バーチャルYouTuberにおける「身体性」―「身体的苦痛を全く伴わない形での身体拡張」について

国会前火炎瓶

バーチャルYouTuberにおける「身体性」―「身体的苦痛を全く伴わない形での身体拡張」について

 バーチャルYouTuberとは、「外見がコンピューターグラフィックス(CG)やイラストのキャラクター」であるYouTuberを指す用語である。有り体に言えば二次元的なキャラクターの外見を用いて、YouTuber的な活動を行う配信者(動画製作者)のことである。

 バーチャルYouTuberをパッと見ていわゆる「身体性」と絡める人間も多いだろう。つまりはバーチャル空間を用いた身体拡張、身体改造、「身体性」の延長はともすると、らき☆すたなどを始めるとするコンテンツの聖地巡礼や、ラブライブ!コンテンツなどにおけるコスチュームプレイなどの「身体の再獲得」などを思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし、これらの「身体の再獲得」とバーチャルYouTuberの活動とは大きく異なる点がある。それは「身体的感覚を伴うかどうか」という点である。

 バーチャルYouTuberの受肉、特に「バ美肉」に代表されるようなバーチャル空間上での性別越境は、「身体的苦痛を全く引き受けない形での身体性の拡張」である。「身体の再獲得」では身体的感覚を伴うことが重要である。つまりは「自らの体で」それを行う、と言うことが重要なのである。例えば聖地巡礼をする場合、その場に至るまでの身体的な疲労などは自分自身が引き受けなければならない。コスチュームプレイなどでも同様で、例えば男性が女性のキャラクターに現実的な形で性別越境を行う場合、胸に詰め物などをして胸を再現するなどの方法が取られる。その場合、その胸の重さの感覚などは(疑似的ではあるものの)、自らの身体で再現される。

 その一方でバーチャルYouTuberにおける「身体性の拡張」は、バーチャル空間上の動きは自らの動きと連動するものの、その身体的苦痛は全くもって再現されない。つまりは、男性が女性へと性別越境する時、胸の重さやその他もろもろの女性的身体にまつわる実際的な苦痛は、疑似的にも自らの体に再現されることはない。バーチャル空間上での触覚なども(通常)現実的な感覚へ還元されることはなく、バーチャル空間を視覚的に捉えることでのみ、感じ取ることができるのである。

 これはいわゆるゼロ年代に考えられた「電脳空間的娯楽」―つまりは身体を伴うこと無く全ての娯楽が完結する―という世界が、ここに来て現れ始めている、ということではないだろうか。勿論、ここからバーチャルYouTuberが再び「身体の再獲得」へと回収される可能性も大いに存在する(「町会議」におけるにじさんじライバーのお悩み相談など、身体性を伴うコンテンツ消費は強く残っているため)が、このままコンテンツの消費すらも「身体的苦痛」から切り離される未来も大いに考えられるのではないだろうか。

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