第58話

 イタリアンを食べ終え、僕らは店を出た。


 「久しぶりに笑ったよ」


 陽菜乃はそう機嫌よさげに言った。

 夏の夜風がそうさせるのか、それとも機嫌のせいか、陽菜乃は目を細めている。


 「僕も久しぶりに、本心で笑った」


 飲み会の作り笑いとは違って、本当に面白くて、楽しかった。陽菜乃との子供みたいな悪戯いたずらが、単純に笑えた。


 「ね、もう一回やろ」

 

 陽菜乃はニヤリと、僕に言った。


 「当たり前だろ」


 僕は即答して、同じように悪い笑みを浮かべる。

 夏の夜は短いようで、意外と長い。


        * * *

          

 「すいません……実は私こういうものでして………ちょっと来てくれますか?」

 

 なんて警察のふりをしてみたり。


 「トイレですか?……あっちです」


 訊かれた真逆の方向を指したり。


 「私の目玉を返してぇー」


 なんて、お化け屋敷もどきをやったり。


 とにかく、相手が不快に思うような、くだらないことをやっていった。


 相手が嫌がるほど、僕たちは面白がって笑い合った。

 本当に幽霊みたいだ、と思った。


 僕たち以外生きているみたいだった。

 毎日を普通に生活して、平然と生きる人が、本当に生きていると思った。

 

        * * *


 僕たちとは違って、悩むこともせず、人を殺して、少し罪悪感を持って、そしてそれをすぐ忘れて、昨日より明日を見るようになって、仕事やりたくねぇとか愚痴を吐いて、それでも人生悪くねえな、って思ってる。


 きっと、そんな人が、今に生きている。


 「なあ、陽菜乃……」


 逆に僕らは社会的に死んでいる。

 合法化された『人殺し』を認めずに、古い考えを持って、引きずって、生きている。


 人とズレた思想を持って今を生きている。


 『僕たちって、本当に正しいのか?』


 『人殺し』に非難の目を向けて、そして今日みたいに嫌がらせをして、周りに勝手に迷惑だけをかけている。そんなの現実を受け入れられないそこらへんの不良じゃないか。


 『僕たちがやってることは正解なのか?』


 新しい環境に順応することが出来なかった絶滅種のように、きっと僕たちは消えていく。正しい生物だけが生き残る世界に、間違っている生物はいらない。


 『僕たちは本当に間違ってないのか?』


 そんなくだらない疑問を喉に押し込め、

 僕は楽しそうに笑う陽菜乃を見つめた。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

説明書 No.58


自問自答して出る答えは、いつだって間違いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る