(6)私とオーレリアンの策
地図の上から取り上げた白い駒を持ち、私はわざと挑発するように笑う。
じゃらと取った駒は、三つ。
持ち上げた白い駒は、我がロードリッシュの軍を示す。軍隊を示すのに相応しい馬の形をしている。
この駒一つで、王という者は、何万の騎士と兵たちの命を左右するのか。
手の中に転がった三個の駒に皮肉さえも感じながら、私は恐れを知らない女王のように豪胆に握り笑ってみせた。
そして、持ち上げた駒の一つを、とんとシュリンケン関門の正面に振り下ろす。
しかし、真っ直ぐにあげた眼差しは、オーレリアンを見つめたままだ。
「シュリンケン関門の正面に一万の兵を展開させる」
「ほう――」
すっと、オーレリアンの翡翠色の瞳が細められた。
「ですが、それでは先程も申し上げた通り全滅の道筋です」
オーレリアンの長い指が、地図に描かれた関門に置かれていた赤い駒を持つと、正面の城門から進み出るように動かす。そして、私が置いた白い駒と戦うように、ことんと真向かいに置かれた。
「そうだろうな。だから、敵をできるだけ山側の橋にひきつけるようにして、後退しながら戦う」
「それでは戦術上は下策です。何を考えておられるのかはわかりませんが、敵を誘い出そうとしても、山側の扉が開いて兵が出てくれば、相手を橋までおびき出す前に我が軍は挟撃されてしまいます」
山側の城門の上を守っていた赤い敵軍の駒を出撃するように動かされ、私が後退させた白い駒を挟み撃ちにするように横に置かれてしまう。
けれど、それに私はふっと笑った。
「そうだろうな。だが、それでいいんだ」
「なに――」
私の言葉が腑に落ちなかったのだろう。オーレリアンが銀色の眉毛をぴくりと上げている。
だから、私は手に持っていた駒の二つをプローセン川の上流に置いた。
「それ故、戦いの数日前に上流に兵を派遣して、プローセン川をせき止める」
「馬鹿な――」
けれど、瞳を開くオーレリアンの前で、私は二つの白い駒をプローセン川をせき止めるように動かす。
「プローセン川は大河というほどではないが、水量は決して少なくない第一級の河川だ! それほどの川をせき止めれば、我が国にだって被害が出ずにすむわけがない!」
「もちろん、国境近くの多くの農地が湖になるだろう。被害の分の保障は農民にしよう」
けれど、私は驚くオーレリアンに頓着していないように微笑むと、川に置いた白い駒をさっと横によけた。
「そして、下流の橋の近くで戦いが始まるのと同時に、このプローセン川の堰を切る」
私が駒を持ち上げた瞬間、オーレリアンが息を飲んだのがわかった。
「わかるだろう。元々水量の多い数日で我が国の一部を湖に変えるほどの川の水だ。それが戦っているキリングの兵と関門に、一気に押し寄せればどうなるか」
堰を切られ、濁流と化した水は一瞬で狭いシュリンケン峡谷に押し寄せていくだろう。
シュリンケン峡谷は、両側が切り立った山だ。狭められ怒涛の勢いで押し寄せていく水は、容赦なく峡谷で戦っている兵たちを飲み込み、威容を誇るシュリンケン関門だって無事ではすむまい。
けれど私の言葉に、オーレリアンはばんと机に手をついた。
「馬鹿な! そんなことをすれば、関門前で戦っているロードリッシュの兵達だって巻き添えになる!」
「そうだ。その通りだ」
この策は戦いにおいては下策中の下策だ。
それでも。
「何を驚くことがある。陽動は兵法の基本。敵をひきつける為に、殺される任務につくことがあるのも、軍の中ではよくわかっていることだろう?」
ぐっとオーレリアンが言葉を飲んだ。
「戦いなんて、たくさん殺した方が勝つ。当たり前の常識だ。それがわかっていて私に尋ねたのではないのか? オーレリアン」
わざと酷薄に笑った。白い絹のドレスの中で足を組み、傲慢に微笑む姿は、まさに情けを知らない最強の女王様だろう。
目を上げた先では、レオスまでもが顔色を変えて、私をじっと見つめている。それはそうだろう。騎士である自分の命を捨て駒扱いにされかねないのだから。
だから、私は組んだ足の上で、ゆっくりと指を交わした。
「だが、使わない」
「え?」
今の声は、オーレリアンとレオスどちらのものだったのか。
けれど、オーレリアンは翡翠の瞳を驚いたように広げると、じっと私を見つめている。
「使わないとは……」
「当たり前だろう。確かに、この策を使えば、押し寄せた水で兵を失い、混乱している関門などすぐに落とせる。いや、水の勢いで、関門自体が壊れているかもしれないな。だが――使わない」
きっばりと言い切ると、手をほどいて、女王のようにゆったりと座り直す。
「王に忠誠を誓ってくれる兵達は、国の宝だ。いくら勝つためとはいえ、こんな愚策で軽々しくなくしてよいものではない。それよりは、講和をキリングと結ぶ」
「講和を? けれど、鉄壁と信じるシュリンケン関門を持つキリングが、果たして今不和になっているロードリッシュとの講和を受け入れるかどうか」
「受け入れさせる。受け入れなければ、毎日プローセン川に大量の塩をまいてやろう。連日、朝も夜も。費用は莫大なものになるだろうが、貴重な兵を失うのに比べればかわいいものだ。それに、我が国の出費以上に、国土に塩害をまかれたキリングの損失は莫大なものになる」
――そうだ。きっと、マリエルなら、兵たちを殺すのよりも講和の道を探るはず。そして、必ず誰も害さずにすむ方法を模索するだろう。
それなら、その道筋を探してやるのが、女王を守る者の務めだ。
「本気の脅しで、キリングを講和のテーブルにつかせる。これが私の女王としての道だが、どうだ? これでは不満か?」
ゆっくりとできるだけ余裕を感じさせる笑みを浮かべた。私の瞳をじっと見つめ、オーレリアンは瞳も動かさずに立っている。
けれど、やがて少し俯くと、ふっと笑った。
「お見事――。なるほど、そう来ましたか」
やった! こいつに認めさせることができた!
思わず小躍りしたくなるのに、オーレリアンは薄い笑いを浮かべ続けている。
「素晴らしいお答えです。百点と申しあげたいが、一点だけ見逃されているのが実に惜しい。残念ですが、八十点とお答えしておきましょう」
「なに……?」
なにが減点対象だったんだ?
けれど、オーレリアンは立ち上がった姿勢のまま深い礼をすると、私に向かい、来た時と同じ笑みを浮かべている。
「またお会いしましょう。とりあえず、姫のことは邪魔な虫から、全力で戦う相手に格上げさせていただきます。では」
未来の女王に向けるにしては不遜な笑みを浮かべると、オーレリアンは長い銀髪をさらりと流して背を向ける。そして扉の向こうへと消えていった。
「どういうことだ……?」
けれど、体から力が抜けて行く。なんとか、無事今回を乗り切ったのだ。
「姫……」
心配したレオスが、遠くから声をかけてきたのに顔をあげる。
あぶない、あぶない。私が化けているなんて、間違っても気づかれるわけにはいかない。
だけど、ようやく安心して手を伸ばしたカップの湯気の向こうに見えるレオスの顔は、少し綻んでいるように見える。
とりあえず、お前的には及第点か?
だったら、よかった――。
ほっとして、カップに口をつけた。
けれど、その時だった。慌ただしい足音が聞こえてきたのは。
そして、急いで扉を叩くと、ロゼが息を切らしながら駆け込んでくる。
「ロゼ?」
どうしたんだ?
「ああ、ご無事だったのですね」
ほっとしたように両手を胸にかかった亜麻色の髪の前で組んでいる。
「今、騎士隊から連絡がありまして。牢屋に捕らえていた、先日姫様を襲おうとした相手が逃げ出したそうです」
ロゼの言葉が、耳に触れるや否や、私は椅子から音をたてて立ち上がった。
――やられた!
ばさっと白いドレスが立ち上がった膝から落ちる。
――オーレリアン! あいつ最初からこれが狙いだったんだ!
最後に見せた傲慢にも見える不遜な笑顔を思い出す。
ぎりっと唇を噛んで、拳を握り締めた。
王妃側が放った刺客の脱走――満点でない理由はこれか!
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