『それは、多分、』
ほしくん
1
話が違うと大声で叫び出したい気持ちだった。
クラスの少し苦手なタイプのギャルが、ここのコンビニはチェックが甘いと言っていたから自転車を漕いできたのに。
ここに入ったのは10分ほど前で、夕飯も済んでからのちょっとした散歩も兼ねていた。
最初は新商品のお菓子や雑誌をめくったりして冷やかしていたけれど。狭い店内だ、すぐに目的のコーナーへとたどり着いてしまう。
ケースの中に仕舞われている色とりどりの缶。
味もそれぞれで最近ではちょっとした社会現象のようなものまで起きているらしい。
そう、つまり、お酒だった。
着替えてはいるけれど私は未だ未成年。花かどうかはわからないけれど女子高生だ。
法律という大きな壁が私達を遠ざけていた。
もう成人していますよ、という顔でレジまで持ってきたのは良いけれど、パネルをタッチしたまでは良いけれど。
「念のため、身分証明証をご提示お願いいたします」
「……あー。えっと、ちょっと待ってください……」
有りもしない物が奥底にあるかのように、財布を開いて中を覗く。
お札が1枚と小銭が数枚、それに学生証とポイントカード。
どれも私を今すぐ20歳にはしてくれそうにもないものばかりだった。
どうしよう。
このまま学校や親に連絡されてしまうのだろうか。それとも今すぐに帰れば何も言われないのだろうか。
頭の中がぐるぐると回転している。
目と床が異常に近い感覚がする。
とにかく、逃げ出したかった。
なにかに縋るように後ろをちらりと向く。
私のせいで数人が列を成して待機していた。責めるような、不思議そうな目が何対かこちらを見ていて、避けるように正面を向く。
四面楚歌というのはこういうことなんだな、と全く関係無い事を考えてしまった。
「あ、ごめんごめん。もう並んでたんだ」
「……え」
唐突だった。
まるで突風のようにどこからともなく現れて、自分の意思とは関係なくぶつかってきた。
この場では変に浮いているように聞こえる、明るい声が私の横から吹き抜けた。
声や仕草から私のことを疑っていたようだった店員さえも呆気に取られたような表情をしていた。
声に釣られて振り向くと、まず違和感だった。
眼の前に居るのは間違いなく美人だと言い切れるような女の人で、黒髪で水色の服を着ていた。
目はぱっちりと大きく、薄く光る髪は腰の上ぐらいまで伸びている。
けれど、何故だろう。
私はこの人から、人形のような作り物の空気を感じていた。
「すみません、これも追加で」
「あ、あの、ちょっと」
「ん? お金足りないの?」
「……うん、そうなの」
合わせたほうが良い。
直感だった。
もしかしたらこの場を切り抜けられるかもしれない。
それは私に取っては救い以外の何物でもなくて。
この得体の知れない黒髪の彼女を信頼するには十分な理由だった。
「しょうがないなぁ。ここは私が出しといてあげる。いくらですか?」
彼女の登場に面食らっていたのは私だけではなくて、店員や後ろに並んで居た他のお客さんさえも口を大きく空けていた。
それでも流石というべきか、店員は彼女の問いかけに答えるように金額を読み上げ袋詰をし、私達に商品を手渡した。
その間、私はうるさく鳴り続ける心臓を抑えつつ、それを表情に出さないように精一杯だった。
お金を出してくれた彼女はずっと左右に身体を揺らし続けていた。
やけに心地良いリズムで、こんな状況だと言うのに少し安らいでしまったぐらいだ。
私がかごに入れていたお酒以外にも、お菓子やペットボトルのジュースが詰められた袋を彼女が受け取り、店を出ていこうとする。疑問の視線から逃げるように私もそれに続き夜風に体を晒した。
「……さて。歩き?」
「えっと、自転車が」
「おっけ。じゃあちょっと付いてきてくれる? 少し先に公園があるんだけどさ」
自転車を押すこと5分ほど。
遊具が全く無い、申し訳無さそうに砂場だけがある公園に辿り着いた。
周りには明かりが点いている家が敷き詰められていて、そこら中から監視されているようでどうも落ち着かない。
私がそわそわしている時、黒髪の彼女はふんふん鼻歌を歌いながら砂を蹴って遊んでいた。
足元がサンダルなのにそんなことをして良いのだろうか、と近くのベンチに腰掛けながら思った。
黒髪の彼女が変な掛け声と共に、大きく足を振り上げる。
黄金色の粒と共に巻き上げられる黒の波はとても美しく見えて。
私は少しだけ、でも確実に、警戒心を緩めてしまっていた。
「はいこれ」
「……はい?」
またしても唐突だった。
いつの間にかそばに来ていた彼女が渡してきたのは私が買おうとしていたお酒で、外に出たからか少し濡れていた。
受け取ると缶は想像通りひんやりとしていて、冷たいと呟いてしまう。
「こんなのが飲みたかったの? あんまり美味しくないよ、それ」
「……良いの」
「初めてのお酒はもっとロマンチックなやつが良いと思うけどなぁ」
「良いの、これで。度数が高いんでしょ」
いつだったか、たまたま見ていたニュースで取り上げられていた物だった。
物知り顔のおじさんが心配になると説教していたのを、何故か覚えていた。
「ふーん。そんなものなの? 今の若い子は分からないなぁ」
「……若い若いって、私、もう成人してるけど」
「ん? あれ、本当に?」
「……うん」
「あちゃー。じゃあ私、邪魔しちゃった? ごめんね」
漫画のように頭を掻く仕草をする彼女を見てこの人は何歳なのだろうと考えた。
若そうに見える。私より5つぐらい上だと、なんとなくしっくり来る気がした。
「嘘」
「ん?」
「本当はまだ高校生、です」
受験生ではないと小声で付け足した。そうしてから、今の要らなかったなと後悔した。
何故か会話の最後に言葉を付け足す癖がある。
そして、毎回要らなかったと反省する。
まぁそれを活かしきれていない時点で、私はこういうものなんだなと諦めていた。
「やっぱりそうだよね? 良かったー間違えてなかったー」
彼女がまた漫画のように胸を撫で下ろす仕草をする。
この頃にはもう、私が最初に思った違和感の正体がこれだと分かっていた。
指摘するもの面倒なので、両手で缶を遊ばせつつ彼女の次の言葉を待つことにした。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「名前?」
「うん。だって、私はあなたの恩人だし、聞く権利ぐらいあると思うの」
なるほどと思い、自分の名前を口にする。
紙に書く度、口に出す度。
私には可愛すぎる名前だと思う。
「美咲ちゃんね。私は春。季節の春と字も音も同じ」
「……それが本名?」
「ううん。もちろん違うよ。でも、そう呼んで」
自分の嘘を指摘されたにも関わらず春はけらけらと笑っていた。
「なんで、春?」
少しでも彼女の情報を得てやろうという気持ちだった。
私だけ本名を言ってしまった悔しさと、図星を突いたのに動じない春に怒りを感じて。
コンビニの袋を振り回しつつ、春は振り向いた。
「……だって、1番綺麗な季節でしょう?」
当然だろうと言わんばかりに、春は笑った。
薄く笑った顔が街頭と家から漏れ出した光で浮かび上がって、見えた。
綺麗だと、思った。
「でさ、なんでお酒なんか買おうと思ったの?」
高校生はまだ駄目でしょ、と追撃された。
彼女から法律や常識を問われると何故か不思議と腹が立った。
春のおかげで助かったけれど、砂場で遊ぶような年上にそんなことを言われても、と偉そうな私が顔を出している。
「良いでしょ別に。そんな気分だったの」
そのせいでやけに突っぱねるような言い方をしてしまった。
子供のような反応だなと自分で笑ってしまった。
ごまかすように軽く咳払いをしてから春の方を見る。
彼女は私の方など見ておらず、街頭の周りを飛んでいる虫を眺めているようだった。
「そうなんだ。まぁそういう時もあるよね」
「……自分で言うのもなんだけど、納得していいの?」
「そっちの方が都合がいいでしょ?」
「……まぁね」
お酒はすっかりぬるくなっていて、手の中で重さだけを主張している。
少し前までは欲しいと、飲んでみたいと思っていたはずなのに。
今では邪魔でしかないと思った。
「ね。それ、こっちと交換しない?」
「は?」
「やっぱり高校生がお酒は駄目だよ。こっちなら大丈夫だし。ね?」
春が差し出してきたのはラベルが真っ白な缶コーヒーだった。
自動販売機やスーパーでも見たことがない物で、さっきのコンビニでも見覚えがない気がした。
仕方なくお酒の缶を春に渡し代わりにコーヒーを受け取った。
微かに冷たい。受け取るだけでは居心地が悪いので、プルタブを引き起こし、中身を口に運ぶ。
「にっが……」
「苦いよねぇそれ」
「え、なにこれ苦いだけじゃん……というかマズい」
「それねー、苦いし酸味がきついしコクもないっていう、あのコンビニぐらいでしか売ってないやつなんだよ」
何故そんな物を買ったのかと問い詰めたかったけれど、あまりの苦さにしゃべることが出来なかった。
罰ゲームですらこんな物を飲ませないだろう。
「私はそれ結構好きなんだけどね。ほら、こんな物よりよっぽど飲む価値があるよ」
手渡したお酒を開けた春は、それをそのまま逆さにした。
重力の関係で、当然中身は地面へと吸われていく。
しかも春が左右の手で投げて遊んでいるものだから、びちゃびちゃと私の足元までアルコールが飛んできた。
落ちきる頃には私と春の間には小さな水たまりが出来ていて、考えてみれば当然なのだけれどそれには泡が浮かんでいた。
勿体無い、と言う言葉を私はコーヒーと共に飲み込んだ。
そもそも私のお金で買ったものではないし交換したのだからあれは彼女の物だ。どうするのも春の勝手だろう。
「もしかして春って、味覚音痴?」
「酷いなぁ。と言うか呼び捨てなんだ?」
自分でも不思議だった。
彼女には敬語を使いたくないと思ったし、呼び捨てが当たり前だと思っている。
「直した方が良いならそうするけど」
「別に良いよ」
本当にどうでも良さそうに。
何なら毛先を手で遊ばせながら春はそう答えた。
私が年下とか、自分が怪しいお姉さんだとか。
そういったものは全て興味がないらしい。
「ねぇ、美咲ちゃんは月曜日の夜って暇なの?」
「月曜日? まぁ、暇だけど」
コンビニでお酒を買おうとして失敗し、それを怪しいお姉さんに助けられるなんて暇人でなければ体験しないだろう。
「じゃあさ、毎週月曜日この時間、ここで会わない?」
「……え、嫌だけど」
「うわぁすっごく嫌そう」
「何で名前もきちんと知らない人に毎週会わなきゃいけないの……」
私はそっちの名前知ってるけどねと春が笑う。
それに足元の石を投げつけながら少し考える。
正直、会っても良いとは思っていた。それぐらいには彼女に気を許してしまっていたし興味を惹かれていた。
けれど、こんな私にも一応常識というものが残っていて。
何か理由が欲しいと思っていた。
「断っていいの? バラしちゃうよ?」
「何を?」
「美咲ちゃんがお酒買おうとしてたこと」
「……どこに?」
「どこでも良いよ。学校でも親でも警察でも」
春は優しく笑っていた。
多分、私も同じような表情だったと思う。
「それは困るしなぁ」
「だよね」
「仕方ないか」
「そうそう、仕方ないよ」
親になんて言い訳しようか頭の中で考え始めていた。
期限がいつまでなのか分からないから、それらしいものにしないと、なんて。
馬鹿らしいと思いつつ。
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