第8話 檻の住人
朝。
まだ疲れがとり切れていない身体を無理やり起こし、ベッドを降りる。眠りが浅かったせいか、それとも昨日の出来事が衝撃的すぎたのか、入れなければならない栄養素すら口に入れようと思えなかった。
とりあえず行かなければ、そんな一種の使命感だけが頭を支配した。
******
昨夜案内してもらった壁の穴に着く。この場所を発見した事を嬉々として語っていたバレルの事を思い出す。一度深呼吸をし、ゆっくりと穴の向こう側を目指した。
昨日は随分と長く感じた道も明るいといったこともあってあっという間に過ぎていく。
バレルと別行動をとった場所から少し離れた場所、惨劇が広がっていたあの場所にバレルは息絶えていた。
どうしようもない罪悪感。
どうする事も出来なかった無力感。
様々な想いが交差した。
「綺麗な……とは言えないけど良かったね、まだその人って認識できる」
突然の背後からの声。反射的に身体が動く。
「そ、そんな警戒しなくても。……そっか、でもしょうがないか」
目の前にいたのは女だった。動きやすさを重視しているのか服はヒラヒラとしたものでは無く、また髪も短い。街ではあまり見ない珍しいタイプの恰好だ。 「お前は誰だ? ま、まさか政府の……」
すっかり忘れていたがここは政府が管理している立入禁止区域。どんな理由があろうと、許可を貰っていない俺は部外者、それどころか犯罪者だ。
「そんなんじゃないよ。それに政府の人間だってここに入りたがらないし」
「じゃ、じゃあ」
「私? あぁ、本当に忘れたんだ」
女の顔に悲しみが浮かび上がる。こちらが悪いことをした覚えはないのにどこか申し訳ない気持ちになる
「お前は俺を知っているのか?」
残念ながらこちらには彼女の記憶は何一つとしてない。だからこそ、彼女の一言は衝撃的なものだった。
「私はずっと昔、君とここで出会った事があるから」
「ここで?」
「そうだよ。ここで、私は君と出会った」
真っすぐな瞳で、彼女はそう言った。
「って言われても、俺にはその記憶が無いんだ」
「それは仕方ない……んだと思うよ。それだけの時が過ぎたってこと。それよりも その子、そのままにしておくわけにもいかないでしょ?」
彼女はバレルの遺骸の方に目を向ける。
「そうだよな。と言ってもこうなったら壁の向こうに連れて行くってわけにもい かないよな」
「そうね。だったらとっておきの場所がある。ここから少しだけ離れているけど」
「大丈夫だ。それくらいはせめてしておきたい」
「そう。……こっちよ」
彼女は短い返事をし、目的地に向けて歩き出す。俺はバレルの身体を抱えた。遺骸は思ったよりも随分と軽くなっていた。それが余計に苦しかった。
******
「ここよ」
彼女がそう言って立ち止まった場所は見た事のない花が広がっていた。よく見ると所々に簡素ながらも墓のようなものがいくつかあった。
「ここに咲いてある花は獣が嫌う匂いをしているから荒らされる心配も無いと思 う」
「そうなのか、それは安心した」
心配点の一つが解消された。
「ここら辺に埋めればいいと思う」
彼女が指した場所に穴を掘る。専用の道具は無かったが、彼女が手伝ってくれたおかげもあり随分と早く穴を掘ることが出来た。
そこにバレルをそっと寝かせる。そこから中々進むことが出来なかった。後は埋めるだけ、それだけの筈なのにそれが出来なかった。
それをしてしまえば全てが終わってしまうようで。
それをしてしまえばそれが本当の別れのようで。
それをしてしまえば……。
どんな事をしても無駄だと分かっているのに、それでもただの自己満足で、それでも、
「後は任せておけ」
その言葉だけは言っておきたかった。
お前の夢を背負う、そんな格好つけた言葉では無く、ただの贖罪に過ぎない。それこそ、そうすることで罪の意識から逃れようとする醜い自分の性の言葉だ。
穴を埋め、そしてバレルの剣をそこに突き刺す。
そこまで終わるまで、後ろで見ていた彼女は言う。
「もう終わったんだよ」
「……だからどうしたんだよ?」
「君が今どんな気持ちなのか、どんな気持ちを抱いていたいか、それを思う事は勝 手だと思う。それでも、そこまで君は自分自身を攻めるべきではないと思う」
優しい言葉だった。でもその優しさが痛いと感じた。
「本当にそうか? 俺は……、俺はあいつを見捨てた。襲われているあいつを見 て、俺は自分の保身だけを考えてその場から逃げたんだ。それで俺は……」 「誰だってきっとそうする。だって一番大切なのは自分自身でしょ? 自分が大切 だから自分の周りを大切だと思う。それが広がって、その中で人間は生きている んだから」
「そ、それは……」
「今はそう思っておけばいいよ。死んだ人間は帰ってこない。そこに後悔をしてし まえば君は永遠に救われないんだから。死人に囚われずに、前を向けばいい。そ れが彼にとっても願っていた事だと思うから」
「本当にそう思うか?」
ずるい言葉だ。俺は彼女にすべてを押し付けようとしている。それなのに彼女は笑って答える。
「そう思えばいいんだよ」
自分の望んでいた言葉とは少し違う、それでもその言葉に少し救われる自分がいた。
「君、そう言えば何も食べてないでしょ?」
「それは、まぁ」
「ちょうど私もそろそろ昼食の時間だなって思っていたからよければご馳走する よ」
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