悪意の密談 後編

「お察しの通り、そのボイスレコーダーだ。入っているデータはコピーだがな。一度再生したら自動で消去される仕様になっているようだ」

 野沢はそう言って、再生ボタンと思われる場所に指を置いた。

「そしてこれが三つ目。陰謀と真実。聞く準備は良いか?」

 誰も何も言わなかった。それを肯定の意と受け取り、野沢は再生ボタンを押した。

【山吹の家はどうでしたかな?】

 しわがれた声が機械から再生された。野沢が「紫藤源六の声だ」と補足する。

【いや。とんだ邪魔が入りました。まさか飯綱三郎いづなさぶろうが見張っているとは……母親を先に連れて行かれました。さらにはあの家の者が皆、法力を使えるとは思ってもみなかった。挙げ句、どこの馬の骨とも知らぬ凡人と聖者も現れ……誤算だらけでした】

「これは天狗の声だろう。鳳仙達との話と合致する」

 アマネがわずかに顔を上げた。前髪から垣間見える瞳がうるうると濡れている。

「お父さんの声じゃない……お母さんも無事だ……でも」

 天狗と聞いてずっと不安だったのだろう。彼女は安堵の息を吐いた。が、再び俯いてしまう。肉親が殺されるなど、並大抵のことではない。

【で、山吹アマネは捕らえられたのですか?】

 紫藤がアマネの名前を口にした。途端にアマネ以外の全員が、顔を上げてボイスレコーダーを見やる。彼女の名が現れたことで、空気が緊張を孕む。皆は一言一句聞き逃さないように、より一層に耳を傾けた。

【いえ、山吹アマネはいませんでした。妖怪研究事務所なるものにも配下の者を差し向けましたが、不在でした。除霊やらなんやらで遠征していたのでしょう】

 紫藤が老人らしい笑い声を上げた。

【いやはや。悪運の強い娘だ。誠に山吹アマネには感謝しなければなりませんな。こうして我らを引き合わせてくれたのですから】

【私どもも、共通の崇高なる宿望を抱く人間がいるとは思ってもみませんでした。それもこれも、山吹アマネが太郎坊を全国各地で探し回ってくれたおかげ。山吹アマネの居場所が友人町だと分からなければ、私どもは友人町に訪れることは無かった。太郎坊らが守護する伊賦夜坂いぶやざかからの侵入を強行するしか手はありませんでした】

 老人が声を低くして言った。

【……で、今後をどうお考えなのですかな?】

【友人町遺跡の黄泉の国への門を開きます。我々天狗の力が合わせれば、一時的ではありますが、世界を繋げることが出来るでしょう】

【ですが……山吹アマネと、その母を捕えることは出来なかったのではないですかな?】

【ええ。ですから明日の夜から朝にかけて、研究事務所に夜襲を仕掛けます。太郎坊の力を受け継いでいようと、所詮は小娘。我々に敵うはずもない】

 天狗は終始、冷ややかな声をしていた。俗世には何の興味もないかのような印象を受ける。

 と、ここで野沢が思い出す。一旦、ボイスレコーダーの音声を一時停止した。

「そうだ。天狗が事務所近辺に潜伏しているか心配していたんだ。音声によれば、天狗どもがこの事務所を襲ったのは昨日の夜以降……お前ら何時からここにいた?」

「夕方の十七時や。で、来たぞ、天狗」

 野沢の質問に、テラ公が驚くべき答えを口にした。

「なんだって?」

「じゃからウチと鳳仙は眠らずにいたんよ。まあ、そちらさんは別の理由もあったようやけどね」

 テラ公が鳳仙をじぃっと見た。すると、その目を鳳仙がねっとりと見つめ返してくる。気味が悪そうに、テラ公が鳳仙から目を逸した。

「襲って来なかったのかよ」

 野沢が当然の問いを出す。

「うんにゃ。ウチがいたからな。隙を伺うように、執拗に窓掛けの隙間から覗いておった。……で、明け方には気配が消えたな。ひとまず退いたのだろうよ。念の為に起きとったけど」

 と、テラ公が椅子に深く座り込んで顔を俯けた。腕を組み、険しい表情を作る。

「けども、今日はわからん。ウチを抑えつけるほどの数を揃えてくるかもしれんし、建物ごと灰にするかもしらん。鳳仙と幽奈も顔を見られた以上、ただじゃ済まんな。早々に対策をしやんと、手遅れになるのは間違いない」

「その通りだ」

 野沢はそう言って、ボイスレコーダーの再生ボタンを指で押し込んだ。紫藤の声が飛んでくる。

【門が開いた時に発する特有のエネルギーは、日本全土に伝わるのでしたな。太郎坊もしくは、そのお仲間がこちらにやってくるのは間違いない、と。エネルギーの発生を隠す方法は無いのですかな?】

 天狗が低く、押し殺した声で言った。

【それがないのです。ゆえに山吹アマネか、その母である山吹波音やまぶきなみねを人質に取り、太郎坊を牽制することこそ上策。さらに彼女らは転生の器としても相応しい……利用しない手はない】

 くくくと窓ガラスを布で拭いたかのような嫌らしい笑い声がボイスレコーダーから溢れ、部屋中に響いた。

【とてもかくも、黄泉の国に入ってしまえば、我らの勝鬨は上がったも同然なのだ。ようやっとここまで来た。崇徳すとく様との邂逅かいこうを果たし、人間界を蹂躙する時はもうじき。

 ……紫藤。私達の同盟は黄泉の国に足を踏み入れるまで。貴方は貴方でかの国を歩き、悲願を果たすと良い】

【そういたしましょう】

 と、老人の声が再生されたので最後だった。ボイスレコーダーから高い機械音が短く鳴り、ディスプレイの数字がゼロになる。データが消去された音だった。野沢が万年筆型のボイスレコーダーを長財布にしまう。

 

 アマネはただひたすらに顔を俯けていた。ぴくりとも動かない。

 父親を殺されたショック。鳳仙と幽奈を巻き込んでしまった後悔。一人だけ浮かれた日々を過ごし、誰一人として守れなかった不甲斐なさ。彼女の中では様々な感情が沸き起こり、それらに苛まれているようだった。

 野沢が立ち上がり、皆に視線を配った。

「話を整理するぞ。俺の頭で分かる程度までだが」

 彼はアマネの心境を汲み取り、落ち着いた声で話し始めた。

「まず……俺は小室から、藍玉が長年追い求めている真の目的を聞いた。藍玉の創始者である紫藤と、その幹部は皆、大切な人を亡くしているらしい。……もう察しがついただろう。

 要するに、死者を蘇らせたい集まりってことだ。

 どういうわけか、天狗どもにもそういった派閥があり、今回手を組んだみたいだ。

 俺とアマネが全国各地で天狗の父親――太郎坊と言ったか。そいつを探し回っていた過程で、他の妖怪から話を耳にするなり、こいつの妖気に太郎坊を感じ取ったなりしたんだな。

 奴らは太郎坊の弱みを握る為に、アマネを連れ去ろうと友人町へ訪れた。そこに藍玉が接触を試みたんだろう。結果として、この事務所と実家が割れて悲劇が起こった」

「全部、私のせいだ」

 アマネが小さく呟いた。やるせなさと怒りを孕んだ声調だった。

「そうだな。俺達のせいだ」

「なんでそう冷静でいられるんだよ!?」

 突然、アマネが野沢のシャツの裾を掴んだ。ぎゅうっと握った手と腕がふるふると震えている。それからすぐに体全身を震わせていることに気付く。泣いているのだ。

 常に飄々とし、斜に構えた態度で過ごしてきたアマネ。それは人としての付き合い方を知らなかったからだ。喜びを分かち合う存在がいなかったからだ。

 彼女は弱くなった。

 以前の彼女であれば、激昂して藍玉に殴り込みに行っていただろう。……が、それができない。幼い少女のように弱々しく身体を震わせて、しくしく泣いている。

 耐えられないのだ。ようやく触れられた人の優しさを失うことに。守りきれずに自身の手から零れ落ちていく絶望に。

 信頼、絆、約束を背負い、徐々に重くなっていく背中に耐えながら、辛抱強く進まねばならない人生。

 彼女はその人生を、今年になって歩み始めたばかりだった。

「大丈夫だ。俺がいる」

 野沢がアマネの頭に手を置いた。

 と、彼女の嗚咽が早くなった。やがてそれは号泣に変わり、堰を切ったように涙が溢れ出して頬を濡らしていく。

 二人の邪魔をする者は誰もいなかった。

 彼女が野沢の背中に抱きつき、彼のシャツをぐしょぐしょにしたところで、ようやく泣き止んだ。そろりとソファに座り直し、しゅんとした様子で顔を俯ける。

「もういいのか」

 野沢の問いにこくりと頷く。

「探偵の鳳仙にはもう次の話が見えているだろうが、俺から言わせてくれ」

 鳳仙は音もなく頷いた。複雑な表情を浮かべている。野沢への嫉妬より、アマネへの心配が勝っているようだった。

「俺達には二つの道が残されている」

 野沢が皆を一人一人、一瞥した。

「一つは藍玉を直接叩きに行くこと。……もう一つは、出雲の黄泉比良坂に向かい、アマネの父親と合流することだ」

 彼は天狗が言っていた伊賦夜坂というワードを聞き逃さなかった。伊賦夜坂は黄泉比良坂の別名であり、島根県の東出雲町に実際存在する場所である。黄泉比良坂は黄泉の国というあの世への入り口だと言われている。

 今分かっていることは大きく分けて四点。アマネが藍玉と天狗に狙われていること、奴らは黄泉の国の死者に用があること、あの世の入り口である伊賦夜坂はアマネの父親が守護していること、友人町の地下でも黄泉の国への入口を開くことが出来ること。

 正直、アマネが怒り狂って藍玉への殴り込みを強行することが一番の心配だった。しかし今の彼女を見て、そんな心配もどこかに行ってしまった。

「おとっつぁんに会いに行こう」

 野沢がそう思った矢先、アマネが立ち上がった。「時間がないんだろう?」と言って、我先にと支度を始める。羽団扇、分身毛筆、比翼の紐といった役に立つ妖具を肩掛けカバンに詰め込んでいく。

 他の者はソファに座ったままだ。アマネの一挙一動を追いかけている。すると彼女がふいに顔を上げて、一同に顔を向けた。頬には涙が走った透明の線。

「へいへい! いつまでしみったれた顔をしてるのだね! 天下の大天狗がベコベコになったドラム缶のままでいるわけがないだろう? 私に気を遣っている暇があったら、とっとと出発の準備を整えたらどうなのかね? ん?」

 彼女のいつもの憎まれ口が心地良かった。ソファに座っていた全員が、やれやれと言わんばかりに立ち上がり、口々に悪態をついた。それも、笑顔を浮かべて。

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