死者の国を治める者

 野沢はギターを弾く速度を加速させた。アマネと崇徳を引き剥がすように、二人の間に大量の風を押し込む。三度目の斬撃を繰り出そうとする奴の手元を中心に風圧を上げていく。

 しばらく抵抗していた崇徳だったが、さすがに耐えきれないといった様子で後ろへと飛び退いた。

「ハハハ! 実に珍妙!」

「てめぇ……わざと下がりやがったな」

 アマネが腹を抑えて、苦しげにうめく。彼女が指していたのは、下がったことそのものではない。崇徳は命を刈り取ることが出来たはずの一撃を、あえて致命傷に留めていた。

「おらあ!」

 一歩後ろへと飛び退いたのを機として、野沢が再び風の刃を繰り出した。怒涛の連撃を崇徳は刀を薙ぐことで全てかき消していく。それでも風のこぼれ球が少しずつ……じわじわと崇徳の身体に傷を刻み始めていた。

「おらおらおらあ!」

「くくく」

 ――だが。何を考えているのか、崇徳は笑みを絶やさない。

 一方、アマネは脇腹から滴る血をなんとか留めようとしていた。しかし傷口が大きすぎた。布で縛ろうと、カバーしきれる規模ではない。

 今この場に傷を癒すことが出来る者はいない。神気を扱えるテラ公も、生存術に長けた鳳仙も、科学者の小室も。

 絶望的な状況。アマネの視界は霞み始めていた。たまらず、片膝を地につける。

「私のことをお忘れではないですか?」

 と……忌々しい息が彼女の耳朶に吐きかけられた。

 大きく目を見開き、そっと真上を見る。そこには刀の切っ先を天に向け、アマネを見下ろす相模坊がいた。くつくつと喉の奥で笑い、ねとりとした声を上げる。

「言い残したことはありますか?」

「くたばれクソやろぉ! だ!」

 刹那。ぐしゃりと歪んだ相模坊の顔が、固い地面に激突する。そのまま気絶したのか、ピクリとも動かない。

「そうだろ? アマネ」

 改めて顔を持ち上げると、折れたギターを片手にぶら下げた野沢が立っていた。するするとギターから妖気の糸がほどけ、ちぎれて、消えていく。相模坊の後頭部に、渾身の力を込めてギターを振り下ろしたのだ。

「お前……それ、お爺さんからもらった、大切なギターじゃ」

 彼は小さく笑い、片膝を付いた。アマネの手から羽団扇を抜き取ると、彼女の目を真っ直ぐ見た。

「言ったろ。夢よりもお前が大事だって」

「……ばかやろう」

 彼は彼女の頭にぽんと手をやった。それからすぐに立ち上がり、アマネに背を向ける。

「おい! 崇徳なんちゃら! お前が日本最恐の怨霊だろうと知ったこっちゃねえ! アマネの敵は俺の敵! それだけだ!」

「よかろウ」

 崇徳が彼の言葉を受け、ゆらりと動いたかと思えば、あっという間に野沢の懐へと潜り込んでいた。

 電光石火の抜刀。一瞬の煌きを野沢は勘で受け止めた。羽団扇と刀のかち合う音が鳴り響く。圧倒的な剣技と剛力に足がわなないた。

 野沢は必死に恐怖を堪えながら、無理くり笑みを浮かべていった。

「へ、へへ……つかお前、なんで刀を使えるんだ? どっちかというと魔法タイプだろ?」

「相模坊に教ワッたのダ」

「へっ! そうかよ!」

 言いながら、崇徳の刀を弾き飛ばす。恐ろしさで足が石のように固まってしまわないように、自ら羽団扇を振るっていく。崇徳が繰り出した一撃とは比にならない、貧相な剣戟の声が鳴り響く。

 崇徳は野沢の攻撃をいなしながら、神妙な顔で問うた。

「あの女が大事か?」

「当たり前だ!」

 迷わず即答する。

「私も相模坊が大事ダ」

 意外な返しに野沢は攻撃の手を一瞬だけ緩めたが、すぐさま思い直して全力を振るう。

「多くの人間の命を奪ったクソ野郎だぞ!」

「そうだナ。それでも私は、相模坊が大事だ」

「……そんなに大事なら止めてやれよ! 悪いことに手を染めたなら、その手を洗い流してやれよ! これ以上、染まらないようによ!」

 ……崇徳が何故、このような話をしてきたのか。それを聞くのは野暮だと思った。野沢もアマネと同じく、崇徳が本気ではないことに気付いていた。二人を試しているのか、迷いがあるのか……どちらにせよ、結末の終着点を探している様子なのは確かだった。

「相模坊は、私がかつて悪道に堕ちた時、私を慰めてくれた唯一の存在ダ。あやつが悪に手を染めるというのなら、私も再び悪へと染まろう」

「本当にそれで良いのかよ!?」

「私がいなければ、あやつは一人になってしまう。たとえ業を背負おうと、私はあやつの理解者でありたい」

「埒が明かねえな」

「左様。もとより至る道は一つ。これで終いとしよう」

 その時。崇徳がジーンズからはみ出す髪飾りに視線をやったことに、野沢は気付かなかった。

 瞬く間に禍々しい瘴気が爆ぜた。瘴気は煙のようで質量があるため、野沢をすり抜けることはなく、彼の身体をぐいぐいと押し上げ――吹き飛ばす。野沢はアマネの隣まで吹き飛び、無様に地面へと顔を打ち付けた。それからうめき声を上げつつも、なんとか体勢を整えて立ち上がった。咄嗟に崇徳へと顔を向け、苦々しげに呻く。

 怨霊達がおぞましい哭声を上げて、崇徳のもとへと集う。それは黄泉の国全体を戦慄かせるほどの叫びだった。空気が振動し、地が大きく揺れる。それは国全体を崩壊させかねんばかりの力。

 奴は赤くぬらつく刀を天にかざした。膨大な魂が刀に吸い込まれ、紫炎を纏う妖刀へと変貌する。残焔の香りを振りまきつつ、その代物を腰へと回した。抜刀の構えである。

「これはいよいよ、ダメかもしんねえな」

 隣で両膝を折りたたんで座っているアマネも、虚ろな目を浮かべていた。無言で野沢の片手を掴んで、ぎゅっと握る。彼女のぬくもりが、死ぬ時も一緒だと伝えてきた。野沢も彼女の手を強く握り返した。

 ――絶望の連続だった人生の最後に、お前という最高の相棒に出逢えて良かった。と、そんな想いと感謝を込めて。

「……頃合いカ。さあ、幕を閉じるとしヨウ」

 崇徳は柄を握る手に力を込める。惨禍を呼び寄せるような死の叫びが飛び交い、こだまする。老若男女の声が混ざりあい、不協和音を発していた。妖刀に纏っていた紫炎は、歪に揺らめきはじめ、無数の人の顔を作り始めた。それらの顔が破裂せんばかりに、膨張しきった時……まばゆいばかりの刀光が放たれた。

 繰り出された刀撃は瘴気の塊を生み出した。嘆きを乗せた、弓なり型の波動が二人へと迫る。先んじて飛来した瘴気の欠片が、野沢とアマネの肌に付着して皮膚を溶かした。耐性があるはずの二人ですら、太刀打ちできない濃度であるのは明らかだった。

 凶刃が到達するまで三秒にも満たない時の中。

 二人は身動きを取らなかった。気絶している相模坊への配慮なのか、凶刃は地面に伏すことが出来れば、ぎりぎり躱せる位置を飛んでいる。それでもなお、二人は動くことが出来なかった。

 全力を打ち砕かれ、瀕死のアマネ。限界を超えて立ち回った野沢。どちらも身動き一つ出来るほどの気力も体力も残っていなかった。太郎坊から授かった妖力に、甘んじていた部分もあったのかもしれない。これまでは余りある力を使って、どんな困難も乗り越えることが出来ていた。だが、ついに己の力が通用しない相手と出くわしてしまった。窮地を脱した経験は数あれど、絶望に瀕する経験は二人とも今回が初めてだった。

 発光する凶刃が間近に迫り、二人の顔が怪しく照らされた。

 ……さすがにまずいと思った杏仁が、アマネの胸元から這い出し、その体躯を巨体へと変身させようとした瞬間である。

「バカでけえ瘴気が発生したから、何事かと来てみれば……。お前らなにもんだ? 俺の国で暴れたい放題してからに」

「人の子がこの国で命を落とすことは許しません。……報告書作るの大変なんですから」

 突如、腰にしめ縄を巻いた筋骨隆々な半裸の男と、淡い紫に染めた巫女服を着た妖艶な女性が二人の傍に現れた。

 まず男が二人の前に躍り出て、瘴気の波動をいとも容易く吸収した。弓なり型であったはずの凶刃が、男の目の前で渦状に変形し、先端からするすると体内へと吸い込まれたのだ。

 ――そしてこの二人の登場こそが、野沢とアマネが満身創痍で立ち向かった戦いの終結でもあった。

「ふむ。よくもまあここまで死霊をかき集めたもんだ。魂を冒涜した愚か者ではあるが、嘆きに侵されないその胆力は実に天晴」

「さあさ。いつまでも呆けた顔をしていなさんな。ゆっくりで良いから、わけを聞かせてちょうだい?」

 冷たくも心地の良い、黒い光が二人に降り注いだ。みるみるうちにアマネの傷口が癒えていき、野沢の疲弊した心身が回復する。

 そんな一部始終を崇徳は遠くから見守っていた。何もせず、その場でぼうっと漂っている。

 薄れていた意識から覚醒し、二人はおもむろに立ち上がった。

「すまない。どこの誰だか分からんが、助かったよ」

 野沢の礼を手で制してから、半裸の男がぐぐっと野沢に詰め寄る。すんすんと鼻を動かし、訝しげに眉をひそめた。

「……おめえら半妖か?」

 男の言葉を皮切りに、謎の二人は身に纏う雰囲気をガラリと変える。

「……あら、ほんとね。瘴気の波のせいで鼻が効かなかったわ。……人の子ならまだしも、半妖となると話は別。ねえ貴方達。生の理を無視してこの国に足を踏み入れる意味、分かってるのかしら?」

「地面で転がっているこの野郎に家族を殺された! その仇を討ちに来たんだ! 至極まっとうな理由だろう!」

 アマネは堰を切ったように喚いた。崇徳にあっけなく敗北した不甲斐なさと、やるせなさは、彼女が取り乱す理由として当然のものだった。しかし謎の二人の表情は陰ったまま。このままではマズイと、地面で伸びている相模坊に視線を向けつつ、野沢が言葉を継いだ。

「仇もそうだが、こいつは黄泉の国にいる崇徳と手を組んで、人間の世界をめちゃくちゃにしようとしていたんだ。それを止めるために来た」

 謎の二人は、しばし思案顔を浮かべて唸り……にこりと笑った。

「なるほどな。嘘を言っているわけじゃねえようだ。邪な気を感じねえ。……そんじゃあまず、この気を失ってるやつから殺すか」

「そうね。貴方達の処分はその後に考えましょう」

 半裸の男が空中に漆黒の剣を生み出した。流れるような所作でそれを掴み取り、うつ伏せに気絶している相模坊の身体を蹴り転がす。身体が仰向けになり、急所をさらけ出す相模坊。遠くで様子を見ていた崇徳の眉が、ぴくりと動いた。

「さて。脳天か、首か、心臓か、金的か。せめてもの情けだ。一突きで終わらせてやろう」

「ま、待て!」

 アマネが慌てて半裸の男の腕を取る。男は何も言わず、彼女に視線だけを投げた。

「なんだ」

「私に、私にやらせてくれ」

「そうか。仇だったな。好きにしろ」

 へっ、と短く笑い、男はアマネに漆黒の剣を渡す。

「ちなみにその剣は、魂を破壊する。急所を狙い損じたとしても、切っ先が体内に侵入するだけで、魂を分解する霊素が体中に巡る。まあ、毒と同じだな。確実に相手を無に還すことが出来るから安心しな」

 ――魂を破壊する。それすなわち相模坊であった魂は輪廻の理から外れ、永遠に消失するということであった。

 その考えに至ってしまったが最後、剣先が震え始めて狙いを定めることが出来なくなった。

「どうした。やらないのか」

「はは……どうしてだろうな。憎くて……恨めしくてたまらないのに、剣を振り下ろすことが出来ない」

 やがて……ぽたり、ぽたりと。彼女の皮膚から大量の汗が吹き出し、顎先から地面へと垂れ落ち始める。拭う余裕すらないのか、汗が目に入ろうと、震える切っ先を見つめて固まっている。

 野沢はどうするのが正解なのか、必死に思い悩んでいた。それと同時に、崇徳の心情を理解し始めていた。大切な女性が人殺しという業を背負おうと、それが彼女の意思ならば受け入れようとする気持ち。

 その反面、大切な人にその手を汚してほしくない気持ち。正解か不正解は関係ない。どちらの選択しようとも、相手を想っているからこその選択であることには変わらない。崇徳はその片方を選んだに過ぎないのだ。

 ――仮に。自分が悪の片棒を担いでほしいとアマネに頼まれたら、間違いなく手伝うだろう。……彼女が一人になってしまわないように。世界中で自分だけでも味方でいられるように。

 そして。彼の中で答えは出た。

「アマネ、やめろ」

「けど……けど!」

「無理すんな。人として足を踏み外しちゃいけない一線だよ。剣先を震わせてしまうお前は間違ってない。それで良いんだよ」

 アマネの思いに寄り添って考えるならば、ここは彼女を止めることこそが正解だった。どう見ても、彼女は殺害することを望んでいない。卑怯な事が大嫌いなアマネのことだ。ここで相模坊を亡き者にしてしまえば、一生消えない傷を負うことにだろう。

「なんだよ。優柔不断なやつだな。ほら、貸してみろ」

 半裸の男は、半ば強引にアマネの両手から剣を掴み取り、再び振り下ろさんと相模坊を見据える。

 殺害するか否かの瀬戸際。野沢とアマネの中で、芽生え始めた違和感。

 なにか違う。こういうことじゃない。

 ……そう。決して相模坊を殺すことが狙いではなかった。本来の目的は相模坊に反省を促し、後悔させ、罪の意識を持ってもらうこと。殺してしまえば、永遠に叶うことはなくなる。

 怒りに支配されていた頭が冷え、ようやく当たり前なことに気付いた二人は、ほぼ同時に半裸の男を制止しようと腕を伸ばした。

「なんだか知らんが、ころころと忙しい奴らだな、お前ら。けど悪いが止めるわけにはいかねえ。大罪人は死をもって償うのが道理だからな」

 男は二人の考えを先読みしていた。処刑を阻止しようとする二人の手が到達する前に、躊躇なく、刃を真っ直ぐ振り下ろす。

 そして刀の切っ先が相模坊――ではなく、崇徳の背に突き刺さった。

「てめえ、どういうつもりだ?」

 男が刀から手を離し、面白くなさそうに眉尻を下げた。その傍らでは「まあ」と、片手を口に当てて驚くそぶりを見せる女。どちらも内心、どんな感情でいるのかは読めなかった。

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