支配人、ターバン。

「鳴神財閥の御一行様ですね。本日は当旅館にお越しくださり、誠にありがとうございます」

 頭に白いターバンを巻き、甚平を体に纏った支配人が秋義を迎えた。

「ねえ、おっちゃん。その頭なに? 服もラフすぎない?」

「ちょっとやめなさいよ。失礼でしょ」

 アズサが秋義の肩をこづく。

 バスの車内でもあったが、自らクズを主張する秋義の辞書に遠慮という文字はなく、皆の気持ちを代弁することが多々ある。

 秋義がぶっこみ、アズサが突っ込むというのが二人の常。ちなみにアズサの突っ込み方には三種類あり、頭を叩いたらイエローカード。顔面殴打、とび膝蹴り、ジャーマンスープレックスといった暴力ならレッドカード。そして肩をこづくのは『もっとやれ』という意味である。

「で、ここは本当に温泉なの? なんかいかがわしいよね? おっちゃんの服装もへんちくりんだし。なんか怖いんだけど俺」

「だからやめなさいって!」

 肩をこづくアズサ。

 ターバンを巻いた支配人――略してターバンは大福のような腹を揺らして笑った。

「その怪しさがウリなんです。『珍妙怪奇! 奇々怪々な温泉でミステリアス体験』というフレーズで宣伝してるほどでして。旅館の外観や私の恰好はイメージカラーみたいなもの。……それにですね」

「それに?」

 悪代官ばりのしたり顔を作るターバン。

「混浴しかないということで、男性に大人気なんです。お客様にもきっとお喜びいただけると思います」

「よっしゃあああ! アズちゃんとお風呂やで!」

 天高く拳を突き上げた秋義のみぞおちに、パートナーの拳が突き刺さった。

「だからその呼び方をやめろ! 死ね! 意識失うギリギリを味わって死ね! そして死ね!」

 あ、混浴自体は嫌じゃないんだ。と心の中で思う一同。

「今日、は、みぞおち攻め、なんですね。あたら、しい」

 言いながら、うずくまって動かなくなる秋義。撃沈。

「行方不明者が出ている噂もあります。『極楽湯』に行ってから帰ってこない、と。これは事実なんでしょうか」

 遠慮のない人間その二。毒舌爆撃機の雪恵がターバンに切り込んだ。それから彼女はおもむろに秋義の横にしゃがみ込み、彼の背中をさすった。アズサと要の表情が険しくなる。

 雪恵の言葉にターバンは一層、笑みを強める。一見、恵比寿様のようだが、善の印象が感じられない。感情も汲み取れない。さながら悪魔の笑みを浮かべた鉄仮面のようだ。

「……ああ、皆様が耳にされたのは根も葉もない噂話ですよ。行方不明になった方の大半は、自宅に書置きを残してから姿を消していると聞いています。本人の意思で姿を消しているのに、どうして私たちの宿が問題だと言えましょう」

「書置きを残している? つまり極楽湯に改めてやってきているということですか?」

 要が追求する。ターバンは再び腹を揺らすと、大仰に両手の平をこちらに向けた。

「すしざんまい!」

「やめろミカン。今はそういうシーンじゃない。俺は好きだが」

 言いながら、小室はミカンを肩車してペロペロキャンディを頭上に差し出した。少女は満面の笑みでそれを直接口で迎えた。


「……うぉっほん。いいですか? あくまで彼らは姿を消しただけで、極楽湯に再度赴くという記述はこれまで見つかっていません。私たち極楽湯が関与しているという証拠は一切ないのです」

 こいつは手強い。

 顔を見合わせて、次の言葉を探す雪恵と要。飴を頬張ってご満悦のミカン。その下で思案顔の小室。道端に転がる石ころのようにうずくまる秋義に、やりすぎたかもと不安になって少しおろおろしているアズサ。誰一人として、ターバンに新たな言葉を投げかける者はいなかった。

「なあ、支配人さん。俺のツレ見なかったか? 黒髪ロングの超絶美人。挙動が大抵変質者だから、分かりやすいと思うんだが」

 と、旅館入り口である桃色の木戸から浴衣姿の男が声を掛けてきた。一見、四十代前半。オールバックの髪に無精ひげを生やしたワイルドなおっさん――野沢明人である。

「アッキー! 温泉の下見をしてきたんですが、なんかすっごい数の玉ねぎが浮いてた! 笑止千万とはこのことだぜ!」

 今度は木戸の上部についた雨よけの庇から、長い黒髪の女性の顔だけがひょっこりと現した。皆が彼女の登場場所に驚くのもつかの間、彼女は庇から飛び降りて、オールバックの男の横に軽快に着地した――山吹アマネである。

 小室が腕を組み、口を曲げた。

「んん? どっかで見たことあんなあ」

 そんな彼の視線には気付かず、アマネはぐいぐいと野沢に肘を打った。

「というか、私のこと超絶美人だと思ってたんですねぇ。嬉しいですねぇ。私と結婚しちゃいます? アッキーみたいなダメ男は、私のような堅気で健気な大和撫子しか貰い手がいないと思う次第であるわけだ!」

「お前という存在を形容する正しい情報が一つもなかったんだが」

 男に身を寄せる彼女。それを男はうっとおしそうに両手で押しのけようとするが、彼女は石のようにびくともしない。

「離れろって。この妖怪女! 人の前でくっついてくんな!」

「人の前でくっつくなとは如何様な意味です? 人の前じゃなかったらくっついていいんですか? いいんですね? じゃあ一旦引きましょう」

 アマネがひょいと一歩前に飛び出したのに合わせて、野沢が地べたに勢いよく倒れこむ。よほどの力を入れていたようだ。

 これ見よがしに、ターバンが三度の笑い声を上げた。

「本日はとても愉快なお客様ばかりですね。おもてなしのし甲斐があるというものです」

 感情のない仮面で各々の顔を見渡した後、ターバンは手を二回打ち合わせた。肉厚な音が周辺に響き渡る。

「さあさあ。日も暮れて参りました、秋は最も旅館をのんびり楽しむことが出来る季節です。お夜食の支度もこれから行いますので、その前にぜひ当旅館の温泉で本日の疲れを落としてください」

 ターバンはささやくような声で呟く。

「きっと気に入っていただけると思いますよ。過去が恋しくなるほど」

 誰にも聞こえないように。

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