第3話
予備校からの帰路を共にすることはあっても、学校から最上と一緒に予備校に向かったことはなかった。
……のだが。
教室を出ようとした俺は、何やら見覚えのある人影を認めた。
「最上⁉なんでいるんだよ⁉」
「なんでって。迎えに来た」
何ですかその王子様みたいなセリフ。……いや、こいつは学園の王子様だからいいのか。……じゃなくて!何くだらないこと考えてるんだ俺は。
「……なんでわざわざお前と一緒に行かなきゃなんねえんだよ」
「相変わらずつれないな。どうせ行き先は同じじゃんかよ」
「……」
クラスメイトの前でごちゃごちゃと言い争うのも癪なので、俺は仕方なく最上のあとについて歩きだした。
予想はしていたことだが、最上と俺という組み合わせで連れ立って学校を出るところなど、目立ってしまってしょうがない。
(うわぁ……めちゃくちゃ視線を感じる……なんかデジャヴ感……)
それに、こいつはとにかく顔が広い。彼に友達が多いことは知っていたが、正直驚いた。三歩歩く毎に知り合いとすれ違うレベルである。
「よ、最上」「よお」「あれ、二ツ木が一緒?珍しくない?」
「あ、最上く~ん!今日も予備校?」「まーな」「こんど放課後空いてる日、カラオケ行こーよ!」「へーへー今度な」「てか、最上くんって二ツ木くんと仲良かったっけ?」「あーまあ最近な」
最上が知り合いと二言三言交わす間、俺は居心地悪く会釈でもするほかない。俺は最上と並ぶ有名人かもしれないが、最上と違って、俺自身が話すことのできる相手なんて全然いないことに気づく。
と、いうか。
なんだか勝手に、最上につけまわされているような気になっていたが、最上にはこんなにたくさん友達がいる。本当は俺だって、その大勢のうちの一人に過ぎないのではないか。だいたいこれだけの人脈があるのに、最上が俺に拘る必要などどこにもないではないか。
そんなことを考えてしまったが、変な顔でもしていたのだろうか。
「おい、なーにそんな浮かない顔してんだよ」
「え、あ」
俺が口ごもると、最上はいきなり俺の腕を引いた。
「え、ちょ、そっちは」
予備校とは反対だぞ。
連れて行かれたのは、小さな公園だった。
「今日、授業までちょっと時間あるだろ?たまには寄り道だよ」
「……はあ」
戸惑う俺に構わず、最上はブランコで立ち漕ぎを始める。夕暮れ時の長い影が、その後ろに落ちた。公園には俺たち二人の他に誰もいない。不思議な時間が流れている。
俺も隣のブランコに腰掛ける。右手で鎖を持ちたくないから、俺はブランコを漕ぐことはできない。ただ隣の最上を見ている。
しかし、いい歳してそこそこ図体もでかい男がブランコの立ち漕ぎをしている姿は絶妙に笑いを誘う。いわゆる童心に返るってやつなのかもしれないが、最上一と童心という二つのワードのちぐはぐさに、こらえきれなくなってクククっと笑い声を漏らした。
「なんだよ」
ちょっとむくれた最上に、
「いや、脚なげーよお前」
適当にコメントして笑う理由を作った。
「なにそれ」
ふっ、と、最上も笑いだす。
……こいつ、こんな無邪気に笑えんだ。
西日の当たるその横顔が……眩しい。
「お前にはさ、怖いものなんてなさそうだよね」
……やばい。何聞いてんだ俺。完全に夕日マジックに流されているだろ。
最上は笑顔のままだ。漕ぐのをやめたブランコは、惰性で数往復し、徐々にその動きを小さくしていく。
「あるよ」
ブランコが動きを止めたところで、最上は呟いた。
その横顔に翳りが生まれたように見えたのは、刻々と高度を変える夕日のせいだろうか、それとも彼の静かな悲しみからだろうか。
「もっと上に行きたいって、そういう内は、苦しいように見えて、実はまだ気が楽なんじゃないかな。でも例えば、一度テストで1位を取ったとする。それ以降は、頑張ったら次は一番になれるかもしれないっていう楽しさはもうないんだよ。誰かに追いつかれて、追い抜かれる恐怖とずっと戦っていなくちゃならない。そういうの、お前も分かるだろ?」
「え、あ、分かるけど」
分かるけど、さ。
お前のそれは、きっと俺には計り知れないよ。
人より優れているということの孤独は、お前にずっとつきまとうんだね。
いつも本気か冗談か分からないような態度ばかりとってこられたけど。お前は今、確かに本当の心の中を俺に見せてくれたんだな。
あの幼き日以来、人との間に防護壁ばかり築いてきたけど。
こいつは、心を開いてもいい相手かもしれないって、初めてちょっと本気で思った。
学年で最も目立つ二人である最上と俺が最近仲良くしているようだ。
それが女子たちの話題にならないはずはなかった。
……いや、俺だって望んでこんなことになったのではない。
だから一部のそういう趣味がありそうな女子たち。俺たちを尊そうに見るのやめてくれませんか。俺と最上はそんな関係じゃないんで。
……じゃあどういう関係だっていうんだよ。
友達と呼ぶには、俺とあいつを繋ぐものなんて何もない。心まで繋ぐものなんか。
だったら俺は、あいつと友達になりたいなんて思っているのだろうか。それとも何だろうか、俺が願っていることって。
なあ、お前にとって俺って、何なんだよ。
……ダメだダメだ、余計なこと考えてないで集中しろ。
誰もいない予備校の自習室って、静か過ぎて寧ろ邪念が沸くんだよな。
……でも、最上本人の顔を見るよりはよほどマシだろう。
考えることに疲れていた俺は授業の後、自習室に残っていた。最上はどうせいつも通り、俺のことを待っているだろう。だからすぐに帰るわけにはいかなかった。何も言わなかったことは申し訳ないが、考えてみれば俺が待っていてと頼んだことは一度もないんだから。あいつだって俺が来なければ諦めて帰るだろう。
って――。
「よおー、もうみんな帰ったってのに、遅くまで頑張るねぇ」
……これが偶然でないとしたら、最上はストーカーの域をとうに越えている。
最上は何食わぬ顔で俺の隣に座って教材を机の上に並べ始める。
「次の模試はさ、さすがにちょっと頑張らなきゃかなと思ってさ」
「……そう」
「……っていうのは言い訳でさ。なんか今日は、お前がここにいる気がしたから」
さすがに俺は固まった。いつの間にか肩に手が置かれていた。耳に最上の息がかかった。
「……んう……」
うっかり変な声が出て消え入りたくなる。
「俺が予備校ここに変えたの、拾ったテキストに興味持ったからってだけだと思う?」
「……は、は……?」
「テキスト見て興味持ったのはほんとだよ。でもね俺は元々、お前に興味があったんだよ。喋ったことなくても、もちろんお前の存在は知ってた。俺に次ぐ有名人の二ツ木くんて、一体どんな奴なのかなあ、と」
と、最上の舌が俺の首筋に触れた。
「ん、何、興味って、そういう、興味、なの?」
「前から顔もかわいいと思ってたんだよ。テキスト拾った時は、正直ラッキーって思った。それで初めて話して、そしたらなんか、いきなりしがみつかれるし、息がかかるくらい顔耳元に近付けられて、声もすげータイプだし、あの時は素直にドキドキしたんだぜ、俺」
最上の声が1トーン低くなって、俺の心臓は微かな恐怖心を含んで波打った。
……何言ってんだよ。お前の方こそ、耳元で囁いてんじゃねえよ。
「……何バカみたいなこと言ってんの⁉俺は男だぞ。……もう帰る」
俺はバタバタと立ち上がって早足で自習室を後にしようとする。
「あのねえ二ツ木くん。俺は正直ね、女の子に告白されて付き合って、ってのにはちょっともう飽きたの」
「はあ⁉何言ってんの」
「知的好奇心、探求心。そういうものがないから、いつまでも二番目、なんじゃない」
俺は背中にかけられた言葉を無視して後ろ手で乱暴にドアを閉めると、走り出さんばかりの勢いで予備校のビルを飛び出した。というか、通りに出ると俺は実際に走り出していた。
あいつといると、今まで気にしていなかったコンプレックスや劣等感が初めて浮き彫りにされて、苦々しい。一緒にいることは、苦しい。苦しいことのはずなのに、
さっきみたいなことを言われるのを、待っていた自分がいる。
もうわけわかんないよ。
走っていたのと、涼やかな夜風のおかげで、涙は出ずに済んだ。
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