岩屋から聞こえる泣き声

 本島は、江島駅から全長三百八十九メートルの弁天橋を渡った先にある。

 目的の龍窟は、ここから真裏に位置していて、ひたすら江ノ島内を練り歩かなければ辿り付けない。

 橋の中腹辺りで、穏やかな相模湾の潮風に煽られながら野沢が口を開く。

「つーか、龍窟の最奥は立入禁止の札とロープで塞がれてるんだろう? だいたいそういうところは防犯カメラとかあるもんだぞ。バレるんじゃねえの?」

 アマネは人差し指を左右に振り、

「ちっちっち」

 と、不敵に笑った。

「私を誰だと思ってるんです?」

「鯖が大嫌いで、ちょっと頭がアレな人」

「いででで! 首はやめろ!」

 咄嗟に彼の首を片手で締め上げるアマネ。ぱっと首元から手を離したかと思えば、今度は鼻を摘んだ。

「私は天狗ですよ? 持て余した妖力で電子機器を誤作動させるくらいお茶の子さいさい……いや、さいさいさい! でごぜえやす!」

 そう。何かの比喩とかではない。彼女は真の天狗である。

 産まれてすぐに実の祖母に山へと捨てられたアマネは、七歳まで天狗に育てられたという壮絶な人生を経験している。

 ふと目を覚ましたら本物の家族のベッドの上。家前で倒れていたという。それから二十年経った今でも、命を救ってくれたもう一人の父親である大天狗を探している。

 唯一の形見は、大天狗の命とも言える羽団扇。母親曰く、とても大事そうに抱えながら眠っていたという。

 また天狗に育てられたこともあってか、『妖技』という人間離れした力を使うことが出来る。余計なことまで教わったようで、天狗が元来苦手とする鯖がアマネも大の苦手である。ちなみにサバの形をしていなければ問題ないようで、素材に気付かずウマイウマイと食べているのを野沢は何度も目撃している。

 二人は出逢ってから半年ほどの仲だが、四六時中、会話と寝食とアクシデントを共にしてきた。それだけ二人の時間はとても濃い。

 野沢とアマネは天狗の父親捜しをしながら、妖怪や霊が引き起こしている問題の解決と、全国各地に存在する特殊な力を秘めた『妖具』という代物の悪用を防ぐため、それらの調査・回収を行っている。今回の江ノ島探訪においても、都内の『友人町』に構える事務所へと、江ノ島住民から依頼のメールが舞い込んできたことが発端であった。

 表向きは妖怪研究家として世間に名を売っており、怪奇現象を調査・解決までをまとめたブログが人気を博している。そしてそのブログを見ているファンや、偶然記事に目を通した者から彼女の名は広まり、様々な事情や思惑を孕んだ依頼がメールボックスにやってくるというわけだ。

 ちなみに彼女の妙ちくりんかつコロコロ変わる言動は、天狗から教わったものではなく、本人由来であるというから驚きだ。――仮に幼い頃からこの調子であるとするならば、天狗の父親はどう思ったのだろう。生まれてすぐに捨てられたという事は、天狗が子育てをしたことになる。天真爛漫なアマネに対して、ひいひい言いながら散々手を焼いたのだろうか。人に畏怖される存在である天狗が、幼子を必死にあやす姿を想像して、野沢はニヤニヤした。

「また一人でニヤニヤしてるぜ」

 隣でじとりとした目を向けてくるアマネに気付いて、彼は「ごほん」と咳をした。

「……まあ防犯カメラの件は置いておいて、依頼主からのメールにはなんて書いてあったんだよ。詳しくは聞かされてなかったからな。教えてくれよ」

「えー、本当に聞きたいですか? アッキーは臆病だからなあ」

「おい! ここまで連れてきてそれはないだろう!」

「水着ギャルの話をした途端、支度を始めたクセに」

 ぐぐっと詰まる野沢。

 本当はアマネの水着姿を見たくて付いてきたのだが。まあ口が裂けても言葉にはしない。

「……確かにお化けは苦手だが、知らないと対策のしようもないだろう。教えてくれ」

「んーしょうがないですなあ。ではでは読んでしんぜようかね? ん? 心して聞くがよいぞ? よいかね? ん?」

 いちいち腹が立つ。もう慣れたが。

 アマネはキャメル色の肩掛け鞄の中からいそいそとタブレット携帯を探し始めた。かすかな潮風の音と観光客の喧騒の中、ごそごそと中身を漁る音が鳴っている。

 ふと、傍から見て俺達はどう見えるのだろうと野沢は思った。全方位に長いつばが付いた純白の日除け帽と、白と黒のボーダーシャツに紺色のフレアスカートという出で立ちのアマネ。もう一方は、黒タンクトップにジーンズ姿のギターケースを背負った四十のおっさん。二十七歳である彼女との年齢差は十三もある。

「……はあ」

 考えるほどに虚しくなってきた。

 お、あったあったと、複雑な面持ちの野沢には気づかずアマネはタブレット携帯を操作してメールを開く。

「じゃあ読むよ? 『拝啓 山吹アマネ様。初めまして。空木うつろぎ 宙海そらみと申します。この度、メールさせていただいたのは他でもありません。調査・解決していただきたい怪奇現象があるのです。問題の場所は江ノ島にある『江ノ島岩屋』という洞窟です。ここは龍窟とも呼ばれていて、頭が五つある龍【五頭龍】が棲んでいたという伝説があります。

 ……本題に入りますが、この洞窟から夜な夜な女のすすり泣く声が響いてくるのです。妙な事に私と兄弟である次男と三女の三人だけが不気味な泣き声を毎晩耳にしています。岩屋の守り人の家系だから聞こえるのではと思議してみたのですが、母と父は聞こえないと言い張るので、その線ではないとすると、事由が皆目検討付きません。

 私は今年で二十五、次男は二十、三女は十四です。子供だから、大人だから聞こえるということでも無いですし……。

 なんにせよ。三人にだけ聞こえるという時点で、人ならざるモノであることは分かっています。

 私はただただ末恐ろしい思いを抱きながら、岩屋の管理を日々行っています。正直、日を追うごとに岩屋へ入ることへの嫌悪感が増しており、岩屋の池に水が滴り落ちる度に気が狂いそうになります。

 夜間、見回りをしている守衛は私の方で引き留めますので、岩屋に入って真相を確かめていただけないでしょうか。

 ……併せまして。大変恐縮なのですが、洞窟の中でその女性の持ち物と思われるものも探していただけないでしょうか。私の方でも供養をしたいので。どうぞよろしくお願いいたします。

 ――なお、当件は本家ならびに江ノ島全体の評判に影響する重大な事柄なので、他言無用で。その代わり、解決してくださった暁には相当の謝礼をご用意いたします』」

 ぱたりとケースを閉じて、タブレット携帯を鞄にしまう。

「こんな感じですな」

「やっぱり帰っていい?」

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