第76話 アルカディア学園首都陥落(4)

 それは何の前触れもなく、突然、頭に入ってきた。オクタエダルがロッパにいるアルカディアの卒業生、学生、先生、老師に向けたメッセージだった。

 僕たちは、シン王国教会聖都の王城でそれを聞いた。


“儂じゃ、ニコラス・オクタエダルじゃ、さて、アルカディアの子らよ。もし魔法使いでない子達が近くに居たら、儂のメッセージを伝えておくれ“


―――少し、間が空き―――


“今、この世界は未曾有の危機に瀕しておる。現在アルカディア学園首都、大図書館塔上空に敵が放った『混沌の錬金陣』が現れ、恐らく制御不能状態にある。このまま放置しておけば、数日のうちにロッパ大陸が無に帰し、数ヶ月で我等の星自体が消える。そして何年か後、我等の宇宙全体が混沌に戻るじゃろう”


 僕とヒーナは、『混沌の錬金陣』と聞いて驚愕した。


 シェリーは直ぐに調べて理解した。


 アーノルドは、直感的に危険なものと理解した。


“今であれば、これを止めれるじゃろう。儂は、『基盤証文の錬金石』を使って『混沌の錬金陣』を破る”


『基盤証文の錬金石』、これを知っているのは、教授陣の一部と各国元首くらいだろう。僕は、見たことはないがあることは知っている。


 オクタエダルのメッセージは続いた。


“しかし大図書館塔は大破する。このため、これまでロッパ全土に遍く伝わったアルカディアの叡智は一時的に通信不能に陥るであろう。この時、魔族が我等に牙を剥くかもしれね。”


 ザー

―――ノイズが入る。オクタエダルの通信が途切れ始める―――


“しかし忘れないでほしい。アルカディアの叡智は、アルカディアの子らに引き継がれておる。儂は、アルカディアの子らが、必ずや魔族の牙を退け、この窮地を脱することができると信じておる。最後に導き手たる教授陣、老師方に伝える。全ては正八面体が導くであろう。そして……”


 ザー


“……のために基盤証文は永遠である”


 僕は、師匠は死ぬ気ではないかと心の中で強く感じた。居ても立ってもいられず、アルカディアに向かおうとドアを開けた。


 突然の行動にヒーナ、シェリー、アーノルドは驚いたが直ぐに察した。


「やはりのぉ、お主達なら、そうすると思っておった」「おった」


 そこには、双子の聖霊師が立っていた。


「聖霊師様、師匠は、オクタエダル先生は」

と僕は狼狽えて聞いた。


「慌てるでない。ニコラスが考えたことじゃ。それに今から行ってもニコラスを助けることはできん」「できん」

聖霊師達は、いつになく厳しく言った。


 僕は、拳を握り、下を向いた。

 ヒーナとシェリーは、泣いていた。

 アーノルドは眉に力を入れて、虚空を見つめていた。


「しかし、その後じゃ」「後じゃ」


 僕は顔を上げて、聖霊師を見つめた。


「ダベンポート王をここにお招きせねばならぬ。良いか、ニコラスは、必ずや王を救う手立てを立てておる」「立てておる」


 聖霊師達は僕を見上げて言った。


「賊どもが、王を害することがないように、お迎えに行かねばならぬ」「ばならぬ」


 僕は頷いた。


「サルモス、タン、こちらへ。これは、サルモス・ウード大尉じゃ。一軍を率いて、お主達と行動する」「行動する」


「サルモスです。よろしくお願いいたします」

レオナ・クライムと同年代の猪の血が入った堂々とした偉丈夫だった。しかしその体格とは異なり、礼儀正しい感じの人だ。


   ◇ ◇ ◇


「ロニー、如何じゃった? 中々良かったじゃろ?」

とオクタエダルは、大図書館塔の頂上で、自分の演説を自画自賛した。


「良かったと思います」

ロニーは、ボソっと答えた。


―――黒い点は、不気味な黒い月の様になってきた。そして塔の上辺りまで来て、吸い込む風が強くなってきた。オクタエダルとロニーは風に煽られないように、柱に自分の体を縛り付けている―――


「ご主人様、後二十分丁度です」

とロニーは言った。


 オクタエダルは頷き、塔の通信機を使って、ヘンリーに年寄り特有のざらついた声で、語り始めた。

「ヘンリー、良いかよく聞け。『混沌の錬金陣』を破るために『基盤証文の錬金石』をぶつける。するとじゃ、今いる証文の部屋の天井が崩れる。そうしたら、直ぐに昇降機で上に登り、あとはシン王国を目指せ。良いな。儂を探すなどするな。儂は儂ですることがあるからな。それから、なるべく壁の方にいることじゃ」

とヘンリーに語った後、


「さて、最後にあの者達に助力を頼んでおこうかのう」

と賢者の石の指輪を額に当て、思念を最大にして語りかけた。


 しばらくして、思念を終えて目を開けたオクタエダルにロニーが珍しく質問した。


「ご主人様は、レミー様とミリー様どちらを好いておられましたか?」


 オクタエダルは、目を丸くした後、

「何を聞くかと思えば、そんな事か。ミリーじゃ。覚醒する前の大人のミリー、レミーは、共に本当に美しかったのぉ。」

と少しはにかみながら答えた。


「しかしの、実はのぉ、どっちがレミーで、どっちがミリーか今でも判らん。これは秘密じゃぞ」

笑いながら、ちょっと顔をちょっと横に向けて答えた。


「タンは、判ると言っておったが、あれは嘘じゃな、ハハハハハ」


 ミリー、レミー、タン、ニコラスが、


 学園で、

 笑って過ごした日々、

 怒って過ごした日々、

 泣いて過ごした日々、

 そして別れの日、

 今となってはどれも懐かしい。


 オクタエダルは、しばし掛け買いの無い、青春の煌めいたひと時を思い出して、遠くシン王国の方を見つめていた。


 そして厳しい表情に戻り、

「さぁ、始めようかのぅ」


   ◇ ◇ ◇


 レン老師が、

「なるべく壁際にお寄りください」

と感情を殺し、声を低くして言った。


 もうすでに、ここにいる全員が、ロッパ大陸にいるアルカディアの子たちが、オクタエダルは死ぬ覚悟を決めていると確信した。オクタエダル以外にこの厄災を止められるものはいない。世界最高峰の錬金術師と呼ばれた男の策、それ以上の策を持ち得る人属など、他にいない。


   ◇ ◇ ◇


―――大図書館塔を中心に縦に八つの錬金陣があらわれた。証文の部屋の何も無い柵の中では、青い光と共に巨大な賢者の石が一瞬現れ、目にも留まらぬ速度で、天井を突き破った。大図書館館塔を砲心にして『基盤証文の錬金石』が、黒い点の中心にあるツギハギの賢者の石に向かって打ち出された。

 鉄をも溶かす強烈な閃光と、石をも砕く衝撃波、それらは時空嵐で食い止められた。時空嵐が消えた後、熱を帯びた爆風が辺りの木々を吹き飛ばし、なぎ倒し、そして焼いた。

 砂埃が晴れた時、黒い点は消え、麗しの学園首都は、大図書館塔を半分残し、すべて瓦礫の山となった―――


―――その時、遠くシン王国にいるジェームズの耳に、オクタエダルが最初に語ってくれた言葉が蘇った―――


「この世界の錬金術的な宇宙観、その構造から、話すことにしようかの」


第1部 「雑貨屋の主人は錬金術師」 完

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