神々による四つの規律

 一方その頃。

「ええい! 右に動かしとろうが!」

 妖怪研究事務所ではテラ公が、『ビスケットクラッシュ』というゲームアプリに夢中になっていた。軽快な音楽とクッキー達が砕ける音が部屋を満たしている。

「それにしても鳳仙の奴、このスマホっちゅうの何台持っとるんだ?」

 ピコピコ。ピコピコ。

「……」

 ピコピコ。ピコピコ。

「……おもろいやん。一台くれんかな」

 ピコピコ。ピコピコ。ピコピコ。ピコピコ。

 天照大御神は暇を持て余していた。

 だが、それは当然のことであった。基本的に他世界の連中とは干渉しない暗黙の了解があるからだ。高天原に住まう天津神も、意外なところで仏や天狗達とも関わりがある。わざわざ関係を悪化させる必要もない。

 それはあちらも同じ。テラ公に危害を加えようとすれば、神や仏が黙っていない。然るべき報復がやってくる。そんなものは奴らも願い下げだろう。

 天狗のことは天狗達で。神のことは神達で。誰でも分かる当たり前の話である。

 しかしその基本を壊し、話を毎回厄介にする立役者が人間だ。

 人でない者にとって、人間は虫のようなもの。人間においては、どこのだれが殺生しようと誰も何も言わない。もちろん一定の度は存在するが。

 そこで人間はいつからか、人でない者達の暴力から身を守るために、神々に救いを求めた。供物を捧げることで、神々もそれを了承した。果てには、神と対等の座へと登り詰めようとする者、妖を使役する人間まで現れた。

 天界と冥界の二界会議では、人でない者と契りを結んでいる人間達への殺生は、是なのか否なのかが頻繁に議題に上げられた時代があった。

 長い長い議論の末、定められた規律は四つ。


 一. 他世界同士の争いは、禁忌である。

 二. 契りを交わした人の子と、その人の子から守ることを命じられた者を守護する場合にのみ、力を行使しても良い。先手を打った者が、守り手に危害を加えた場合には、重い罰が与える。

 三. 契りを交わした人の子ないしは守るべき対象が殺された場合、守り手の責任となる。殺生を行った者は罪に問われない。

 四. 他世界の者の行いが、自世界の平穏と秩序を脅かす行いである場合、その世界の最高権力者の許可が降りれば、その行いの阻止をしても良い。


 簡単に言えば、言ったもん勝ちの取り決めである。人間世界のように証拠をチマチマ集め、真犯人を探すこともしない。それはおかしいと躍起になっている神もいて、風雲急を告げる動きが今まさに天界で起きているのだが……今回は関係ないだろう。

 とにかく他世界の者であろうと、守り手諸共、全ての関係者を殺してしまえば、加害者は罪に問われることはほとんどない。知らぬ存ぜぬを貫けばいい。まさに死人に口無しである。素性がバレていない場合、人から命令された等と言い訳だって出来る。

 力で牽制し、力で御する。

 神は面倒事が嫌いと言われる所以は、ここから来ているのかもしれない。

「で、そろそろ出てきやったらどうなん? 鍵は開いとるよ」

 テラ公がジャムサンドクッキーをバッキバキにしながら言った。ゲームの画面には三十コンボと表示されており、流麗な効果音とともにその桁が増えていく。

 事務所の入口扉がぬうっと開いた。現れたのは胸元まで伸びる顎髭をこさえた大天狗。相模さがみ大山おおやま伯耆ほうき坊であった。天狗のトレードマークと言うべき、十二角形の頭襟を頭に乗せ、紫を基調とした山伏装束を羽織っている。伯耆坊はテラ公を一瞥すると、丁寧な振る舞いで扉を閉めて、彼女の目の前まで歩いてきた。

「よお。お前が誰なのかはどうでもいいけど、親玉かどうかだけは聞いとこか」

「相模大山伯耆坊と申します。此度の計略を企てた首謀者ではございません」

「座れや」

 テラ公が顎でソファを差した。伯耆坊はなすがままにソファへと腰を降ろした。

「で、なにしにきたん?」

 ピコピコ。ピコピコ。シャランシャラン。テラ公はスマートフォンから顔を上げずに、ひたすらビスケットをクラッシュしている。

「首謀者である白峰(しらみね)相模坊の命により、山吹アマネの拉致と、彼女に与する人間の殺害で参りました」

 テラ公はそれを聞き、スマートフォンをソファの上に一旦置いた。伯耆坊に初めて目を向ける。

「やけに正直やん。何を考えとる?」

 すると伯耆坊は真っ赤な顔の――お面を上に持ち上げた。面の下に、五十代のしわがれた顔が現れる。髭は全く生えていない。

 人間が天狗になる場合、その真っ赤な顔は偽物である。天狗の象徴として、素顔を隠す仮面として、天狗の面を被っているだけだ。

 テラ公が再び質問を投げた。

「素顔まで晒して、どういうつもりなん」

「私は迷っています」

「なん? はっきりいいや」

「私はかつて人々の争いに嫌気が差し、棲む山を移り変えた過去があります。故に私は人を試す機会が欲しかった。相模坊の陰謀を止めることが出来る清い人間はいるのかと。陰謀が達せられた時、訪れる混沌に立ち向かえる人間はいるのかと……今回、手を貸しました」

 テラ公は目を眇めた。

「ほんで?」

「いざ蓋を開けてみれば、奴は見境が無かった。目的を達成する為に必要なことは何でもやる。どんなに醜いことだろうと。

 さらに試すべき人間には、滅多に力を貸さないと言われている、高天原の最高神である貴方が味方をしている。よほどその者を気に入っているのでしょう。……天照大御神が気にいる人間に、仇をなすことは本当に正しいのか」

 伯耆坊は両肘を太ももに置き、俯いた。

「私は、分からなくなった。ここまでして人を試すための混沌を作り出す意味はあるのか。他に方法は無かったのか。そもそも私は何がしたかったのか」

 と、ここでテラ公が「はっはっは」とわかりやすく大笑いした。

 伯耆坊が目を丸くして、口を結ぶ。

「何がおかしいのです。私は真剣に……」

「いやな、バカにしたわけじゃないんよ。ほんじゃ、おまんの悩みを解決する答えを教えちゃろか」

「答えが、あるのですか」

 テラ公は二人の間に位置する机に手を伸ばした。そこに置かれたチェス盤から、キングの駒を掴み取り、ビッと伯耆坊に差し向ける。

「チェスやろうぜ」

 伯耆坊は目をぱちくりとさせた。

「ちぇ、ちぇす?」

「チェスで勝てたら教えたる。チェスのルールもウチが教えたるから心配すな」

 でもその前に……と、テラ公が窓の外に目を向けた。

「手下全員、この部屋に連れてこい。一人でも相模坊の元に向かってみい。最高神であるウチがどんな判断を下すか……分かるやろ?」

 世界間条約その四。

『他世界の者の行いが、自世界の平穏と秩序を脅かす行いである場合、その世界の最高権力者の許可が降りれば、その行いの阻止をしても良い』

 高天原の最高神はテラ公である。彼女の考え一つで、戦況は大きく傾く。むしろテラ公が参戦することになれば、あっという間に決着はつくだろう。

「貴方はいったい……何を考えているのですか」

「ウチは極力、人の事は人で解決すべきだと思っとる。みだりに神が介入すべきではないんよ。それだけ」

 伯耆坊は未だに符に落ちない顔で、手下の三十人を部屋へと招いた。ぞろぞろと事務所へと入ってくる天狗達。

 テラ公がソファの上に立ち、両手を腰に当てた。

「よっしゃよっしゃ。伯耆坊だけやなく、お前ら全員かかってこいや!」

 そんな彼女の言葉に、三十人の天狗がざざっと身構え、臨戦態勢を取った。相手は天照大御神である。皆一様に、緊張を孕んだ顔を作った。

「まずはチェスのルールを教えたるから、机の周りに集まれい。あ、喉は渇いてるか? コーラなら三十人分あるぞ。アマネって奴は大のコーラ好きでなあ。冷蔵庫の中、真っ黒」

 ……が。次のそんな言葉に、今度はきょとんとした顔を浮かべた。天狗同士で顔を見合わせる。

 ちぇ、ちぇす? こーら? どういう、ことだ? といった言葉が所々で飛び交い、ざわざわとしはじめる。

「ほらほら! ごちゃごちゃ言いやんと! 集まれて!」

 テラ公はそんな反応に意も介さず、楽しい遊びを前にした子供のように、はしゃぐ声をあげた。

「あ、ちょっと待ってな! クッキークラッシュの中断データを記録するから」

 くっきーくらっしゅ? ちゅうだんでーた?

 テラ公の口から横文字が飛び出す度、辺りのどよめきが勢いを増していった。

「よし、これで良いやろ」

 スマートフォンの操作を終えたテラ公が、ソファへと腰を降ろす。ふうと一息つき、伯耆坊へと顔を向けた。

「天照様……先進的なのですね」

 伯耆坊の言葉に、テラ公はにやりと笑う。

「おまんらが遅れとるんよ。山に籠もってばかりのお前達に、楽しい遊び教えたるから感謝しろな」

 伯耆坊は終始、目をぱちくりとするしかなかった。

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