僕を連れ出して

柳翠

第1話僕を連れ出して

ある日の夕方。

久しぶりにインターホンの音を聞いた。

部屋に響いた音を聞かないようにイヤホンを耳に入れる。それでも鳴り止まないインターホンの音に鬱陶しく感じながらもめんどくさくなり、渋々外に出た。

夕方の日差しもあってかそこに立つ少女の顔が翳っていて整っている顔、としか認識できなかった。

「どちら様ですか?」

一向に話しかけてこない少女を不思議に思い家族以外の人と久しぶりに話したと思った。

「こんにちわ」

彼女は満面の笑顔で挨拶をした。これから咲き誇るであろう桜が脳裏をよぎった。

まるで桜のような笑顔に白い歯が、ポロリとこぼれる。

彼女の声音は僕の耳を癒してくれる力があると思わされるほどに澄んだ綺麗な声だった。

「あのね、プリントを届けに来たの」

この時期は新学期が始まり毎回こうしてプリントを届けに来てくれている。それでも、僕の家は学校から少し離れているためか、だんだんとプリントを届けるのがめんどくさいと感じるのだろう、二週間が過ぎれば誰も家のインターホンを押さなくなった。

この人は何週間持つだろう。

「はい」

「どうも」

受け取ったプリントはいつもと違くて学校で配られるようなものではなく寄せ書きのようなものであった。

寄せ書きと言っても一つしか書かれてなかった。

『学校で会おう! 千華』

それだけがA 4サイズの紙にでかでかと書かれていた。

彼女が書いたであろう寄せ書きを貰いつつこんな人クラスにいたかと思い出そうとするが、学校に行ってないから思い出すことも出来ない。

「ありがとうございました」

一つ例を言って、早く帰ってくれと言う意味も含めてドアを閉めた。

「またね」

その形のない果たされることは無いだろう約束を、虚空に捨てるように忘れることにした。

翌日の放課後。

「また来たよ」

「ああ、うん」

「はい」

そう言って彼女が差し出したのは箱に入ったお菓子だった。

不思議に思い首を傾げながら尋ねてみると。

「美味しいよ」

とだけ返ってきた。

しばらく沈黙が続いてそろそろ帰ろうと言う流れになったと思ったのでドアを閉める。

「まって」

既のところで、呼び止められる。

めんどくさいと思いつつドアを閉めるのを中断させる。

「なにか」

「これから散歩に行かない?」

「行かない」

「ちょっとだけ」

「行かない」

僕はめんどくさくてさっさと部屋に戻りたい一心でドアを閉める。

「また明日ね」

また、明日の約束を交わして今日が終わった。

翌日も、その次の日もその次の日も、彼女は絶えることなく僕の家に来続けた。

そろそろ来てもらうのも申し訳なく思い、

「明日からこなくていいよ」

と告げた。

彼女の反応は、あからさまに驚いていた。

「なんで」

「いや、僕の家に来るのも大変でしょ? それにいくら来てもらっても学校には行かないから」

それだけ言い残してドアを閉めようとするが足を挟んでそれをせき止める。

「ねぇ、少し外に出よ」

「いや、僕はいい」

「いーから、少しだけ」

そう言って彼女は僕の手を引いて無理やり外に出させた。

ああ、綺麗。

彼女の顔を改めて見てみるとその感想が脳内からとび出た。

春の匂いを纏わせながら彼女は甘ったるい声音で言う。

「散歩しよ」

彼女はそれを僕に言うとすたすたと僕の前を歩いていく。

渋々、ついて行くことにした。

外に出て気づいたことがある。

まず最初に、まだ寒い事だ。毎日暖房のきいた部屋で過ごす僕にとって外の気温などどうでもいいものだった。

二つ目に、家の前にあった桜の木が切られて無くなっていたことだ。

綺麗に春の訪れを知らせる鐘の役割をしていたその桜は、枝が一本も残らぬ状態で木の幹だけが裸になっていた。

しばらく歩いたところで彼女は「もう暗いですし帰りましょう」

と言って解散した。

何週間かした頃、彼女が家に来ることは恒例になっていた。

なぜか今日は自転車を、玄関先に止めて待機していた。

「サイクリングに行こう」

僕は数年ぶりに見る自転車を引っ張り出して錆びれてしまったペダルを漕ぐ。

ギィコギィコ痛々しい音が終始鳴り響いていた。

坂道に差し掛かると引きこもりの体力では厳しかった。

「ちょっと、歩きましょう」

そう言って跨いでいた足を地面につけた。

僕もそれにならい地面に足をつける。

「着きました」

目的地があったことも知らなかった僕はその光景に唖然とした。

「この季節になると、山の上から見える景色が最高なんです」

僕は見た事もないような、いや、正確に言えば見ようともしなかった世界が広がっていた。

桜のピンクがまばらに街に広がっていて、ただの小さな街が綺麗だった。

「綺麗」

つい口から言葉が出てしまうほどその景色は僕の目に焼き付いた。

翌日から彼女は度々自転車でうちに来るようになり、僕はそれを楽しみにしていた。

ある日のこと。

うっすらと気づき始めていたが、桜が散り初めて、木が来年の春に向けて眠りについた。

新緑に侵食された街はまた違う街に見えた。

僕はいつしか、カメラを持ち歩くようになった。この素晴らしい景色を虹色のレンズで収めておきたかった。

撮った写真を現像しては彼女にあげるようにもなった。

「綺麗に撮れてるね」

「なかなか、いい感じだね」

僕はイタズラで彼女の方にカメラを向けた。

「こっち向いて」

「なに?」

パシャ。

乾いた音が広がった。

彼女は撮られたままの表情で呆然としていた。

「ちょっと、やめてよ」

僕の肩を軽く叩く。

桜のような笑顔を向けて僕はもう一枚撮る。


翌日から彼女は僕のうちに来なかった。

ついにこの日が来たか。

僕のうちに来ることに飽き飽きしてしまったのか。

いつか来ると思っていて覚悟していたが、現実になると悲しくなってしまった。

僕は現像した彼女の写真を机の上に置く。

翌日から僕は学校に行くことにした。

彼女に合いたかったからだ。

意を決していたが、学校は以外にもあっさりと僕を受け止めてくれた。

「よう、来たか」

「久しぶり~」

「元気だった?」

僕は何事もなく教室に向かった。

久しぶりに見るメガネの先生が久しぶりの声音で言った。

「昨日、桜井千華さんが、転校しました。急なことですが、初日にも言ったように千華さんはお父様の仕事で街を転々とします。最後の挨拶は出来ませんでしたが、よろしくと伝えてと言われました」

僕は学校を早退した。

彼女のいない学校には用はなかった。


五年後。

パシャ。パシャ。パシャ。

数回のシャッター音が僕の耳に届く。

この時期の桜は最高だった。

彼女の教えてくれた穴場で三年ぶりに戻ってきたこの街で僕は写真を撮り続けた。

「いい景色ですね」

不意に声が聞こえた。

振り返ると、桜のイヤリングを耳に垂らしながら、あの甘ったるい匂いを放ちつつ、笑顔を絶やさなかった。

桜のような笑顔に、僕はパシャとシャッターを押す。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕を連れ出して 柳翠 @adgjmptw0455

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ