(7)レオスの気持ち


 ロゼからの知らせに、私は立ったまま、ぎりっと拳を握り締めた。


「ロゼ! すぐに着替える!」


「失礼します!」


 私達の話を聞いていたのだろう。急いで、レオスも騎士服を翻して部屋を退出していく。


 そりゃあそうだろうな。数日前の刺客を捕まえたのは、レオスなのだ。それが、やっと意識が戻りそうになり、背後関係が洗い出せるという可能性が見えたところでの突然の脱走だ。


 悔しくないはずがない。


 私もすぐにでも駆けつけたいが、この格好では無理だ。


 だから、急いでマリエルの部屋に戻った。そして、背中の紐を解き、重いまでに白い絹の重なった豪華なドレスを脱ぐ。


 用意されたたらいの水を手に掬い、ざばっと化粧を落とした。マリエルが横から心配そうな顔で差し出してくれた綿の布をとり、洗い落としきれなかった化粧を急いで拭き取っていく。


 さすがに、目尻に描かれたラインや、眉墨などは、洗っただけでは完璧には落ちていないらしい。


『ここ、残っているわ』


 指先で指し示して教えてくれるのがありがたい。間もなく女王様になるはずなのに、本当に自分の友達みたいだ。


 いや、従姉妹で短期間とはいえ幼馴染みだから、友達の枠に入れてもかまわないのか。


 うん。だったら、尚更守らないと。


「ありがとう」


 だから安心させるように微笑んで礼を言うと、急いで金髪から髪飾りを外した。


 今回はオーレリアンが訪ねて来たのが突然で、凝った髪型にできなかったのが幸いした。表面だけ髪油で固めた髪は、崩して、櫛で力をいれて梳けば、すぐにいつもと同じ姿に戻る。だから、赤い紐で急いで一つに纏めた。


 外した高価な首飾りや髪飾りを無造作にテーブルに置いておくのは、金銭感覚的に申し訳ないのだけれど、エマとロゼがいれば大丈夫だろう。少なくとも、私が怖々とした手つきで扱うのよりも、余程手馴れた仕草で仕舞ってくれるのは間違いがない。


 だから、慌てて青い騎士服に着替えると、急いでマリエルの部屋を飛び出した。


 白い石で造られた階段を駆け下りて、豪華な青色の手すりに掴まりながら、踊り場でも足を緩めずに方向を変えていく。


 そして、一階にまで下りると、横の狭い部屋に人だかりがあった。


 あちらは確か到着したばかりの客人を待たせておくために使う部屋だ。シリル長官への面会は、多い日になると一日に何人も王宮から来るから、来客が重なった時のための待機部屋だ。けれど、今日は扉の前に人だかりができている。


「通して!」


 遠巻きに見ているメイド達を押しのけて前に出ると、部屋の中では二人の人物が騎士達に支えられて、手当てを受けているようだった。


 一人はまだ若い女性だ。騎士に上半身を抱えられながら、白い布に包まれた頭を、やっと目覚めたように振っている。


 もう一人は、もっと重傷のようで、頭から血を流している。こちらは、制服から見ても衛兵だろう。意識ははっきりしているみたいだが、悔しそうに叫んでいる。


「あいつが! 突然後ろから殴りかかってきて!」


 状況がよくわからなくて、私は周りを取り囲んでいる人影の中に知った顔を捜した。


 すると、苦虫を潰した顔で、レオスが重なる人ごみから出て行こうとしている。


「レオス!」


 だから、私は急いで彼の青い袖を引っ張った。


「いったい、何があったんだ!?」


「見ての通りだ。ここで腹痛の手当てを受けていた使者の従者の一人が、介抱していた女性と見張りの衛兵を気絶させて、いなくなった」


「そして、直後に牢屋に閉じ込めていた先日の侵入者がいなくなった……?」


「そういうことだ」


 ――やられた!


 ぎりっと唇を噛む。


 オーレリアンめ! 最初から、これが目当てだったんだ!


 きっと侵入者が捕まった直後に飲んだ毒というのは、最初から三日間だけ眠り続けるものだったのだろう。薬の効き目が切れる頃合いを狙って、刺客が王妃の配下とわからないように回収しにきたというわけだ!


 ――よくも!


 閉じた瞼の裏で、オーレリアンの銀色の髪が細い刃のように翻る。不敵な光を思い出して、私はこれ以上刺さらないほど爪を自分の手のひらに食い込ませた。


 ――だから、八十点だったんだ!


 最初に、あいつの思惑を見抜けなかったから!


 はなから満点を与えるもりなどなかった。私との問答は、オーレリアンにとってただの時間稼ぎにすぎなかったのだから!


 くそっ!


 この憤りをどこにぶつければいいのか――。


 けれど、先にどんと私の横の壁が叩かれた。


「くそっ!」


 え!? それ、今私が言おうとしていたのだけれど。


 けれど、レオスは怒りのやり場がないように壁を手で叩くと、まだ足りないという顔で、私を振り返っている。そして、一度開いた口が一瞬止まって、叫んだ。


「俺は、すぐに逃げた男を探しに行く!」


「あ、ああ――私も行く!」


 急いで歩き出したレオスの後を追うと、一緒に捜索の騎士隊に加わった。


 そして、一斉に馬に鞭をくれて、開けられた離宮の頑丈な城門をくぐると、ばらばらに市街地へと続く道を探し出す。


 私は先輩の騎士と組み、ホワイユ離宮のある郊外から首都イルドへと続くポプラ並木へと走っていく。馬上では、ポプラの木を渡って吹きつけてくる風は、もうすっかり冷たい。


 見回せば、道に並ぶポプラの葉は、いつの間にか茶色くなっていて、半分は落ちてしまっている。けれど、野を覆う秋の草にはまだ緑のものも多く、生い茂った草むらの中では可憐な紫の花をつけているものさえある。


 逃げた刺客が隠れようと思えば、丈の高い草の中に身を潜めることも可能だ。


 ぎりっと唇を噛んだ。


 走り過ぎていく草と草の間に、布の端でも見えないかと馬上で目を凝らす。


 そのまま馬を駆り、人の少ない郊外に広がる田園の畦道、隠れるのに最適な林の中の小道のどこかに潜んでいないかと探していくが、どこにも脱走した刺客の姿は見えない。


 いくら緑に包まれた離宮とはいえ、イルドの市街地まではそう離れてはいない。すぐに捜索隊は、市街地の人ごみにつき、人々の好奇の視線に晒されることになってしまった。


「ありゃ、あれは王宮騎士団じゃないか? 集団でどうしたんだろうね」


 さすがに都ではたくさんの市がたっている。軒先に並べられた新鮮な野菜を求めにきていた子供を連れた女性が、店主の声に、不思議そうに馬に乗っている騎士隊を振り返った。店主の声と共に向けられてくるたくさんの人の眼差しに、一緒に探していた先輩の騎士が、ちっと舌打ちをしている。


「だめだ。これ以上派手に探すと、マリエル姫の身に何かあったと噂になる」


 特にイルドの街では、王宮からの目が絶えず見張っているのだ。迂闊な動きをすれば、逆にマリエル姫が不利になる話を捏造されかねない。


 ――だめだ!


 オーレリアン! あいつやはり、自分の馬車に逃げた刺客を隠しやがった。


 いくら隠れるのがうまい刺客だったとしても、逃げ出してすぐにこれだけの騎士が、馬で探し始めて、イルドの市街地まで誰にも見つからずに逃げ続けられるなどありえない。


 考えられるのはただ一つ。帰路の途中で、決して検められない王妃の馬車に刺客を隠し、王城に戻ったということだ。


「くそっ!」


 これ以上探してもどうにもならない。きっと、相手はもう王妃の住む城に入ってしまっただろう。


 だから、先輩が言う通り、騎士隊による大規模な捜索は諦めて、隠密で探す一隊に委ねて帰途についた。


 馬の疲れた鼻息を聞きながら、夕方離宮の庭に戻ると、やはり見つけることができなかったのだろう。騎士隊の入り口を背にしながら、レオスが疲れた様子で馬の顔を撫でてやっていた。


 けれど、私が歩いてくるのに気がついたのか。薄闇の中で、こちらを振り返る。


「見つかったか?」


「いや――」


「そうか」


 きっと、返事はそう返ってくると思った。


 だから、俯いた顔に励ますように声をかける。


「元気を出せよ。きっと捕まるさ」


「いや、俺のせいだ。最初に使者の従者が腹痛で休みたいと言った時に、もっと怪しむべきだったんだ」


 おおっと。思った以上に責任を感じているな。


 そりゃあレオスにしてみたら、自分で捕まえた侵入者を逃がされた上に、あの夜の女性の事情を知っている数少ない相手だったのだから、気になるのは仕方がないのだろうが。


 でも、あの女性は、もうレオスの中でマリエル姫ということになったのだし。それに逃げたのは、私の配慮不足だ。だからわざと明るい声をあげた。


「お前のせいじゃないって!」


 私の言葉に、レオスが不思議そうに振り返る。


「先輩から聞いたぜ? お前は、ちゃんと腹痛を訴えた従者に手当てを受けさせるように手配をしたんだろう? それに、ちゃんと衛兵も見張りにつけといたと聞いた。今回のは、相手の方が衛兵より一枚上手だったんだ」


 衛兵が頭から流していた血の角度を思い返して考えると、きっと斜め後ろから殴られたのだろう。死角を狙われたのなら、一瞬のことで衛兵にもなす術がなかったのに違いない。たとえそうではなかったとしても、普通なら使者の従者にすぎない者が、そんな凶行に及ぶとはさすがの衛兵も思わなかったはずだ。


 けれど、レオスは激しく黒い髪を振った。


「違う。俺のせいだ! 俺が、最初にもっと気を配って、早くに騎士隊に連絡していればこんなことにはならなかった!」


 確かに騎士隊と衛兵とでは、意識に差があったのかもしれない。


 でも。


「気にするなって、お前は十分にやったって!」


 責められるのなら、報告を受けた時点で気がつかなかった私なのだから。それなのに、レオスは降り出した細い雨の中で、どんと壁に手を殴りつけた。


「いや! 俺の迂闊さのせいだ! ここで使者を案内すれば、あの女性がマリエル姫か近くで確かめられると、そればかりが頭の中を占めた――」


 吐き出されるように叫ばれた言葉に、頭の中でどきりと音がする。


「それは――」


 ひょっとしてレオスは、マリエルが好きなのだろうか……? だから、毎日あんなに熱心に庭を散歩する姿を見続けていた……?


「い、苛々するなよ……。姫だって、こんなことで失望したりしないさ……」


 そうだ。きっとマリエルは、これぐらいでレオスに呆れたりなんかしない。だけど、どうして自分の声は、こんなに力がないのだろう。


 それなのに、ぐいっと襟ぐりを掴まれた。そして、どんと濡れた煉瓦の壁に押しつけられる。


 え? なんだ? この展開?


「俺が苛々しているのは、そんなことじゃない!」


「はあ!? じゃあ、お前なんでさっきからそんなに怒っているんだよ!?」


 ますますわけがわからないぞ! それなのに、レオスは私を掴んで壁に押しつけたまま、じっと見つめている。


「もちろん自分の失敗もある! だけど、それはこれから倍にして必ず取り返す!」


「じゃあ、なんでそんなに苛ついているんだよ!?」


 いよいよ、なんなんだ、お前!? それなのに、レオスは長い指を広げて、ばんと私の横の壁に手をついた。


 あれ? 変な姿勢な気がするんですけど……。


「俺が苛々しているのにはもう一つ理由がある! アンジィ、君が間もなく海軍将軍の娘婿になるっていうのは本当か!?」


「は……はあああ――!!!?」


 ちょっと待て! それこそ一体なんの話だ!


 それなのに、顔の横に手をついて、腕で私を閉じ込めるようにしたレオスの藍色の瞳は、私が逃げることを許さない。まっすぐ燃えるように見つめてくる瞳に、ごくりと喉が鳴った。


「なんのことか……わからないんだけど……?」


「とぼけるな! マリエル姫が、自分にそっくりな従兄弟が、まもなく海軍将軍の跡取りになると言っていたぞ!? その為に、都に来ると!」


 あ、あの話! こいつ! あれを私だと勘違いしたのか!


 たから、慌てて訂正する。


「違う! 確かに私とマリエルはそっくりだけど、あれはそうじゃなくて」


「君以外の誰がいる!? 君は姫の親類だと言っていた! そして、国境で育った! 話に出てくる従兄弟にぴったりじゃないか!?」


「あー! だから、ちょっとは人の話を聞けよ!!」


 思い切り、レオスの腕を握って言葉を振り切るように叫んだ。すると、ぴくっとレオスの眉が動いた。


「あれは私の兄! 兄が婿入りするから、その後の家の色々な手続きのために、私が都に来たの!」


 ちょっと、ばらしたらまずいところまで踏み込んでいるような気がしないでもないが、こいつの意味不明な苛々につき合わされるのよりは、ずっとましだろう。だから思い切って叫ぶと、レオスの黒い眉が面白いほどさがった。


「兄……?」


「そう! 私と姫は従兄妹なの! だから、私も姫によく似ているし、親類なのも嘘じゃない!」


 そして、レオスによって崩された襟元を直す。すると、私の横の煉瓦につかれていたレオスの手が、すっと離された。見上げた顔は、細く降る雨の中で、ひどく戸惑っているようだ。


「そうか――。兄がいるとは知らなかった……」


 そりゃあ話していないからな。


 それなのに、レオスはひどく困惑した顔をしている。


「すまない……。あの夜の女性は、マリエル姫で間違いなかったんだ……。だけど、どうしてだろう。君を見ていると、なんだか変な気持ちになる……」


「え?」


「わからないんだ。君があの夜の女性に似ているからなのか――。昼間、彼女に会った時は確かにあの夜の人に間違いなくて、胸が焦がれた。それなのに、今君を見ていると、彼女を思い出すのよりも、ドキドキとして変な落ち着かない気分になる――」


 ――え!? マリエルよりも今の私って!?


 つうと額から汗が流れた。


 ――同じ顔なら、男の姿の方がよいって! お前、そういう趣味だったの!?


 うわあああああと叫びたくなってしまう。


 それなのに、レオスは小さく戸惑った仕草で、背を向けて行く。


「変なことを言った。すまない」


 いや! 私もお前のことは嫌いじゃないよ!?


 でも、ごめん! 私男じゃないんだ!


 ――ごめんよお! 男だったら、お前の気持ちにも応えてやれたのに――!!


 雨の中、馬の手綱を引いて歩いていくレオスの姿に、私は声にならない叫びをあげて見送ることしかできなかった。

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