ロッパの行く末
第159話 ノアピの最後
「ふっ、お前、なんか勘違いしてないか? 俺にとって、古き魔族など如何でもいいだよ」
とデーモン王は、空中に浮かび両手で魔法印を結びながら答えた。そして、掌に現れた魔方陣を自分の身体に押し込んだ。
——— 上空に残った魔素の雲を吸い込み始めデーモン王の身体は、巨大化し黒く変色し始めた。そして溶け出し、大量の黒い塊となって地上に落ちた。塊は数十本の触手となり、うねり、蠢いた。その中央付近にローデシア帝ノアピが捉えられている ———
「何だ。全員待避、さがれ」
と私は兵たちに指示を出した。しかし触手は兵を捕らえ、巻き込み、溶かしていった。
触手の一本がデーモン王の上半身に変化し、
「さあ、人属ども、お前たちすべてを食ってやろう。ファルの市民、シンの兵士、そしてロッパの人属すべてを喰らい尽くすまで、俺は広がり続けるぞ。ロッパから人属も旧魔族も一掃した後、新魔族の土地とするのだ」
と笑いながら宣言した。
「陛下、逃げて」
とケイが私に進言してきた。
「いや、何処までも一緒だ」
と私は答え、騎馬隊に指示を出し、その場を逃れた。
馬を駆り、走った。
しかし、触手は私たち騎馬隊を執拗に追い、追いつかれた兵は馬もろとも飲み込まれた。
◇ ◇ ◇
「あれが、デーモン王の正体か」
俺は、空中から大鎌を持ちながら、地上の様子をうかがっていた。あいつはコーリン、ラスファーンを犠牲にして、結局、デレクも無駄死にさせた。一体奴の目的は何なんだ?
おや、よく見ると、中央付近に、人属か何故か、溶けもせず捕らえられている。
あれが、ノアピか。ああも生かしていると言うことは、よほど大事なのだろうな。
’ふっ、俺にも運が回ってきたか? あれをバッサリやれば、後は証文の魔法が片付けてくれる’
俺は鎌をしごきながら、機会をうかがった。
’ん? エルメルシアの王が追われている。あのままでは呑み込まれるだろう。ここで救えば貸しができるか? ’
あのまま呑み込まれても構わないが、何故か心の半分が助けろと告げる。あの王に合ってから俺はおかしい。
『王を信頼している。それで十分』
’ちっ、あの槍の奴のくだらない忠誠心が乗り移ったようだ。仕方ない’
チャンスは一度きり。
まあ、駄目でも、もうこの暮らしも飽きた。悪逆な王は、とっくの昔に殺したし、最後に賢王を信じて、この世とおさらばも良いかもな。
——— ムサンビは、渾身の力を込めて大鎌を振った。大鎌は高速に回転しノアピの方に飛んでいく。ムサンビは幽鬼となって鎌に纏わり付いた ———
◇ ◇ ◇
「エルメルシア王が。陛下、陛下しか今エルメルシア王を救うことができません。陛下、どうかご英断を」
と王妃アメーリエが、私に進言してきた。確かに、これからは分家とは呼ばないまでも、借りばかりでは面白くない。
「その通りだ。私も今、同じ事を考えていた」
とアメーリエに答え、
「諸君、我々を救うために来たエルメルシア王が危ない。ファルの兵は恩知らずではないはず。エルメルシア王を救う。外国の貴賓来訪の旗を揚げ、エルメルシア王をファル王都に向かい入れよ」
魔法障壁は少し修復した。少しの時間、何とか防げるだろう。
この旗の意味を理解しろ。エルメルシア王!
◇ ◇ ◇
「全弩弓隊、聖水矢を打ち込め。聖霊師は聖霊魔法で対抗せよ。ひるむな!
今、奴を抑えなければ、逃げ場所はない。死に物狂いで打ち続けよ」
とおてんば姫はシン王国正規軍に命じた。
嵐の大波のような黒い塊がシン王国本陣に迫っているところを、おてんば姫は陣頭で指揮をとっている。
俺は、この年下のお嬢さんの惚れ惚れするような指揮ぶりに驚いた。
「サルモス、聖水矢を切らすな。敵は聖水にひるんでいる」
と檄を飛ばしている。
そこへ、右横から触手がおてんば姫を狙って伸びてくる。
’まずい’
と咄嗟に槍を突き出し、触手を止めようとした。しかし、槍が刺さった辺りは蒸発したが、ドロドロの液のような触手全部を止められない。
’ちっ、俺が姫を守る’
と覚悟を決め、身体を大きく広げ、盾になろうとしたとき、
そこに後ろから強烈な白い光が差し、触手を蒸発させた。
俺は驚いて、後ろを振り返ると、おてんば姫は息を荒くし、手を膝の辺りに置き屈んでいた。
そして、
「ばか槍、お前は槍だ、盾じゃない。だが、ありがとう」
と息を切らしながら答えた。
俺は驚き、うなずいて答えるのが精一杯だった。
そこへ、
”エレサ、大丈夫か? ”
と俺にも分かる思念が入ってきた。
上空から四竜妃たちが、それぞれにブレスと魔法で黒い塊の拡大を食い止め始めた。
◇ ◇ ◇
「陛下、ファルに旗が立っている」
とケイが私に知らせてくれた。
見ると、外国の貴賓来訪を告げる旗だ。つまり、ファルに非難せよとファル王の計らいだろう。
「諸君、ファルへ行くぞ」
と声を出しながら合図した。
何人、遣られたか気になって振り返ると、塊は大波のようになり私たちを呑み込もうとしている。
’どうするか。王の気魄を使うか。しかし、騎馬隊もケイも犠牲になる’
と思ったとき、何かが、黒い塊の中央付近に飛んで行くのを見た。
あれは、大鎌。デーモン王に馳せ参じたにしては、様子がおかしい。中央のノアピを殺すつもりか。
◇ ◇ ◇
もう少し。
ノアピを殺せば、デーモン王は滅びる。
もう少し。
——— 高速に回転する大鎌はノアピの直前に迫った。そして幽鬼はムサンビに戻り、そこで大きく鎌を振った ———
これで終わりだ。偽王。
と斬り払った。
確かに目の前のノアピを斬ったはずだった。しかし、そのノアピは黒い塊に変わり、逆に鎌を取られた。
’ちっ、デコイか’
「いやぁ、ムサンビ。久しぶりだな。お前は裏切るのではないかと思っていたよ」
と後ろの触手がデーモン王に変わり、喋り始めた。
「偽王、お前、魔族からも、人属からも嫌われる最低の奴だ」
とあまり意味はないが言ってみた。もはや覚悟はしている。
「主人殿と新魔族のためだ。旧魔族、人属は消えてもらう」
——— 触手が大きな蛇の口のようになり、ムサンビを呑み込んだ。幽鬼は消え、一粒の聖素が空に上がった ———
◇ ◇ ◇
——— ムサンビの襲撃でできた僅かな時間のおかげで、エルメルシア王とその一行はファル王都に入ることができた ———
「ファル王、ありがとう。助かった」
とエルメルシア王は礼を述べてきた。それを聞いたとき、私は目を見張った。
’なんだ、この感覚は。なんで、こんなに親しみが沸くのだ’
私は自分の心の中に生じる複雑な気持ちに驚いた。もう何十年も前の少年の頃の親友との再会した気分だ。
『人たらしの王』の異名は伊達じゃない事を悟った。
「ファル王、どうされましたか?」
とエルメルシア王は聞いてきた。
「いや、同族の間柄だ。ブライアンで良い。私もヘンリーと呼ばせてもらいたい」
と答えてしまった。
——— 怒濤のごとく押し寄せる黒い触手は、辛うじて魔法障壁で止めている。しかし弱くなった障壁を破るのも時間の問題だった。そのとき、城壁に居たアメーリエは、蠢く触手に中に一瞬ノアピを見た ———
「父上」
とアメーリエが呟いた。その一瞬の間に見えたノアピは痩せ細り、苦悶の顔をして目を瞑っていた。
「父上、お目覚めください」
と今度は声を大きくして話しかけた。その時、ローデシアの笏が光り、アメーリエの意識は白い世界に飛んだ。
◇ ◇ ◇
自分の影さえもない白い世界。大きな椅子に、ぐったりと頭を下げた人属が座っていた。
「父上、父上、大丈夫ですか、父上」
とアメーリエは駆け寄り肩に手をおいて声をかけた。
「んううう …… 」
「父上」
「アメーリエ、すまぬ。余はロッパの人属を塗炭の苦しみの淵に落としてしまった。こんなはずでは …… 」
「父上、まだ間に合います。デーモン王を父上から追い出してください。父上」
と呼びかけたが、ノアピは目を伏せたまま、首を横に振った。
ノアピの力の無い否定を見た後、景色が元に戻った。
◇ ◇ ◇
「大丈夫か? アメーリエ」
とブライアンが声をかけてきた。
「ええ、大丈夫です」
少し目眩がして、フラついたところを夫に支えてもらった。
「あの中に父上が居ます。でも精神的にかなり衰弱している様子で、もう心を閉ざしています」
と答えた。
それを聞いた夫は、エルメルシア王に向き直り、
「ヘンリー殿、君が語りかけるのが良いじゃないか。君の、うーん、その不思議な親近感は、心を開かせる力があるように思う」
と言う夫を私は少し驚きながら見た。
まさか、自尊心の強い夫がこんなことを言うとは思いも寄らなかった。確かにエルメルシア王には、心を開かせる何かがあるのは感じているのだけど ……
そんなことを考えていると
「分かりました。私の力が及ぶ限りやってみましょう」
とエルメルシア王は、人なつっこさと真剣さを綯い交ぜにした眼差しで、私達に答えてくれた。
『真なる王が現れた』とローデシアの笏の父祖様は仰っていた。これはエルメルシア王ではないのだろうか。私は今の眼差しを見ただけで確信した。
◇ ◇ ◇
「ノアピ・ルーゼン・ローデシア帝、
私はヘンリー・ダベンポート・エルメルシアである。
どうか、目を覚まされよ。
ローデシアは二百年にわたり、このロッパを魔族から守ってきた由緒正しき帝室であることは、ロッパの民であれば誰もが知っている。
貴方とは行き違いは有ったかもしれない。しかし、このロッパを魔族から守ると言う気概は、昔も今も変わらないはず。
そして今、このロッパを救えるのは、やはり貴方だ。
邪悪な魔族の王を、その御心から追い出し、どうかロッパの民に安寧を与えて欲しい。
貴方は、魔族の王などに負けるはずはないと私達、ロッパの民は信じておりますぞ。
そして、ここにおられる、貴方の最愛の皇女、アメーリエ・ダベンポート・ファル王女共々、貴方が強き心を取り戻すと信じておりますぞ」
と魔術師に声を大きくしてもらい、黒い塊の中のノアピに語りかけた。
周りで聞いているファルの将兵も我が事のごとく聞き入り、ノアピの英断を期待した。
しかし触手の一部がデーモン王に変わり、
「うるさい奴だ。お前が何をほざこうと、ノアピには通じない。奴は既に心を閉ざしている。無駄なあがきをしたところで、俺に食われることには変わりは無い。ふふふ、がはははは」
と大声で宣言し笑った。
そして、何度か触手が魔法障壁を壊そうと攻撃してきた。
’ローデシア帝は心を開かないか’
と私は断念しかけたところに
「父上、お父様、どうかお目覚めください。そしてロッパを救ってください」
と横に居たアメーリエ殿が叫んだ。
「無駄だ、無駄だ …… あん?」
と最初こそ威勢良く吠えていたデーモン王だが、その様子から何かあったらしい。
触手の攻撃は停止し、触手すべてがデーモン王の上半身に変わった。
そして、
「おい、ノアピ、何をしている? 今のお前では、俺から離れば死ぬぞ。おい」
と言いながら、触手の塊の中央付近に向かって必死の形相で喋り始めた。
「おい、止めろ。おい」
——— 黒い塊に穴が開いた。その中心に人属、ノアピが、怒りの形相で立っている。穴は次第に広がり、一つの触手を残して消え去っていく ———
そして、哀しい笑顔になり、何かを告げて倒れた。横に居るアメーリエ殿には判ったようだ。
◇ ◇ ◇
「馬鹿野郎」
と俺は横に倒れたノアピを見て言った。もう何年も一緒だったノアピが横で倒れている。既に息はない。
’証文の魔法は、どこから来るのだ’
と辺りを見回し警戒した。
空を見上げ、大地の音に耳を澄ませ、風の匂いを嗅いだ。
「何処にもない。どこからも来ない。そして何も無い。がははは、やっぱり這ったりか、くそ」
と不安が安心に変わり、そして怒りに変わった。
「この俺を良くも長い間だましてくれたな! お前らをすべて焼き尽くす」
と両手に魔方陣を発生さて大魔法を発動しようとした。
すると、南のアルカディア方角の空から、緑のような青のような強烈な光が、もの凄い衝撃波を伴って飛行していくのが見えた。
「何だあれは」
デーモン王は、両手の魔法印を説き、空を見上げた。
’行き先は、北、ローデシア’
「城の方角だ …… まずい」
と叫んだ。
つい先ほどまでの怒りは、不安と絶望に変わった。
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