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玄関前に張られていたサークルを出てみると廃屋は無事そこにあった。中に入り桜井さんの機材や宝物も無事であることを確認し俺たちはほっとする。部屋の時計を見ると時刻は十六時四八分だった。


かるい食事をとるべく俺が用意している間に桜井さんは外に出ていって済ませるべき雑用の処理にあたる。べつにあの広い草はらに行かずともカソーレス兄弟の解放はここからでも可能らしい。解放すれば自分たちで帰還するだろう。振り返れば重要な役割を果たしてくれた兄弟である。今となっては感謝しかない。


桜井さんが外から戻ってきて食事をとりながらこれからの行動についての話し合いが始まる。彼の結論としては旅がしたいということだった。地上と地下を行き来し、激しく移り行く情勢を自分は見ておくべきなのだと、そしてそれができるようルナイシエンサと話をつけてきたのだと。


移動に関してはクリプト側からは元々許可を得ており、これからはどこでも自由に旅行できるということだ。危なくないですかと尋ねるとリスクはもちろんある、でも俺にしかできんことがそこにあると思ってるんだと彼は言う。


「デリリウムという物質がある以上、誰かがマスターにならなければならない。地下世界はマスターを必要としている、と。俺である必要はないが……俺もまたデリリウムマスターを必要としてるんでそこに近づく努力がいるだろう。結果的にZD9を越えるモノが作れるかもしれないしな」


……やはり根っからの科学者なのだ、この人は。


頼りになる人なので離れるのは不安な気持ちにさせられるがこればかりは仕方がない。俺の方はマリとふたりで警戒しながら生きていくしかないのだろう。


忘れてはならない。マリ、そしてZD9はボールドの国家資産なのだ。厳密にはAIマリは逆賊であり俺は共犯者だ。根本的なことを言えば“預言”次第で俺たちの立場はころっと変わる。まったく安心できる状態ではないのだ。しかし、それはふつうに生きていても同じかもしれない。


ふと俺はここまで抱え込んできた疑問を思い出して桜井さんに訊いてみた。


「訊く機会がなくて黙ってたんですが……そもそも生体エネルギーというのは何なんでしょう?」と。


タバコをくわえた桜井さんがきょとんとしているのでマリが先に答えた。


「定義はありません。便利なワードとして使われてて学術的な意味合いと軍事用語ではかなり中身が異なります」


桜井さんが引き継いで語る。

「そうだな。学術的には電気化学エネルギーみたいな解説が入る。軍事ではポテンシャルの意味合いで戦闘力の対義語として使われることが多い」


「というと?」


「戦闘力はその日の体調によって変化するだろ。対して生体エネルギーは基本的には一定のもの……使えば消耗するが使わなければ一定、といった概念に基づいている」


そうではなくてですね。


「いや……生体エネルギーそのものが何なのかという疑問なんです。定義の話でなしに」


「それは難しい問いです」とマリ。桜井さんも困り顔である。


感覚的な言葉なのかな。しばし黙してから桜井さんが口をひらいた。


「不登校ってあるだろ? この国にはそうした生徒が何万人もいて、教師の側もメンタルの病で何千人も休業してると聞く」


「はい」


「内面的な理由は一人ひとり違えど、なぜ結果、行動としてそうなるのかの原因を乱暴にひとつにくくるとすれば……それは“生体エネルギーの浪費”だと言っていいように思う。断定まではしないが」


「無駄な消費、消耗という意味ですか?」


「冷たく言えばな。社会的にはもちろん無駄ではない。

本人にはとりあえず管理を通過したという小さな実績がつき……社会にとっては、管理しやすい従順な人間になるべく調教され、反抗の気持ちすら起こらないほどに生命力を削られた、社会の構成部品が出来上がるわけで、これはこれで世の中には意義がある。

だが一方で生き物としての本人にはあまりに代償が大きすぎ、あまりに得るものが小さいという現実がある……見たところ君に不登校の経験はないはずだ」


「ないですね」


「環境にアジャストできるメンタリティがあるのはむろんのこと、君の生体エネルギーにシステムを難なく通過できる質と、例え苦しみがあったとしても耐えきれる量があるからだ。量が余裕を生んでいるという意味な。

……一方でそうではない人もいる。通過ただそれだけに多大な負荷と苦しみがあり、乗りきれたとしても消耗が激しく四○くらいで限界を迎える……という。かなり抑えた表現での話だ」


「もう少しわかりやすくお願いします」


「君を基準にしたとして、君が難なく過ごす一年が……あくまで極端に言うとだが……その一年で彼らは十年二十年分の浪費をしてしまうと。

そして失った分は取り返せんのだ。だから“休む”のさ。或いは生存本能に突き動かされた脳が行かせないのさ。……しかし君のように難なく通過できる者はそのアドバンテージがわからず彼らの休む行為は欠陥にしか見えない。甘えと捉えるわけだ。当人は人生を削っているのにな」


「俺は甘えとは思いません」


「君がどう思おうと、しかし甘えとしなくてはならない。社会のバランスを優先するのがふつうだしふつうというものに価値を置かなくてはならない」


「はい。……俺に言われても困ります」


「困るったって君、君だって日本民族の一員なわけで、衰退の原因はそれにもあるし被害を被るのは君の世代だぜ?」


わけのわからない批難である。


「管理教育になった段階で生体エネルギーを巡る戦場になってるのが実状で、しかし認めるわけにはいかないからこの実状と犠牲は社会性によって分類した“社会のごみ箱”という名のブラックボックスに落とし込む仕組みだ」


「はい。俺に言われても困ります」


「労働者であり納税者であるはずの資産をごみ扱いかね」


俺に言われても困る。


「はい。国や民族なんていう概念を捨てて均一さを求めたところにこの国のシステムの土台があるわけで、犠牲は当然あるものです。無視してよい点です。桜井さんが言ってることは屁理屈ですよ」


「屁理屈かね」


「……昔、G馬場さんがこういう意味のことを言ったわけです。業界に、オーディエンスに……時代に向けて……もしかしたら未来に向けて、こう述べたわけです。UWFを越えたものがプロレスなのだと。……ここでの議論で言えば、桜井さんの言う屁理屈を越えたものが日本社会ですよ」


「……我々は何の話をしてるんだ?」


「生体エネルギーについての話……そして管理教育が完成した八○年代に社会のマイナスを抱きとめる、国家の役割を果たしていたのが八○年代プロレスだったって話です。……えっと……俺は何を言ってるんでしょう?」


「いやわかるよ」


マリが解説してくれる。


「特権階級はこちらの情報にアクセスすることができたんです。密輸という形で」


「へえ」


「昔はぬるかったのよ。というかいまでもぬるいがね。まあ、、生体エネルギーが何かという問いに対する結論としては、生物が生物として生きていく力……ではないかな」


「順応性や従順さとトレードになっているもの……でしょうか?」


「実際そうだろう。といっても君のケースはちょっと違うけどな。君のは地球の回転が、、回転するその力と直結したエネルギーだから、君にはあてはまらん、というのも真実の一面としてはある」


……? はい?


「という仮説を持ってルナイシエンサと対峙したんだけども、向こうは考えた末に認めたよ。アレクセイの所持していた資料にその記述があったそうだ」


「詳しく教えて下さい。理解不能です」とマリ。俺も同じくだ。


「俺は今日から科学者に復帰した。科学者としての言質が述べられるようになってから……その時が来れば話すさ。今は我慢しろ」


俺もマリも黙るしかなかった。


「それこそがアレクセイが追っていた最後の仕事だ。俺が引き継ぐ。引き継ぐことに決めたんだ」


世界は夜になり、俺は長いこともやもやしていたのだが、もう考えないことにした。手に余ることを考えても仕方がない。でなければホントにこれは呪いである。いいかい? 俺はこの日本社会の中で生きて行かねばならないんだ。誰だか知らないがどでかいものをひとりに背負わせるもんじゃないよ。それってモラルに反しないか? 俺は楽しく生きて行ければそれでいい男なんだよ。なあんでこうなるかな?


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