」


「相談には乗ってあげようじゃない」


 高慢とした態度ではあったが、それを不快とは思わなかった。もう慣れたのかもしれない。


 俺はイアンを一瞥してから湖を見遣る。


 湖はおよそ楕円形をしていた。周りには樹木が立ち並び、さながら龍神の住処の如く泉を覆い隠している。今まで発見できずにいたのは、それが原因であろう。意図せずしてよいものを見つけてしまった。


 だがこの泉は、村から随分離れている。水が入り用になっても、ここまで一人で向かわせるのは危険だ。今こそ息を潜めているが、いつどこでモンスターが襲ってくるとも分からないのだから。


「湖から引くとか井戸を掘るとか、水問題もどうにかした方がよさそうですね」


「そうしてくれると有り難いかな。解体のたびにここに来るの、面倒だし」


 話しているうちに、イアンが立ち上がった。彼の手には肉と毛皮、内臓を包んだ葉がある。彼は木の根元にまで移動すると、慣れた様子で葉の包みを降ろした。供え物のようだ。


「何やってるのよ」


 怪訝そうなルシンダがそう尋ねてくる。面を上げたイアンは、ちらりと自分の足元に目を遣ると、


「……こうやって、ちょっとだけ残しておくのが、おれなりのルールなんだ」


 そう言うなり、イアンは足早に立ち去る。隠し事を暴かれた、そう言わんばかりの羞恥が、彼の背から滲み出ている。


 それを見送ったルシンダは葉包みを一瞥した後、小さく――本当に小さく、隠れるように顎を引いた。


 どのような意図が含まれているのかまでは不明である。だが俺には、それが敬礼のように見えた。


「さ、戻るわよ。村はどんな感じ?」


「《小麦》の加工中です。そろそろ終わると思うのですが……」


「何、もう始めてるの!? 早く言いなさい!」


 ルシンダは悲鳴の如く一喝する。そうかと思えば、長いスカートを翻して走り出した。足元は、相変わらず高いヒールに支えられている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る