倫敦傷心旅行記

@mamossan

空の旅

 祖父が死んだ。

 葬儀を終えてから、飛行機に乗り込むまでの記憶は無い。いや、あるのだが、抜け殻になった体をどこからか操られているような感覚で、どうも自分の行為のように思えなかった。

 今飛行機はだだっ広いユーラシア大陸上空を飛んでいる。目的地はアムステルダム。そこから飛行機を乗り換えてロンドンへ向かっているようだ。

 学生という身分もあって、かなり安く航空券とホテルを確保できた。現地で使う現金を合わせると、二十万程度といったところか。

 ただいくら安くても、離陸の際に頭上のライト辺りから水が漏れてきたのはあんまりだろうとは思った。思わず配られた枕で衣服が濡れるのを防いだが、これからの航路が少しばかり不安になった。

 すぐ乗務員を呼んで水が落ちてきたことと、枕を変えてほしい旨を伝えたが、やはり出てくるのは安っぽい枕。そして水漏れ対策も隙間に硬い手拭き紙を詰め込んだだけ。海外企業だからなのか、エコノミークラスだからなのか、海外旅行は初めてのことなのでよくわからない。

 その後出てきた機内食も、簡単なプラスチックの容器の上にまたプラスチックの容器をいくつか置いた、いかにもな物だった。実を言うと、僕はこっちの機内食の方が好きだ。ファーストクラスの機内食は確かに美味しいのかもしれないが、似たようなものはちょっとお高いレストランに足を運べば食べられる。それを百万かそこらを出して空の上で食べるのはどうだろうか。それが好きな人には申し訳ないが、僕はこういういかにもな物の方が非日常を味わえて好きだ。


 しかし、目的地まであと半日はある。あまりにも退屈なので、座席に備え付けてある液晶を触ってみる。一体いつ取り付けたのだろうか、少し時代遅れと言っても良い様な感じの液晶だ。

 何か面白い映画はないものか。邦画は普段あまり観ないので、洋画を探してみる。これなんてどうだろうか。旅行中何者かに誘拐された娘を助けるために、元CIAの父親が単身パリに向かって死闘を繰り広げる映画。この元諜報員だとか、元軍人の筋肉パパだとかが主役の映画は、どうせ敵を皆殺しにする展開なのだが、なぜか夢中になって観てしまう。あとは濡れ衣を着せられて逃げ回る映画も好きだ。「誰も信じるな」なんてセリフがあればなお良い。

 乗務員が持ってきてくれた本来ゼリーを入れる様な容器に入った水を飲みながら、ゆっくり観ることにしよう。


 ――面白かった。

 以前観たスピード狂のタクシードライバーと、間抜けな刑事のコンビが面白いあの映画と同じ脚本ということで、納得の面白さだった。この人の携わる映画は九十分程でテンポ良くまとめてくれて面白い。

 続編もあるようだ。次の舞台はイスタンブール。今度は父親とその元妻が誘拐されるらしい。が、日本語字幕が無い。ここは英語の勉強だと思って挑戦してみよう。帰国してからレンタル屋で借りて答え合わせをしてみるのも楽しいかもしれない。


 寝るに寝付けない座席で体を休ませようと何とか頑張ってみたが、結果は芳しくなかった。これならまだ漫画喫茶の方がよく眠れそうだ。

 そうこうしているうちに、ようやくロシアを脱したようだ。機内が明るくなり、二度目の機内食が運ばれてきた。メインはなんと焼きそば。海外の航空会社なのに焼きそばとは、やはり日本の空港に寄ると機内食にも和食が入るのだろうか。恐らくしばらくは和食を食べないだろうから、ありがたく頂こう。しかしデンマーク上空で焼きそばとはなんて奇妙な体験だろう。

 そろそろ着陸の様だ。窓の外を眺めると、畑の中にカラフルな屋根の家が点々と立っているのが見える。初めて外国の地に降り立つ。まだ目的地ではないが、妙に心躍るものがある。初めての海外は、オランダのアムステルダムだ。


 窮屈な座席から解放され、伸びとあくびを引き連れて飛行機を降りた。

 初めての海外だ、もう日本じゃない。とは言っても空港だ。数時間後にはまた飛行機で飛び立つことになる。空港というのは良く出来ているもので、乗り継ぎの際に降りたところからは外に出られないようになっているらしい。単に僕が出口を見つけられないからかもしれないが。

 次のチケットは、自動券売機で取れるようだ。パスポートを機械にかざすと、なんとも簡単な航空券が出てきた。これでいいのだろうか。


 さて、せっかくなので空港内を探索してみよう。それぞれの店の入り口に、何を売っているのか大きく書かれてある。しかもすべて英語だ。スシ・バーさえある。楽しい雰囲気だ。こっちにはオランダ名物木靴が売ってある。三十六ユーロって日本円でいくらだろうか。

 その他よくわからないオブジェや広告を眺めていると、搭乗の時間が来た。いよいよロンドンだ。


 飛行機へはバスで向かうらしい。空港内から入れないのか。日本の空港ではチューブみたいなのから乗り込んだが。あの空想科学的な雰囲気は好きだ。

 バスで向かった先に待っていた飛行機は、さっきまで乗っていたものの二割か三割ほど小さかった。機内もやはり狭い。いや、さっきの飛行機も狭かったが、それはエコノミークラスだったからで、この飛行機は幅の小ささが目立つ。

 とはいえここからロンドンまでは三百キロと少しだ。飛行機ならあっという間に着くだろう。辛くなる前に到着するはずだ。定期的に膝を曲げ伸ばしして関節を鳴らさないと足がそわそわしてくる。エコノミークラスは満足に伸ばすことが出来ないから辛い。足を伸ばせるエコノミークラスってあるのだろうか。


 狭い機内の窓際に座り、離陸の時を待っていた。隣に座ってくるのはどんな人だろう。さっき乗っていた飛行機では、大学四年2人組の女性が座っていた。卒業旅行に行くらしい。こちらも旅行の理由を聞かれたが、素直に言うと辛くなってきそうなので適当な理由をつけた。

 しばらくして、アフリカ系の女性がこちらに近づいてきた。どうやら隣にはこの人が座るらしい。しかし、結構な脂肪をため込んでいらっしゃる方で、その上背も高い。座るときには荷物入れに頭をぶつけていた。シートベルトを締めるよう機内に指示が流れ、ようやく離陸かと身構えたが、隣の女性が何やら困った顔をしている。やはりベルトが回らないらしい。彼女は慣れた風に乗務員を呼び、延長ベルトを頼んだ。初めて見た。

 異文化間コミュニケーションを図ろうと二言三言彼女と話したが、ロンドンへは旅行ではなく帰宅だということくらいしか聞き出せなかった。

 

 映画一本観れるか観れないか程の時間で、飛行機は着陸準備を始めた。先ほど味わった高揚感にさらに上乗せしたような気持ちが押し寄せてくる。自然と口角も上がってきた。傍から見れば変な人だろう。窓に顔を向けていて良かった。

 着陸の衝撃と共に、飛行機はしっかりとヒースローの滑走路に降り立った。

 後に続き乗客も降りる時間になった。先ほどの女性はこちらに軽いウィンクを飛ばして降りて行った。

 そのわずか後に僕も飛行機を降りた。

 

 爺さん、僕は今ロンドンにいます。

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