2-8

 結局特にトラブルも無く予定の採取を終え、帰途に着くことにした一行。

 とりとめの無い話をしながら山道を下る。

 まだ日は高く、帰ってから何をする、なんてことをそれぞれ好き勝手に話していた。


 不意に、10m程先行して前を歩いていたニナが立ち止まった。

 振り向いて、人差し指を口の前に立てる。

 こういう仕草は次元を跨いでも共通するのだと、拓はのんきに感心していた。


 全員が固まって周囲を警戒していると、遠くの方で木々が揺れるような音が聞こえ、大小様々な鳥が飛び立った。


 まるで魔猪が現れた時みたいだと、拓の身体に緊張が走る。


「何かいるな。」


 クーリオの緊張した言葉に、ニナが反応する。


「見てくる。」

 そう言ったかと思うと、素早く森の中に駆け込んでいった。


「俺達も様子を見に行こう。

 ただ事じゃない気配だ。」


 その言葉に、一同は頷く。


「ここは町に近い。

 もし危険な魔物がいたら、ギルドに報告しなきゃいかんしな。」


 そして、一行はニナの後を追った。


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 乱雑に生い茂る木々の間を抜け、立ち塞がる中背の若木や草むらに構わず突き進む。

 相当に早い速度で走っているだろうに、とうにニナの背中は無い。


 5分ほど経っただろうか。

 木の陰に身を潜めているニナを見付けた。

 前方からは、ただ森の中を騒々しく歩き回る何者かが出す音だけが聞こえてくる。


「ニナ!」


 クーリオが追いつき、声を掛ける。


 振り向いたニナは幾分青白い顔で呟く。


「あれ。」


 指差した方を凝視していると、やや青みがかった体が見えた。

 木々の間から見えるのは足の一部らしい。

 スケール感が分からなくなるほど大きな足だ。


 拓のモノクルも対象を捉えた。

 あれは―


「オーガ…」


 誰の物とも分からない呟き。

 モノクルによれば、それはLv.18のオーガ。


「何であんなモンがここに…。

 町に引き返して、報告しよう!」

 クーリオの言葉に、全員頷いた。


 出来るだけ音を立てないよう気遣いながら、速やかに撤退を始める。


 数歩進んだところで、突然大きな音が響き渡った。

 次いで、拓達のすぐ脇に大人の男二人が手を回してやっと囲めるほどの大木が、スローモーションのように倒れてくる。

 慌てて散開する5人だが、倒れた木の衝撃で土埃が派手に無い上がり、マキナが転倒した。


 グルォオオオ…


 耳をつんざく咆哮に見上げてみれば、倒木で出来た隙間から、一つ目の青い巨人がこちらを睥睨していた。

 身長7~8mほどもあるだろうか。

 圧倒的な圧力をその異形は放っていた。

 一瞬自分の意識すら見失ってしまうほどの恐怖が拓を支配する。


 ―グゥオオオオオ!!!


 身が竦むような咆哮に、周囲の空気がビリビリと震える。。

 だがクーリオ達は流石に冒険者を伊達に名乗っていない。拓ほど恐怖に飲まれていないようで、それぞれに青い顔をしながらも木々の陰に身を隠す。


 拓もクーリオとマキナがいる近くに慌てて駆け込んだ。


「俺が少しの間、足を止める。

 その隙に皆逃げろ。

 マキナは詠唱しながら走れ。

 お前が魔法を撃ったら、俺も逃げる。」


 油断なくオーガを見据えながらクーリオが言った。

 伊達にパーティリーダーをやっていないということだろう。


「クーリオ、死なないでよ!」


「逃げるだけなら余裕だろっ。」


 軽口で答えながら、クーリオは弓を引き絞った。


「行け!」


 それを合図に、離れた場所に居たマニブス、ニナも含め、全員が走り出す。


 一目散に走り始めてすぐ、マキナが唱え終えた魔法を放とうと振り返り、その顔を驚愕に歪ませる。

 次の瞬間、轟音と共に木々が荒れ狂い、拓達の眼前に太い木が落ちてきた。

 オーガが放り投げた物だろう。

 ズンッ、と腹まで響く音がして、拓達の行く手を阻むように、横倒しの大木が塞がった。


 全員が体勢を整えながら散開する。

 こうなっては一線交えて隙を伺う方が良さそうだ。

 全員立ち止まり、武器を構えてオーガを見据えた。


 遅れて、クーリオが走ってきた。

「すまん、失敗した!」


 さっきの格好良さが台無しだが、それを突っ込む余裕は誰にもない。


「マニブスとタクはできるだけあいつを食い止めてくれ。

 ニナは時折注意を引きつけてくれ。

 俺とマキナはあいつの目を狙う。」

 荒い息を整えながら、クーリオが指示を出す。


 すぐさま全員がそれぞれの最適なポジションに散る。


 オーガが歩を進めるたび、あちらこちらから木々の揺れる音がガサガサとうるさい。

 森の怨嗟の声のようだ。


 やがて、オーガが完全に姿を現した。

 15mくらいの高さの木々を手でかき分けながら出てくるその様は、もはや冗談のような光景でしか無い。

 足の太さも尋常では無い。

 拓が通学路で使う長い橋の上で信号待ちしている間、大型のトラックが通過する時に橋が波打つように揺らぐが、あれを大地で感じる日が来ようとは。


 立ちはだかるマニブスに向け、オーガがゆっくりと左足を下ろした。

 足の裏を盾で受け止めたマニブスの体が途端に僅か、地面に沈んだ。


「ふんっ」


 さらに沈む体をグッとこらえるマニブス。

 モノクルに一瞬、「身体強化」という表示が走った。

 おそらくマニブスのスキルなのだろう。


 左足をマニブスが抑えている間に、拓も両手に握りしめたショートソードで斬り掛かる。

 巨大な目標に対し、あまりにも心許ない剣ではあるが。


 軸足になっている、右のふくらはぎ辺りを思いっきり切りつけたが、オーガの足はビクともしない。

 拓の頭の上にやっと膝が拝めるほどの身体の違い。

 それに怯まず、というよりもただただ必死で、続けて二撃、三撃と切りつけると、ようやく傷が生まれ一筋の鮮血が迸った。

 枝先に引っ掛かって切り傷を作った、くらいのダメージだろうが、それでも僅かに気を逸らさせる事は出来たようだ。


 そのタイミングでマニブスが気迫を込め、盾でオーガの足を押し返す。

 シールドバッシュというヤツだろう。


 よろめきながら数歩、オーガが後退った。


 右手前方からニナがナイフを投擲するのが見える。

 拓も追撃に走った。


 見据えるのはわずかに傷を負わせた右足。


 クーリオとマキナの攻撃も届いたのだろう。

 走り込む拓を気にせず悲鳴を上げるオーガ。


 拓の目は、オーガの足をなおも見据えている。

 大人四人分の胴体はありそうなふくらはぎ。

 じっと注視していると、ぼんやりと光るポイントがある。

 これまでの何日かの異世界での経験が、何となく、その場所に剣を叩きつければ良いと拓に教えてくれる。


 渾身の一撃は、オーガの堅い皮膚を抉った。


 ―グギャアアアッ


 先ほどと変わって今度は盛大に血が噴き出し、拓の体を染める。


 同時に拓の身体を淡い光が走った。

 レベルアップ。


 なんて都合の良いタイミングだろうと、息を整えながらステータスに目を走らせる。


 Lv.6―新しいスキルは「斬撃」。

 先ほどの攻撃すべきポイントを教えてくれた感覚はきっと、このスキルの前兆…


 これなら、いけるかも…。

 強ばった表情のまま無理にニヤリと笑った拓は、もう一度ショートソードを振り上げる。

 切り裂け!!


 ―――!!

 

 だが、その切っ先がオーガの皮膚に届く事は無かった。


 意識外から―

 全く意識していなかった頭上から、オーガの手のひらが覆い被さった。


 端から見ていたら、ぺしゃんと音がしたかもしれない。


 状況を把握できない拓を無視して、右手にキュッと拓を掴んだオーガは、鋭く腕を振るい、呆気なく拓を放り投げた。


 10m程の距離を瞬く間に飛んだ拓の身体は、太い木の幹に激しくぶつかり、木の枝や葉を弾き飛ばしながら跳ねるように地上へと落下した。


 何が起こったのか分からないまま、身体中を理不尽に駆け回る、痛みを痛みとすら感じられない衝撃と圧迫感に、ついに意識を手放す。


「タクーー!!」


 最後に聞こえたのは、誰の叫びだったか―

 

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