第19話 陣の中の小さな獣3


 沙雪の呼び掛けを聞いてりょうは予備動作を取ったところで停止した。そのまま圭に視線を固定し、沙雪の続きの言葉を待つ。


「『日輪』を起動してから、りょうはもう八分の一くらいを使ってるわ! え…と、3センチくらい」

「あー、ちょっと使うからなーコレ。まあでも、魔力が切れる前には決めてやんし」

「違うの! 圭君は、2ミリも行かないくらいなの!」

「はあ?」


 疑問の表情を浮かべるりょう。圭は彼女と数秒の間見つめ合った後で、おもむろに目を逸らし、二人が立っている方を見た。


「あの人形ひとがた、さ……。要は魔力と体力を合わせた、メーターみたいなものってことなんだよな」

「お前……」

「で、魔力や意識を失ったら真っ白に戻って、当然試合終了と。あとは一定以上のダメージ、生命や体の一部を失うような攻撃を食らったときには、あれが代わりに炭になってくれて、本人は何とか生き残る。まあ、そこまでは知ってるんだ」


 圭はりょうの方を向き直る。


「そこで疑問なんだけど、一発でどれぐらいのダメージまでなら、あの人形ひとがたが受け持ってくれるんだろうな?」


 圭が悠長な語り口で疑問を述べると、外野の方から更に悠長な声で回答が入った。


「あー圭君それねえー、魔法固定じゃなくって、調整可能アジャスタブルっすー」

「ああ、そうなのか。じゃあ今回は美織が?」

「そうよー。ふつうはこの紙贄ってトントン相撲程度のサイズで、ほしたら受け持てる限界値ってのもあるもんなんだけどさ。えっと今回はー、今の圭君の”制限”なら、念ためで”全部”行っても大丈夫にしてあるー」

「そうか。分かった」

「でもねー、保険よー保険ー。炭までカマしたらおねしょ暴露ねー」


 圭はそれに言葉を返そうとしたが、しかし結局呆れた様な表情をしただけで、ふうと軽く息をついた。

 そんな彼のことを、りょうは先程より警戒を強めた表情で見上げる。


「おい。”制限”って、”全部”ってのは何のことだよ」

「ん? ああ、”制限”の話は、まあいいかな。今俺さ、使える魔法が3つだけになっててな」

「……3つ?」

「ああ、そう美織に設定されてる。まずはさっき言ってた【五感強化ハイアイント】ってのと、あとは【人狼ワ・ウルヴン】。こいつらは常態魔法だから今も起動中だ」


 りょうはいつのまにか気付かない内に、再び圭のことを睨んでいた。

 両手がじんわりと汗ばんで来ていたが、それは恐れからではない。

 ただ今の今まで拳を交えていたはずの敵の輪郭が、急にまた見えなくなってきたのだ。――否。今やりょうは仕合前に対峙してた時以上に、結野圭という男が何者なのかが分からなくなっていた。


「あとは火炎魔法なんだけどな。【点火イグニッション】ってのは分かるか。それだな」


 ――【点火イグニッション

 火炎の初級魔法。

 氷雪系統で言えば同様に最も初歩のもので、物体中の運動エネルギーを低下させて凝固させる【氷固フロズ】に当たるもののはずだ。

 りょうのよく知る【氷固フロズ】であればそれは、果たして氷雪魔法に入るのかどうかも微妙な、子供たちが入門編として訓練するような魔法のことだった。

 コタンの教室を手伝ったときの、出来たよ、出来たといういとけない高い声がりょうの頭の中に聞こえたような気がした。



「………てめえ…!!」


 圭の火炎魔法よりも先にりょうが発火したようだった。


 彼女の周りに”六本”の『日輪』が、籠めている魔力量が変わったのか紫煙のようなものを立ち昇らせながら浮かび上がる。

 りょうはその中心で腕を交差させ、肩を怒らせながらその双眸を強く光らせた。



 そして、


「……っ!!」


 間髪入れずに声にならぬ気を発すると、全ての『日輪』が圭を取り囲もうとするかのように飛来を開始した。



(やっぱり、六本か。……じゃあ『日輪』と違う魔装が、あと一対)


 高速の四本が左右から迫り、時間差で低速の二本が正面から。

 圭はそれを見てから一瞬だけ考えて、正面に向かって走り出した。

 

 六本分の鋭利な金属片が風を切って接近するその音と、感覚。圭自身の足音。

 その場に留まるりょうを除いた仕合場にあるあらゆるものが、結界のほぼ中央地点へと集まっていく。


 そして、ここから速度を上げれば左右の四本はくぐり抜けられる。そうしたら、後は二本、というタイミングがやって来る。圭は更に加速する。


「だと思ったよ!!」


 『日輪』の向こうのりょうの両手の指先には、既に四枚の青札が挟まれていた。



雪輪リンド


 彼女が使える中で、最高位の氷雪魔法。

 本来なら手に余るはずの難易度のものだが、りょう自身の魔装『日輪』を媒介させること、そして使用を陽力時間に限ることで、やっと発現が可能となる強力な”雪”の魔法だ。


 圭の正面の『日輪』が一気に巨大化した。

 いや、『日輪』を中心にして、雪の結晶のかたちを取り、その剣を回転させながら折り重なって圭に迫る。 

 左右4本と正面2本のタイムラグにより、隙間を抜けるルートをわざと作り出して、そこへの誘い込みを狙ったのだ。


 30センチ程度だった『日輪』が、10倍近い直径に変貌して圭に迫る。強度も硬度も質量も、先ほどまでの攻撃とは大きく隔たりがあるレベルのものだ。


 圭は、

(……婆さんのやり口のまんまじゃないか)

そう思いながらも一応、「だと、思ったよ」と呟きを返す。


 走り出したとき既に、携帯のボリュームをふたつ分上げてある。今日の上限だった。


 そしてこれから使う魔法には”本来必要ないはずの”範囲指定を完了する。むしろ圭はそこにこの戦いで一番の集中を使ったほどだ。


 ――中心と全体とに分けた二重の範囲指定。

 ――それぞれの温度指定。中心点から段階的に、グラデーションとなるイメージ。

 ――継続時間は一瞬でいい。但し、一気に。


 大味の圭にとっては、蝋燭を相手にするよりよっぽど楽な作業だった。




―――【点火イグニッション




 りょうは、圭の姿が結晶の向こうに消えた光景を確認した時、勝利を確信していた。

 ほぼ【雪輪リンド】の一本一本の剣の距離しか『日輪』と離れていなかったはずだ。

 二本それぞれに角度と上下幅を作ったので逃げるにしても横方向しかない。そして横へ回避してもかなりの数の剣を食らう、そういうタイミングだった。月弧形剣を出す必要もなかったかと思いつつ、両腕の構えは解かずに勝敗が決する瞬間を見守る。


 その時、【雪輪リンド】の真ん中から圭が現れた。

 【雪輪リンド】同士には横の隙間などなかった、むしろ一部は折り重なっていたはずだ。なのに圭はその真ん中から、突然出現したのだ。


「な!?」


 りょうに理由は分からない。だが確かに圭は正面突破で現れた。

 ここで立ち尽くしてしまうような半端な鍛錬は積んでいない。りょうは、最速で両手の月弧形剣を十字型から胸の前へと……


 そしてそのりょうの”つもり”の前に、圭の手に握られていた一本の棒による打突が、両手の剣と剣との間をすり抜けた。






「――りょう!!!」


 吹っ飛んだ親友の姿を見て沙雪が叫んだ。


「はーい、りょうちゃんの負けー。沙雪ちゃん、りょうちゃんの気つけと回復しちゃってくれるー? 痣とか残らないようにねえ」

「え、あ……」

「ほら、ほら、終わったよー? まだ五月の地べたは冷たいよー。腰が冷えちゃう」

「は、はい」


 りょうの人形が白一色に戻り、オーロラのような光を放っていた四方の壁が消える。沙雪は倒れているりょうへと駆け寄った。

 すぐに彼女の胸に手を当てて【回復ヒール】を行い、『お山』で教わった気つけを行う。

 りょうはすぐに薄っすらと両目を開いた。


「あ…れ……?」

「りょう、大丈夫? 痛いところは?」

「あ、試合は」

「……負けちゃった。圭君の突きで飛ばされて気絶してから、まだ、そうね、1,2分が経ったくらいよ」

「え……あいつ、は?」


 りょうの上半身を支えながら沙雪も振り向く。


 圭は身を屈めて地面を見ながら、仕合場の真ん中をうろついていた。


「あ、その、圭君、どうしたの?」


 圭が顔を上げる。


「お、りょうも起きたか。あのさ、さっきの『日輪』、魔装が解除されても自分で呼び戻せるものか?」

「え」

「熱でひしゃげたりしないように気を付けたつもりなんだが……。探しても、流石にあの大きさだとなかなか見つけられない」


 話しながらあっちに行ったりこっちを向いたりを繰り返している圭は、今も何の警戒もなしに二人に向けてジャージの尻を突き出している。


「普段見えない金髪もだけど、このイヤリングも、りょうの隠れたお洒落ってやつなんだろ」


 お、2個目、と言って圭がしゃがみ込む。

 それから立ち上がって二人の方を振り返り、手の中の2つの小さな鎖を見せた。薄暗い中、眼鏡の奥の目を笑顔で細めている。


「せっかくりょうの女の子らしくて可愛いとこなんだしな。探さないと」



 座り込んだままできょとん、としているりょうの横。

 なぜか沙雪の方が徐々に赤くなっていき、圭から目を逸らした。



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