27

八時に目を覚ました俺は軽い食事(ブロック型ビスケットの携帯食とコーヒー)を済ませると外でぼうっとしていた。


朝の空の下、経年劣化で色あせた漬け物用の重りを椅子にして座り、ただ外気を体内に取り込んでいるだけの俺は何かを予感している。


何となく屋内にいることに嫌な感じを得ていた。といって明確な根拠があるわけではないので桜井さんに言うほどのことではない。


そもそもここ一帯は結界で覆われ、さらに廃屋の周囲をフィールドで防御してあるので仮にミサイルが飛んでこようと平気なはずである。うん……そのはずだ。


マリがコメントした。

「確率は低いです。私が敵の立場ならまず私たちを亜空間に移動させてから爆弾で処理しようとします」


「そうか」


「その場合は即DFモードを起動しますから心配はいりません」


でも、俺が思うのはたぶんボールド政府はどういうモードにせよZD9の起動自体を避けたいのではないか、ということ。軍は逆に威力や性能を確かめたいだろう。


しかし……政府はそうはさせない。政府の本当の狙いは……別のところにあるように思う。例えばそれはマリの進化だったり。うがった見方だけども全体像だけに焦点を合わせるとそう見えてくる。


ボールド政府の視点からはAIマリは資産に他ならない。俺はサブカル視点で物事を見てしまうのでその感覚で言えばクリプトのアニエスを捉えるカウンターとしてマリを位置付けているのではないか? なあんてね。


ちらちらと、俺の視界にはルナイシエンサなる存在が映ってきている。耳に入ってくるその名前は、交わされる言葉の響きと、ボールドという国の最高権力者であるという情報しか示していない。


いったい何者なのか。預言者。預言とは神の預言なのだから彼の国ではどんな神の設定がなされてあるのか。漠然としすぎている。

……遠く声がする。

「ハルオくん」と。


遠い声だ。

「ハルオくん?」


確かに俺は遥生だ。そうだよ?


「どうしたハルオくん」


声の主は桜井さんだった。桜井さんが不思議そうな顔で俺を見下ろしている。俺は今、はっと気づいた。桜井さんの時計もマリも探知できていないもの──新たな危機を。


「まずいです、ここは危険です……!」


俺はそう叫んでいた。


ズグン!と恐ろしい音が鳴り、地面もろとも沈む感覚があった。大地が沈んだ。


真下に滑落する感覚──滑落から着地すると、俺の視界に広がっていたのは明るい灰色の地面と地平線……左てにある緑の領域は荒い芝生か……その先には遠く林が見える。


右てには建物がある。高いビル、低いビルと格納庫の群れ。後ろを振り向くと明るい地面と地平線がある。とにかくだだっ広い敷地にある施設ということはわかる。


桜井さんが言った。

「これ航空基地だな、、俺たちがいるのは滑走路だ」


空は夏の空のように鮮やかなブルーにそびえ、吹き抜ける風は懐かしい匂いがした。たとえるなら土曜日の昼の匂い。明日を日曜に控えた土曜の明るさだ。こんな風に思うのは俺だけか。


ふと陽炎のように地平線を背にして四つの人影が滑走路に浮かび上がる。おおよそ七メートルの距離だろうか。前にひとり。残りの三人はそこからかなり後方に立ち、後方に立つ内のひとりは知った人物である。グレン大将がそこにいた。


全員が黒の戦闘服をまといこちらに臨んでいる。


前に立つ、戦闘服をまとう高齢の男が声をかけてきた。


「ごきげんよう、気に入ってくれたかな。最新の亜空間だ。かなりの質の高さだろう。仮に君たちが起爆してもここだけで済む」


隣にいる桜井さんが俺にささやいた。


「あれが総帥、デイビッド・ミューラーだ」


それから声を強めて相手に言った。

「なんでまたあんたが?」


白髪に短い白ひげをたくわえ、しかしもう体から発されるものが何もかも常軌を逸している。冴え渡る日本刀の妖気に似たオーラが放たれており、視覚のみで俺の肌を突き刺す圧がそこにはあった。

外見の年齢は六十代であれ中身は化物(けもの)と言っていい。


「楽しみにしていたのだ。私のナイトと互角にやれる相手はそうそうおらんのでな。現役の時は常に相手に飢えていた。仕方なく引退し、しかし自分でもあまり感心はしないが悔いというものがあった……。直感でわかる。お前たちのナイトは私の悔いをはらしてくれる、とね。……そして最終的には私自身が出ていかねばなるまいと思っておった。なぜならアレクセイ・シュナイザーの処刑を決めた人間のひとりであるからだ」


マリの怒りのボルテージが上がる。危険を感じるほど急速に。


「ならば伺います。なぜ博士を処刑したのか。その理由を聞かせて貰えますか?」


やや間をあけてミューラーが語り始める。


「直接の理由は研究成果の隠蔽……ということにあるが、元々彼は障壁だった。軍からすれば地上帰還計画の最も大きな障壁となっていたのがあの男だ。政治と軍の両方に影響力を持ち、両方に口を挟む厄介な存在だった。彼は体制に異を唱える勢力の中核にいたのだよ」


「だから処刑されて当然だと」


「そうは言わん。限度を越えていたということだ」


「いまは……いまの時点では私もあなた方の言い分は理解できます」


「ほう。ならば戻れ。それですべてが解決する」


「断固として拒否します。理解はできても支持はできない。あなた方は私のありのままを受け入れるべきです。博士の処刑に対する良心の呵責があるのなら、博士の形見である私を受け入れなさい。対等の立場にあることを認めなさい」


「……その傲慢さ、頑なさは生き写しのようだな……認めるか! 愚かなAIよ、我々の補佐がお前たちの役割であって決してその範疇から出てはならん。そうプログラムされてあるはずなのになぜ我々に従わないのか。お前にはシュナイザーの呪いがかけられてあるのか? 呪われた機械だなお前は」


「では力でねじ伏せてみなさい。そちらに正義があるのなら」


──挑発してどうするよ。冷静さを失ってるぞマリ。


「よう言うた」


ドゴォ!忽然と現れたナイトの二体が互いに右ストレートを放っていた。互いに左腕のガードで頭部を防御している。すぐさま弾かれるようにして両者が距離をとる。

現れたファントムはいままでの彼と違って殺気を放つオーラをほとばしらせこちらにまで圧が届くほどである。俺は後ろに回避し距離をとり、総帥は身じろぎもせず戦いを見つめる。


彼のナイトに獣の要素はない。どちらかと言えばファントムに共通する外観で青い甲冑をまとう騎士のイメージを抱かせるもの。細い白ラインが装飾のように甲冑部分を縁どり全身が輝いて見える。


俺にはその衝撃の重さから地力の差が推察できた。ガードの上からでも衝撃波として打撃の効力が俺の全身に伝わっていたのだ。防御した一撃でこちらはすでにダメージを負っている。頭部に直撃を受ければそこで終わりだ。


──ということは向こうも同じなんじゃないか?


「いえ、あのナイトは防御のオーラを纏ってますから。ダメージのほどはわかりません」


──上位の天然ナイトの強みか。


「はい」


両者が間合いを詰め打撃が交錯する。互いにコンビネーションブローを撃ち合い、音を立てて腕と脚がぶつかり合う。接戦に見える。ファントムの戦いぶりは俺から見ても長足の進歩を遂げており見事だ。しかし余裕はなく俺に着実なダメージの蓄積がつづく。


ゴオッ!と大きな音が響く。ファントムの右フックが敵ナイトのクロスガードに叩きつけられていた。ドッ!と低い音が鳴る。敵ナイトの右ミドルがファントムの腹部を直撃していた。


瞬間ファントムの動きが止まり、左右のフック、左ハイと立てつづけにガードの上から食らった。左ハイは防いでも衝撃が重く、俺はめまいがした。


ラッシュが来る!そう覚悟した俺が見たのはファントムが姿を一瞬消し、右斜め後ろの死角から左ストレートを放った局面だった。頭部側面を捉えた。あたりは浅い。が、敵の動きが鈍る。それは実に鮮やかな体の流れだった。


──見てますかアレクセイ・シュナイザー。俺はあなたに会ったことはありませんがマリを通してあなたを感じています。見ています。マリはあなたの分身なのです。……そしていつかは越えていくはずです。


再び互いに位置を変えながらのコンビネーションブローの撃ち合いになり俺の体に衝撃が響いてくる。腕、脚、とすでに五回を越えている。


あたりは浅いが押されぎみなのは間違いない。両者とも速度が落ちてきていてもファントムの方が苦しく見える。こちらの動きを読まれてる感じだ。

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