多花丘少女監禁事件

 世の中が警察不信の目で満ち満ち溢れていた〝 警察改革元年 〟と言われた年は、まさに俺の刑事としての始まりの年でもあった。


 そしてその年の秋、そんな警察への逆風が大竜巻となり、ありとあらゆる天変地異を巻き起こすような大事件が、静岡管内で発覚するのだった。

 

 世を震撼させた〝 多花丘たかおか少女監禁事件 〟である。


 9月14日、静岡県の多花丘警察署管内で、当時19歳の女性が、保健所職員によって保護された。

 その女性は、当時37歳の男の自宅2階に監禁されていた。

 保健所職員は、もともとこの男の母親から、この男を入院させてほしい旨の要請を受け、この家を訪問したものである。

 しかしその際、偶然この女性を発見することとなった。


 保健所職員は、身元の分からない女性がこの男の部屋にいること、この男が暴れていることから、多花丘署の生活安全課に応援を要請した。

 しかし同課は『住所、氏名を聞いてくれ。そんな事まで押し付けないでくれ。もし家出人であれば警察で保護する』と告げて電話を切り、その時点では出動しなかった。

 これを受け、保健所職員が、その女性を病院まで連れて行くこととなった。


 ところが、その途中でその女性が『自分は9年前の誘拐事件の被害者である』旨を告げたので、保健所職員は再度、多花丘警察署に電話し、『行方不明になった女性と名乗っている』と通報した。


 これを受け、多花丘署の刑事課員が病院に急行した。

 刑事課員は、その女性について身元確認を行った。

 するとその女性は、実は9年前の7月に、静岡県の阪巻警察署管内で誘拐された当時9歳の少女、新川奈実ちゃんであることが判明した。


 当時小学生だったこの女性は、誘拐されたまま、9年2ヶ月もの間、この男の自宅2階自室に監禁され続けていたのである。

 よって、この男、中村晃市は誘拐事件の被疑者と確定された。


 この異例の監禁事件をマスコミは大々的に報道し、世間に大きな衝撃を与えた。

 そして被疑者、中村晃市の生い立ち、人物像をありとあらゆる専門家が連日のように分析をした。

 

 中村晃市は阪巻少女誘拐監禁事件当時、29歳で無職だった。

 高校卒業後、機械部品を製造する会社に就職したものの、人間関係がうまくいかず3ヶ月で退職している。

 そして、それ以降はずっと仕事に就いていない。いわゆる「引きこもり」の状態にあった。

 晃市は父親が63歳、母親が38歳の時の子で両親から溺愛されて育っている。

 しかし息子に服従する両親を晃市は軽視し、家庭内で権力の頂点に君臨していったようだ。

 小学校に上がった頃、晃市は友達に「おじいちゃんみたい」とからかわれる父親のことを疎ましく思い始める。

 老いを汚いもの、醜いものという感覚に捉えるようになった晃市は、父親に対して暴力を振るうようになったという。暴力を振るうだけに飽き足らず、父親を80歳の時に家から追い出してしまう。息子に追い出された父親は、その3年後に介護施設で亡くなっている。

 

 父親を追い出した直後、晃市は母親と口論になったことがある。それもそのはずだ。勝手に父親を追い出したわけだから、さすがの母親も息子のやったことに素直に従えるはずがない。母親は「自分も出ていく」と言ったようだ。 

 しかし、この言葉に激昂した晃市は仏壇に火をつけ火事を起こしかけた。自分が追い出した父親を、母親がかばうことに勝手に腹を立て、自分を捨てて出て行こうとする母親の態度も我慢ならなかったのだろう。

 こうして自分の思い通りにならないことがあれば、すぐ暴力的な行動を起こすということが日常化していたようだった。


 晃市は小さい頃、望むものは全て買い与えられたそうだ。これには、晃市の父親が63歳、母親が38歳の時の子ということで高齢で授かった子供であったということも大きな理由だろう。

 年齢を重ねてから生まれた我が子であれば、孫のような可愛さを感じることは想像に難くない。たったひとりの息子が望むことは何でもしてあげたいという思いに至ったのだろう。

 また、父親は多花丘市で不動産会社を経営しており、金銭的にもずいぶん余裕があったことが伺える。


 晃市に対する父母の溺愛ぶりは近所でも有名だった。父母ともに高齢で授かった子であり、その溺愛ぶりが世間一般よりも過度になってしまうことは仕方ないことだろう。

 母親の溺愛ぶりは晃市が成人しても続いた。アイドルのCDや競馬新聞、息子が欲しがるものは何でも買いに走る母親は商店街の有名人だった。息子を競馬場まで車で送り迎えする姿もまた、競馬場関係者の間でも有名だったようだ。母親は息子を送り届けた後、レース終了まで最寄りのベンチで待機していたという情報もある。両親の生活の中心はとにかく息子である晃市で、全て彼の思い通りの行動をとっていたようだった。

 欲しいものは何でも手に入れることが出来る、嫌なものは避け、徹底的に排除する。幼少の頃からのそんな生活が、晃市の人格を大きく歪めてしまったものと思われた。


 中村晃市の異常な人物像もひと通り、世間に知れ渡った頃、週刊誌に衝撃的なスクープが出現した。


 それが、警察の権威を完全に地に墜した〝 月見酒事件 〟の始まりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る