第23話

 【二月、二十八日】

 

 きっと、いつかは起こるものだったのかもしれない。それを見込んで国はこんなルールを作ったのだから。仕方ないといえば仕方ないことだ。

 でも、僕は今年何度目かの絶望を感じた。

 

   それは、今日の昼に起こった。


        * * *


 「雅人、準備できたぁ?」


 「できたけど、母さん荷物多過ぎ」

 海外旅行なみの荷物を抱え、母は「大丈夫よ」と嬉しそうに言う。

 

 今日は、母と買い物に行く。

 母さんは、今まで父に止められできなかった外出を、どうしてもしたかったらしく、僕に付き添いを頼んだ。


 だから、母さんは興奮していた。

 祝日だから混むかもしれない、と僕を朝早い六時三十分に僕を起こし、七時五分にはもう出ようとしていた。鬼畜だ。

     

 「もうちょっとのんびりできない?」

 正直、僕は眠かったし、だるかった。


 「何言ってんの? 早起きは三文の徳」

 三文ばかしの徳はいらない。

 寝ていたい僕は、言う。

 

 「果報は寝て待て」

 言うと、すぐ反抗してきた。


 「早寝早起き病知らず」


 「寝ていて転んだためしなし」


 「七転び八起き」

 と、どんどん論点が変わっていくことわざラリーバトルは、起きてきた父の一言で終わった。

 「行きはよいよい帰りは怖い。さあ、帰りには気をつけて行ってきなさい」


 流石、父さんだ。

 僕と母さんは何も言わず扉を開けた。

 それだけの迫力と言葉選びが、父さんにはある。


 外を出ると冷たい風が僕を襲った。

 「寒っ」


 しかし、外気に触れてもなお、母の調子は変わらなかった。こんなに寒いのに......超人だ。


 「はぁ、久しぶりだなこの感じ」

 そう言って母は大きく深呼吸をした。

 安全のためとはいえ、外出を禁じられるのは相当なストレスだったのだろう。


 「そういえば二人で歩くのも久しぶりだよね?」

 母と二人、しかも買い物に行ったのはおそらく、大学の入学準備のとき以来だ。

 仲が悪いわけじゃないけど、母と出かけるというのはほとんどなかった。


 「確かにそうかも。それにしてもあんた、大きくなったよねー」

 この三年間、一センチも伸びてないけど.........まあ、大したことではない。


 「で、今日は何買うの?」

 買い物に行く、というのはいかにも抽象的な言葉だ。

 服なのか靴なのか食料なのか電化製品なのか装飾品なのか、はたまた株か。全てに可能性の形がある。


 「今日はとりあえず幸せかな」

 母はそう言った。

 たぶん、初めて母としゃべる人は母のペースに飲み込まれるだろう。

 幸せを買う。

 母はこういう不思議なしゃべり方をするのだ。

 

 「幸せね。確かに買えるかもね」

 こうやって、適当に流すのが母としゃべるときの鉄則だ。そうすればおのずと楽しくなっていく。

 「あー、あと健康も」

  

 「健康ね。いいと思うよ」

 なんて会話を続けていると、目の前にショッピングモールがあった。


 「とりあえずここで買ってくよ」

 母のあとに僕も続く。

 中に入ると人の喧騒が一気に耳に入った。


 「ほら、早起きで正解でしょ」

 母は嬉しそうに笑い、そういった。


 あたりは人が割といた。

 きっとこれから、もっと増えるだろう。


 確かに正解だったかも。

 

 母さんはとにかく辺りを見渡し、目星のついた店に入っては出て、また入ってを繰り返していた。

 そのたびに母といろいろしゃべった。

 

 母の話は面白い。

 なぜだか気が楽になるのだ。


 色のことなんか考えずに、

        僕は大きく盛大に笑った。

 


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

説明書 No.23


人は死ぬ、絶対死ぬ、必ず死ぬ。

この世の命は幻に過ぎない。

 

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