■を埋めに行こう

古月むじな

 猫が死んでいて、なんとかしなくちゃいけないと思った。

 おれにはどうすればいいかわからないけど、あいつならきっと良い方法がわかるはずだ。

 おれは馬鹿で、どこもかしこも悪いとこだらけだけど、あいつは頭も心もうんと良い奴だから。だから――きっと良いようにしてくれると思うんだ。




「なんだ、それ? どうしたんだ?」

 藍条あいじょうはしわ一つないぴしっとした学ランを着て、なんだか難しそうな文庫本を読みながらいつもの場所で待っていた。おれが持ってるダンボール箱を見て、眼鏡の後ろで真っ黒い目を不思議そうに見開く。

「ねこ」

「……拾ってきた、のか? おいおい、どうするんだ。君んち、確かペット禁止のマンションだろ。僕の家だって動物は厳しいぞ」

 本をバックパックにしまって、藍条はダンボールの中を覗き込む。あいつはすぐに「うわあ」とびっくりしたような声を出した。

「死んでるじゃないか」

「うん。死んでるねこを持ってきたから」

「弱ったな。どうするつもりで拾ってきたんだ? 死んでたら獣医だってどうしようもできないぞ」

「わ、わかってるよう、そのくらいは」

 藍条が責めてるんじゃないってわかっていても、こういうふうな言い方で訊かれるとどきっとする。おれもこういうとき、どうしてそんなことをしてるのか自分でもわからなくて、だから理由を訊かれても上手に説明できないんだ。

「え、えっと、死んでて、もうどうにもできないっていうのはわかってるけど……なんかやだったんだよ、そのままにしとくのが。なんとかしなきゃって思って、だから」

 あいつの真っ黒い目で見つめられると、どきどきが、どきどきどきどきくらいになって、余計に上手く喋れなくなってしまう。自分でもめちゃくちゃになってるとわかる説明を、でも藍条は最後までしっかり聞いてくれた。

「……つまり、その猫――猫の死体を、君はなんとかしてやりたいわけだ。なんとかいいように、上手いようにやってやりたいわけだ」

「う、うん。そうなんだ」

「ううん……」

 考えているみたいな仕草をする。あいつはおれよりうんと頭が良いから、ちゃんとを考えられるし、考えてる途中で迷子にならないで、良い答えを見つけることができるんだ。

「……僕は弔ってやった方がいいと思う。死体には、そうするのが一番良いんだ」

「トムラう?」

「死んでるものにはどうすることもできないから、生きてる僕らの気持ちが良くなるように、綺麗な墓に収めたり、たまにお供え物をしたりして、『死んだ後も怒ったり悲しんだりせず、穏やかな気持ちでいてください』って祈るんだよ」

 そっか、お墓参りってそういう意味でするんだな。石を綺麗にしたり、花とかまんじゅうを置いたって死んだじいちゃんが見てるわけないのにって思ってたけど、死んでる人じゃなくて生きてる自分達のためなんだな。

「ああ、そうだ」

 と、藍条は何か思いついたみたいにぽんと手を叩いた。

「お墓が必要なんだ。目に見えるところに死体があるとそりゃあ落ち着かない」

 そう言って、藍条はにいっと唇を吊り上げて笑った。そういうとき、あいつはいつも“悪だくみ”をしてる。

「埋めに行こう。どこか遠くに行って、その猫を」




 最寄り駅から電車で四駅行った先の町に、低い山があるらしい。

 ここらへんはなんもねーって思ってたから、山があるなんて藍条が教えてくれるまで知らなかった。藍条は物知りだから、いろんなことをなんでも知ってるんだ。

「今日のことは誰にも言わない方がいい」

 電車に乗ってる途中で藍条はそんなことを言った。

「なんでだ?」

「動物の死骸を他人ひとの土地や公共の場所に埋めるのは法律で禁じられてるんだ。法律だと、動物の死骸はゴミと一緒に扱われるから、僕らはこれから不法投棄をしに行ってるようなものだ」

 法律違反なら、つまり、おれたちは悪いことしてるってことにならないか? おれは急に不安になって藍条の顔を見た。あいつは急に慌てたみたいだった。

「……怖いのか? 大丈夫だよ、誰にも言わなければバレるわけがないんだ。そのためにわざわざ遠くの山まで行くんだから」

「でも、なんか怖いよ。おれ、法律破りたくない」

 藍条は困ってるみたいだった。悪いことはしたくないけど、藍条を困らせるのはもっと嫌だ。せっかく考えてくれたのに、おれのわがままでだめにするのは良くないよな。あいつの言う通りにしよう。

「ま、まあ、犯罪って言っても軽犯罪だからな。逮捕されたりするわけじゃない。それに、僕らは高校生だ。バレても叱られるくらいで済むさ」

「じゃあ、もしもバレちゃったら、おれといっしょに叱られてくれるか?」

 がたがた揺れる電車の中だったから、もしかしたら見間違いかもしれない。でも、そのときはあいつがびっくりして、肩を揺らしたように見えた。

「――ああ、もちろんだ。そうしたら僕ら、“共犯者”だな」

 キョウハンシャ。

 悪そうな言葉だったけど、あいつといっしょだと思うと、なんだかすごく良いようなものに思えた。

 ――がたがたがた。ごとごとごと。

 電車を降りて、バスに乗り込む。目当ての山は停留所を八つ行った先にあると藍条が教えてくれた。放課後だけど、まだ時間が早いからか乗客はまばらで、おれたちは一番後ろの席にふたりで乗り込んだ。

 八つなんてすぐだと思ったけど、電車と違ってバスはずいぶん時間がかかるみたいだ。着くまでの間、ずっと黙ってるとなんだか気まずくなってくる。何か喋ることないかな。困って、ダンボール箱を抱え込んでると、少し箱がよれてへこんだ。中の猫はどうしているんだろう。

「……箱の中に入れてるとさ、中身がどうなってるのかわからないよな」

「うん?」

 なんとなく言ってみた言葉に、藍条が振り向いてくる。

「こん中にねこが入ってるってわかっててもさ、フタを閉めてると中がどうなってるかわからねーじゃん。もしかして、ほんとは生きてて、おれが見てねーときは元気に動いてんじゃねえかって思うんだ」

 ああ、だから埋めておくのかな。見えないようにしておけば、『もしかしたら生きてるかも』って思えるから。

 言ってみて、でも馬鹿な考え方だなって自分でも思った。こんなこと言って藍条に馬鹿だなって呆れられないかな。心配になってあいつの顔を見る。なにか考えてるみたいだった。

「似た話を聞いたことがあるな。量子力学のことだったか」

「リョーシリキガク?」

「量子ってのは不思議な性質らしくてさ、誰かが見てる時と見てない時で動き方が変わるみたいなんだ。それで、その量子の動きに反応して動いて毒ガスを出させる機械を作って、猫と一緒に閉じ込めるんだ……」

 リョーシリキガクの話は難しくてよくわからなかった。藍条の話だから一生懸命聞いたけど、リョーシがどうやって猫を殺すんだろう。だから、多分おれ馬鹿の顔してたんだろうな。藍条は苦笑いをして、別の話をし始めた。

「僕は猫といえばポーを思い出すな」

「ぽー?」

「イギリスの昔の小説家さ。『黒猫』っていう有名なホラー小説を書いた人だ。昔々、動物が好きな人がいたんだが……」

 死んだはずの猫が再び出てきて、猫を殺した男に復讐する、って話らしい。おれは怖くてたまらなくなった。なんで死んだものがまた出てくるんだ? この箱の中の猫もまた動きだして、殺した奴に仕返ししようとするのか?

「怖いのか? 小説の話だよ。面白い作り話さ」

「でも、ほんとだったらどうする? この猫もまた生きてるみたいになるのかなあ。そしたら……」

「だから、これから弔いに行くんじゃないか。そいつはイギリスじゃなくて日本の猫だから、しっかり供養すれば化けて出やしないさ」

 藍条は怖がってるおれを面白がってるみたいだった。おれが馬鹿だから、馬鹿なこと考えてるって思ってるんだろうな。藍条みたいに頭が良かったら全然怖くないんだろう。

 藍条はほんとに頭が良い。リョーシリキガクとかポーとか、どうしてそんなにいろいろ知ってるんだろう。本をいっぱい読んでるからかな。おれも、藍条みたいに本をいっぱい読んだらもっと頭が良くなるのかな。でもおれ、字を読んでると眠くなっちゃって全然本読めないんだ。

 おれ、もっと良いものになりたいなあ。

「ほら、次の停留所だ」

 藍条が降車ボタンを押した。そういえばバスのアナウンスが『次はナントカ山です』とか言ってた。気をつけないと、おれいつもバスを降りそびれるんだ。荷物を抱え直して、手元の箱を覗き込む。

 猫はやっぱり死んでいて、動きだすことはなかった。




 林の中を歩いてると、生の野菜をもっと濃くしたみたいな匂いを感じて気持ち悪くなってくる。こういうの、青臭いっていうのかな。

 登山道を学ランで歩いてると変に思われるから、おれたちは登山口から脇にそれた林の中を進んだ。遭難したらどうしよう、と思ったけど、「山を登っていくわけじゃないし、そこまで遠くに行かなければすぐに戻ってこられるさ」と藍条が言う。

「僕らは登山じゃなく、死体埋めに来たんだからな」

「……うん」

 藍条はバックパックから園芸用のショベルを二つ取り出した。電車に乗る前、ホームセンターで買ってたやつだ。赤いショベルを右手に持って、青いショベルをおれのほうに差し出す。おれは制服のズボンにショベルを突っ込み、箱を持ち直した。

 ごそり。

 箱を揺らした拍子に中の猫が動いたのか、変な音がした。おれはぎょっとして立ち止まる。

「どうした?」

 先に歩いてた藍条が振り向く。別に、どうもしてない、とおれは言った。そんなことありっこないのに、『ねこが動き出したかもしれないのが怖い』なんて言って、藍条に笑われるのが嫌だった。

 黒猫。

 藍条が言ってた話だと、殺された猫は、男の妻の死体といっしょに壁に埋まってたんだっけ? じゃあ、埋めたくらいじゃ猫は許してくれないのかもしれない。だって、“とむらい”って生きてるやつのためにやるんだろ? 死んでるやつにとってはそんなことどうだっていいのかも。『勝手なことばっかりしやがって』って、埋めた後からひとりでに出てきて仕返ししようとするかもしれない。そしたら……。

 そしたら。

 ――ごそりごそり。ごそごそ。

 おれは、その場から一歩も動けなくなった。

「――――君」

 おれの様子がおかしいことに気づいたんだろう。藍条がおれのところまで引き返してきた。スコップをしまっておれの顔に手を伸ばす。

 どきどきどき。どきどきどきどき。

「……顔色が真っ青じゃないか。大丈夫か? 気分が悪いのか?」

 悪いのかもしれない。わからない。

 良いようになりたい。

「……ごめん」

 藍条がおれから箱を取り上げる。困ったような、泣きそうな顔だ。ああ、嫌だな。おれ、藍条のそういう顔見たくないのにな。

「からかいすぎた。君がそんなに怖がるとは思わなかったから。死体が蘇ったり、黒猫が復讐したりだなんて、そんなのは嘘っぱちだよ。どこにも存在しないものだ。だって、このお話はね、“言い訳”でしかないんだよ」

「言い訳?」

「“男”は猫や妻を殺したけれど、それは男自身の行動だ。最後、妻の死体が見つかったのだって、男の自業自得によるものなんだ。黒猫はただの幻覚――『自分がこんなことをしてしまったのは、殺した猫に呪われてしまったからだ』って“読者”にアピールしてるんだ。猫は単なる目くらましにすぎないんだよ」


「君が、猫を殺したんだな?」


 心臓の音がうるさくって、自分がどんな返事をしたかもわからないのに、藍条の声だけははっきり聞こえた。

「そんなつもりじゃ、なかったんだ、おれ」

 藍条が持ってる箱を見る。ダンボールの中はどうなってるのかわからない。

「ちょっと首を絞めただけでさ。まさか、死ぬなんて思わなかったんだ。そんな簡単に殺せるなんて知らなかったんだ。だって、そんなことするのは悪いだろ。おれは馬鹿だけど、ちゃんと悪いことはわかってるよ。わざとじゃないんだ、ほんとに」

「………………」

「わかってるよう。悪いことしたよ、おれ。でも、でも……」

 おれは馬鹿だから、他の人が当たり前に『わかって』『できる』ことがうまくいかない。

 みんな当然にできることを、おれだけひとり失敗して、馬鹿だ、出来の悪いやつだっていつも言われる。

 他の人はたぶんちゃんとわかるんだろうな。首を絞めたら生き物は死ぬんだって。そんなこともわからないやつなのかって、笑われて、嫌われる。いつもそうだ。

 でも。

 でも。

 藍条は。

 あいつにだけは。

「何言ってるんだよ」

 眼鏡の奥で真っ黒い目がきらきら光った。どきどきの数が、少し減った。

「君が言ったんだろう。共犯者になってくれって。つまり、悪いことを山分けしようって意味だ。半分にすれば、君の背負う分はだいぶ軽くなるだろ」

「藍条……」

「君に悪気なんてなくて、いつも“良いように”頑張ってるのは知ってるよ。だから僕は君のことが好きなんだ。だから、今日のことは僕も一緒に悪くなるから。だから――一緒に最善のことをしよう」

 藍条だけは違うんだ。おれが変でめちゃくちゃなことを言ってもちゃんと話を聞いてくれるし、おれを馬鹿にしたりしない。他の人とおれをおんなじように話してくれる。頭が良いだけじゃないんだ。きっと、それ以外の、おれが知らないようないろんなものをあいつは持ってるんだ。

 良いものになりたい。あいつみたいな、良いやつになりたい。

「おれたち、どうしたらいいかな」

「埋めてあげよう。ひどいことしてごめんって謝って、極楽か、天国か、良いところに行けますようにって祈ってやろう」

「うん」

 藍条の言う通り、ショベルで箱を埋めるための穴を掘っていく。

 ざくざく。ざくざくざく。

 掘った穴に箱を入れて、その上から土を被せると、猫も箱もすっかり見えなくなってしまった。

 死んだ人は天に行くっていうけど、死んだ猫はどこに行くんだろう。

 土に埋めたものがどうやって天に行くんだろうな。天国って、地面の下にあるのかな。

 どこに行ってもいいんだけど、もしおれを恨んでるなら、藍条に変なことはしないでほしいな。おれと違ってあいつは良いやつだから。仕返しを受けるべきなのはおれだってのはわかってるから。

 そんなことを考えて、一分くらい、埋めた方に向かって手を合わせて目を閉じてた。藍条はカトリック(ってなんだったっけ)だから、手で十の字を切るみたいな仕草をして祈っていた。

 おれが死んだらそのときも、そんなふうに祈ってくれるんだろうか。

「帰ろうか」

 藍条が立ち上がる。木の間から見える空はだいぶ赤くなっていた。ここからバスで八つ、電車で四つ駅を通ったら、家に帰る頃には真っ暗になってるだろうな。

「なあ、藍条――」

「うん?」

「……ありがとうな」

「ああ、うん」

 気にするなよ、と藍条は真っ黒い目を細めて笑った。

 でも、おれがほんとに言いたかったのはそんなことじゃなかったんだ。

 なんで猫の首を絞めたのかって。

 言ったら、今度こそ本当に嫌われるような気がしたから。

 変な夢を見たんだ。痛かったし、苦しかったけど、たぶん夢で間違いないと思う。だってあんなこと、現実でありっこないもんな。

 藍条がおれに覆いかぶさって、両手でおれの首をぎゅうぎゅう絞めてくるんだ。あいつの親指がのどぼとけの下をぐいぐい押してくるから痛くて、息もうまくできなくって。確か、やめろよ、って言った。でもやめてくれなかったから、たぶんちゃんと言えてなかったんだ。

 あいつは笑ってた。小説とか、面白い話をしてくれるときの顔とは違う、目が開ききって、ぼうっとした感じだった。楽しいのか嬉しいのか、もしかしたら気持ち良いのかなって思った。おれは苦しいけど、あいつが喜んでるなら良いかもしれないなって、そのときは考えた。でも、そのままじゃおれ死んじゃうよな。猫だって死んじゃったもんな。

 藍条、おれを殺したかったのかな。

 おれを殺すと、良い気分になるのかな。

 わかんなくって、だから、見かけた猫に同じようにやってみたんだ。やっぱり猫は苦しそうで、暴れてた。ほんとに死ぬとは思わなかったけど、でも、おれはあんまり楽しいとは思わなかった。

 やっぱり悪いことだよな。悪いことして喜ぶなんて、まるでほんとに悪いやつじゃないか。

「今度は、ちゃんと山に登ろう。山登りって案外楽しいんだ」

「うん」

 藍条は――良いやつだ。だから、そんなことするわけないんだ。だからきっと、あれは夢だったんだ。いつ見たかも、思い出せないけど。

 だから、この気持ちはあの夢といっしょにどこかに埋めておこう。見えなくしておけばいいんだ。とむらう代わりに、ちゃんとなくなってくださいって祈るんだ。

 隠して見えないようにすると、ちゃんと死んでるかわからなくなるなら、生きてるものもきっと同じだ。

 友だちを疑うのは、悪いことだから。

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