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「いろいろと教えて下さってありがとうございました。俺は地上人としてはできそこないなんですよ。だからふつうの望みが出てこない。メンタリティをふつうに変えてほしいとお願いしたらそうして下さいますか?」


「それは無理です」


「つまり俺が望んでいるのは魔法なんですよ」


──ほんとに始まらないのだろう。ふわふわと宙に浮いたままに人生を送るのが俺に用意された未来だ。それでいい。それでも何かを見つけるだろう。


俺は椅子から立ち上がり、彼女に訊いてみる。


「この先、あなた方の俺たちに対する扱いはどうなりますか?」


「引きつづき交渉ということになりますね。その兵器があるべき場所はここボールドです。その点は何ら変わりません。ご不満でしょうがそこは譲れません」


「不満はないです。それでよいのではないでしょうか。俺の方は未来のことはわかりません。マリだって変化がないとは言い切れません」


「こちらとしてはマリの変化を期待するしかありませんね」


「ま、平穏に事が済むことが何より大事ですよ。……ではルナイシエンサ、会えて俺はうれしかったです。……さく……いえ、イヴォン博士はどちらに?」


「二階の応接室であなた方を待っています。案内がありますよ」


「そうですか。ではまた」


俺がそう言って部屋を出ていこうとした時である。奥から声が響いてきた。「ハルオ」と。高齢男性の声。


しかし耳に聴こえたというよりは全身に音声が叩きつけられたような感じで奇妙である。同時に、ルナイシエンサがびくっと大きく体を揺らしたので俺はそれに驚いた。


彼女はおののいている。俺の方が彼女の様子を見ておののきたいくらいだった。口をひらいたり閉じたりして、しかし声が出せないでいる。


「あ……」と漏らすがつづかない。


なんだろう? どうした? 彼女の視線からすれば部屋の奥にある頑丈そうな扉からである。


「呼ばれてますけど」


「そ、そうですね……そのようですね……」


「行った方がいいですか?」


「え……? ええ、ああ……、私にどうこうは言えません……いえ、声に従って下さい」


「いや、しかし」


あなたが最高権力者ですよね?


「ああ……くれぐれも、服従の気持ちを忘れずに」


服従? それは嫌だな…… というか誰に?


「どういうことですか?」


「頼みますから言うことを聞いて下さい。こちらの世界にいる間だけでいいですから、、わかりましたね?」


最後の一言をおっかない声で彼女はそう言った。恫喝に近い威圧が込められてあり、わかりました、と俺は答えるしかなかった。なんだってんだ?


マリがここへ来て初めて声を発した。

「行かない方がいいんじゃないですかねえ……」


初めて聞く弱々しい声色である。何かを感じ取っているのだ。


でも俺は行くしかなかった。マリが言うように俺は選ばれし者なのだから。選ばれしクズと言った方がいいか。


その扉が頑丈そうに見えるのは一見して金属製であることがわかるからだ。近づくとそれがもっとよくわかる。削り出しの金属を磨き上げて仕上げた扉はいかにも重そうで、間違いなくかなりの厚みがある……と思っているとガチャンとロックが解除される音が鳴った。


歩を進めてノブを掴むと、思いのほかするっと手前に開く。しかし扉の厚みは十センチを越えていた。


──なんだ? シェルターみたいなもんかな?


扉の奥はひとりしか通れない狭さの回廊がつづいていて、天井が異様に高く、壁に設置された照明の灯りが届かない。遠く向こうに扉が見えて俺のセンサーは何かの存在を感じとる。


一方で危険は感じない。回廊に足を踏み入れると自動で扉がゆるゆると閉まり、ガチャンとロックが掛かる。するとその瞬間にマリの存在感が俺の中から消えた。突然、休眠状態に入ったようだ。


──どうした?


それはまるで故障のような唐突さだったので俺を不安にさせた。が、少し考えてみると道理に沿った現象だとわかる。


マリは機械なので目の前で起こることを自動で記録、保存してしまう。本能でわかる。この回廊と奥の部屋は地下世界において秘匿された“異界”なのだ。さすがに記録はまずい。


二○メートルくらいは進んだだろうか、木製の扉の前にたどり着く。俺はかるく扉をノックした。


「どうぞ」と声が届き、俺は静かに扉を開ける。


そこは書斎のように見えた。両脇に厚い本がみっちりと詰まった本棚、奥に大きな机とその前の椅子に座った白髪の男の後ろ姿。目につくのは奥の壁一面に設置された薄型モニターの群れである。何も映ってはいない。二、四、六……計八枚のモニターがありさらには机の上にもさながらトレーダーのように四枚のモニターが置かれてあった。


とても整理された部屋で……いや、整理されすぎか。机の上のものも含めモニターはすべて電源が切ってある。椅子が回転し、部屋の主が振り向いた。


「よう来た。入りたまえ。マリにはわるいが強制的にスリープにしておいた。彼女に聞かれるのはまずいのでな」


白髪と白髭の老人である。見た目は老人にすぎないが中身はそうではない。俺の目の前にいる存在は人間ではなく人間の形をした何かだ。それだけは明確にわかる。


体の奥、心の底から震えが全身に広がるこの感覚は、聖なるものへの畏怖というものがあるとしたらそれだった。それそのもの。


とりあえず扉を閉めてから俺は恐る恐る尋ねる。


「あなたは?」


「代理人だ……何の代理か、わかるか?」


「いえ」


ちらっとGODという三文字が頭をよぎったがこれは違う。断じて。


「しかし君にはもう直感でわかってるのではないかね?」


まあ、確かに。その通りだ。


「“それ”の狙いは言わば人類共倒れだったのではないでしょうか」


「……最初はな。最初はそのつもりでデリリウム鉱石を人類に与えた。……が、狙い通りにはいかなかった。ひとりの科学者がAIとセットで組み込むという方法を見つけ出したからだ」


「それが使いこなしのポイントだと?」


「細かいことを省いて言えばそうだ。おそらくデリリウムが“地球の意志”のトラップであることを見抜いたのだろう。彼は」


「マリがリスクを制御しているわけですか」


「いや、制御と呼べるレベルにはない。いまのところ共存だ。文字通りセットにしているのだよ。マリのプログラムと。一心同体なのだ」


「彼女はそのことを理解……というか把握してるんでしょうか」


「わからん。うすうすは気づいているかもしれん。いずれにしろいつかは確信に至る。アレクセイ・シュナイザーの意志というものが……“地球と共にあれ”であると」


美しく、そして恐ろしい意志だ。俺たちは地球を破壊してなんぼ、痛めつけてなんぼの生き物でそこには揺るぎないルールと強固な全体主義が横たわっている。


「現実に可能なんでしょうか」


「それはこの星に住まう君たち人類の問題だよ」


「それはそうですが」


「可能じゃないからAIに託したんだろうがね」


「どうも俺たちは絶望的な生命体のようです」


「まったく絶望感なしにかるく言うね君は」


「……アレクセイ・シュナイザーとはいったい何者だったのでしょうか……?」


「さあな。ただこういう不思議な出来事を背景にしている……彼がまだ母親のお腹の中にいた頃、ルナイシエンサが訪れてその腹部に“手をかざした”ということがあったそうだ。私は関わっていない、彼女自身の行動だった」


──え?


「あれ? それって五十年くらい前のことですよね。彼女いくつなんです?」


「八六」


「あの容姿は?」


「テクノロジーで最も美をたたえていた時期を維持させている。幾つかの内臓や関節は人工だ」


あらあ……わかんないな、それは。少なからずショックだった。まあでも驚くことでもないか。最高権力者が二十代なわけがない。それよりも……




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