鶴の一声


マンション突入の唯一のチャンス ……


それがあっさりと消えた。



「どうして ?」


握り締めた拳が震えた。

大きな背中が俺と向き合った。


「久しぶりだな」


惹き込まれるような人懐っこい顔は相変わらずだった。


「どういう事ですか ?」


「こちらは下村の相棒さんかな ?」


見ると、梨木が深町さんに木刀を向けていた。

ただならぬ気を放っている。


「梨木っ」


俺がわずかに首を振ると、梨木はすぐに木刀をおろした。


「頼もしい相棒だな。見事な構えだ…………もうそろそろいいだろう。行こうか」


深町さんがマンションの入口に向かう。


「えっ ?」


深町さんがセキュリティボックスにカードを翳した。


円柱状の扉が開いた。


そのままマンションに入って行く。


「どうして ?」


「早く来なさい。急いでるんだろ ?」


梨木が慌てて肩をかしてくれた。

俺たちは深町さんを追って扉を通った。


深町さんはすでにエレベーターのボタンを押していた。

階数表示はまだ上昇を続けていた。

千葉が乗っているのだろう。


「何故、監督がカードキーを ……」


「ここの住人だからさ。監督を退いた時に、娘夫婦からプレゼントしてもらった」


・・・娘夫婦って …………水野 ?



あっ !


あの時の電話。


〜 あのマンションの33階に千葉さんが住んでいるってのは、マンションの住人ならみんな知っている事だ。大した個人情報でもない 〜


〜 詳しいんだな 〜


〜 あのマンションは俺も何回か訪問してる。住人に身内がいるんでな 〜



身内って言うのは、水野の奥さんの父親 ……


つまり深町監督だった。



階数表示が33階で止まった。


「身体はボロボロ。声はガサガサ。突っ込みどころ満載だが、今は言うべき事だけ言う」


深町監督がエレベーターに背を向けて、深い眼差しを向けて来た。


「言うべき事 ?」


「今朝、俺の携帯に久住さんから連絡があった。“ 今、ここで詳しい事は言えないが、重大な事件をあの下村刑事が捜査していて、緊急で千葉宅を捜索する必要がある。私は全面的に捜査協力したいと思っています。16時頃、千葉監督がマンションに帰宅する。その時に下村刑事を一緒に入館させてあげて欲しい。 ” ……とな。

そのあとすぐに、マンションの管理責任者がウチにこれを届けに来た」


深町監督はそう言って、カードを差し出した。


「これは ?」


「このマンションのフリーカードキー、全室どこでも使えるそうだ」


・・・信じられない


不覚にもカードを受け取った手が震えた。


「どうしてこんなものを簡単に」


「ん ? ああ、このマンションはノーマンズランドの子会社が経営してるらしい。本社の副社長の命令なんて “ 鶴の一声 ” だろう」


・・・久住さんが


エレベーターが降りてきた。


「千葉監督がおとなしく君たちと同行するようなら、黙って見ていようと思っていたが、とてもそうは見えなかった。だから遂、出しゃばった …………来たぞ」


「ありがとうございます」


俺は梨木に支えられながら、エレベーターに乗り込んだ。


「33階。3303だ。じゃあな」


深町監督の澄んだ鋭い眼光がエレベーターの扉で消えた。


俺は閉じられた扉に頭を下げていた。


梨木が空いた左手を伸ばして “ 33 ” を押した。


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