第六章 ねずみの日常

     【 超・認知症対策】




“ ピピッ ”


〜 日本シリーズ6戦7戦なら行けそうだから、また家に迎えに行く。当日朝にまた連絡するんでよろしく 〜


やった ……


思わずニンマリして、慌てて口元を引き締めた。


修理台に座るタイセーさんの背中を見る。


一日中庭を眺めてる猫みたいに丸まった背中が ……緊張していた。



“ 大きい当たりっ ! ”



アナウンサーの叫び声にその背中がビクッと動いた。


そのまま作業を続けてるけど ……背中が動揺してる。



“ 入ったぁー ”



・・・あっ



八回に抑えの鈴木投手が2ランホームランを打たれた。


3ー2


しろくまが1点差に詰寄られた。


タイセーさんも気が気じゃない。



スマホに目を落とす。


タカさんからのメール。


久しぶりに嬉しい出来事。


最近、ネットの中では嫌な事ばかり続いていたので特に嬉しい。

自分でも驚くほどワクワクしてる。



タイセーさんの背中が少し柔らかくなった。


・・・もうすぐフィニッシュ ……かな ?


華奈子さんの腕時計の修理。

カルティエのバロンブルーっていう華奈子さんお気に入りの自動巻き時計。

日に10分進むようになったので、タイセーさんが分解修理を始めた ……のが三ヶ月前。


ムーブメントを全部分解して、洗浄液で洗って、油を差しながら組み直す。

今、3度目の組み直しをやっている。


1度目は日に30分遅れるようになって、2度目は半日で動かなくなってしまった。


時計の修理はタイセーさんの生き甲斐だから、本人が納得するまでやればいいって、華奈子さんは笑っている。



優深もやってみた事がある。


タイセーさんに “ やってみたい ” って言ったら国産の大きな時計を貸してくれた。

グランドセイコーっていうメンズのクォーツだった。


部品を外すたびにスマホで撮影して分解していく。

ムーヴメントの分解状態を絵で記録する。

頭で覚えたつもりでも、人間の記憶は当てにならない。だから絵で確認しながら組み立てる方が確実ってタイセーさんが教えてくれた。

確かに記録すると安心して作業が進められる。


タイセーさんは “ キズミ” っていう目でホールドする拡大レンズを使っていたけど、優深はそのままで部品もネジもネジ穴も全部見えたので使わなかった。

逆に使うと視野が限定されて作業しづらいし、視野が広い方がピンセットで小さな部品やネジを摑み損ねて飛ばしてしまった時、飛んだ方向が分かるから見つけやすい。

でも目に見えないような小さなネジを一度飛ばしてしまうと、見つけるのに10分以上かかる。

ピンセットを使う時、指の力加減が意外と難しい。


小さな空間に無限の世界が広がっていく不思議な感覚。

美しく磨かれた極小の部品が、複雑に入り組んだ直径45ミリの小宇宙。


“ 時空が歪んだ ? ”

って思う程、1時間2時間があっと言う間に過ぎていく。


3時間半かけて、分解して洗浄して組み立て直した。

タイセーさんに針をつけてもらって、豆粒みたいな電池をセットした。


“ チッチッチッチッ ”


動いた !


気がついたら感動で涙がボロボロだった。

横でニコニコ笑うタイセーさんも頬っぺたがぐしょぐしょだった。

とにかく達成感が凄かった。



「ふぅ~」


タイセーさんが大きく息を吐いた。


完成したかな ?


直径28ミリの機械式時計。

機械式の分解修理は優深がやったクォーツの倍近い部品数で、10倍くらい難しいらしい。

それを背中で野球を見ながら・・・・やるのが、タイセーさんのやり方みたい。

メカの小宇宙を彷徨いながら、球音に一喜一憂する。

タイセーさんはそれを超・認知症対策なんて言って笑ってたけど、ほとんど神の領域だとしか思えない。


優深のおじいさん、哲学者の天野泰誠さん。


何から何まで天才の今年75歳。



“ 南洋ホワイトベアーズ ! 遂にやりましたっ ! 実に8年ぶりの日本シリーズ進出です ”


アナウンサーの絶叫。


タイセーさんが天使みたいに微笑んだ。




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