空を焼く流星
いある
第1話 くだらない毎日に彩を
嘘が、嫌いだ。僕は嘘が嫌いなんだ。だからこの世界が嫌いなんだ。
子どもの様に毎日脳内で繰り返している、ある種心の支えになっているような言葉だ。嘘をつかれたいと思った人間なんていないだろう。欺かれるというのは大なり小なりムカつくものである。
この世界は腐っている。その場を取り繕うために嘘を吐くことを悪いとも思わない、嘘をついたことさえ気が付いていない。気を遣うだの空気を読むだのといった言葉に騙されて、自分が正しいことをした気になっているだけなのだ。
人を信用できない。それはこの社会において大きなディスアドバンテージ。けれども自分自身が腐ってまで、こんな社会に溶け込みたいとは到底思えなかった。
季節は春。桜はもうほとんど散っていて、なけなしの花弁が名残惜しそうにひとつ、またひとつと宙に踊らせていた。その下では数人の男子生徒がバカみたいに踊っている。同じ踊るという行為なのに、その価値には雲泥の差があるように思えてしまうのは、僕という人格がひねくれているからなのだろうか。
「…面倒くさい。さっさと終わらせて本でも読もうか」
誰に話しかけるでもなく独り言ちた。僕は今年、しっかりと単位を取得して高校二年生へと進学したわけだが、隣の席になっているのが不登校気味…具体的にいえばぎりぎり単位が取れるくらいの日数しか学校に来ておらず、本当に最低限の授業しか受けていない少女なのだ。人と話しているのを見たことがない程度には学校には馴染めていなかった。だからこそ、少しは興味もある。けれどもやっぱり、面倒くさいというのが結局のところだった。
別に友人がいないというわけじゃないが、こういう性格なもんで、あんまり積極的に人と関わる気にはなれない。
生徒たちの騒ぐ声がなんだか耳に障る。別に悪いことをしているわけではないから構わないのだが、素直にその喧騒に混じろうとはとても思えなかった。
僕の帰り道は山沿いの緩やかな坂を上り切ったあたりにある。こんなところまで来れば家屋もほとんどないし、何か目的があって来たりすることもない。
だってあるのはその坂を登り切った先からさらに回り道をして裏側に進むとある幽霊屋敷と名高い古びた豪邸と、坂を上り切った先にあるごく普通の一軒家である僕の家があるだけだから。
もう春が来ているというのに、なんだか肌寒い日だった。風に頬を撫でられて思わず身震いした。学ランの襟でどうにかしてもっと風を防げるようにしようと悪戦苦闘しながら僕は幽霊屋敷に向かった。
しばらく足元に注意しながら歩くと一つの豪邸にたどり着いた。そこはもう完全無欠に幽霊屋敷だ。僕としても初見ではなかったのだが、それでもその雰囲気には圧倒されてしまう。
空の澄んだ水色とは対照的に、重々しい鉄の門が僕を出迎えた。このクラスになってからはほぼ毎日ここにきているような気がする。家が近いという理由で僕に先生が押し付けたのだが、先生なら同じように立ち入ることはできるのだろうか。
きっとできまい。そんな漢文の反語の現代語訳みたいなことを考えながら門の脇にあったチャイムを鳴らした。西洋の城かと見紛うほどの歴史的趣を感じさせるその姿と現代じみた電子音は非常にミスマッチしているように思えた。
程なくして保護者として同級生の少女の保護者である方の声が聞こえた。声は若い女性のもののようだった。
「いつもありがとうスバルくん。お茶でも出しましょうか?とにかくそのまま入ってきてください」
促されるままに重々しい鉄の門に手をかけた。思ったより簡単に門は開いた。
何かが軋むような音を立てながらもしっかりと動いてるようだ。見た目ほど古い時代のものではないのかもしれない。そう思った。
庭というのだろうか。名のある庭師に任せればここはテーマパークの一角にすらなりそうな雰囲気の場所だったが、生え放題の雑草と、干からびてまるで怪物か何かの様に細々とした樹木のせいで台無しだった。
木製の扉が開いているのが見えた。その中から綺麗な茶髪をポニーテールでまとめたエプロン姿の快活そうな女性が顔を覗かせていた。とてもこんなところに住んでいるような人とは思えない。それは何度見ても変わらないことだ。
「今日のプリントと連絡です。せっかくのお茶のお誘いですが自分はこれで――」
読みかけの本があるんだ。別に大して面白い内容ではなかったが、幽霊屋敷に閉じこもっているよりは有意義なものだと思う。
そう思ったが、今日はなんだか執拗に声をかけてくる。
「そう言わずにさ、たまにはちょっとお話でもどうかな…?」
彼女は他に何か目的があるように思えた。目的。そんなものがあるというのが少し羨ましかった。僕もそこでお話とやらに付き合えば目的が得られるのだろうか。
なんだか今日は気紛れな猫のような気分だった。
「いいですよ。今日は本読むくらいしかするつもりなかったんで。そこまでおっしゃるならお付き合いします。でもあんまり長居はするつもりは無いので…ご迷惑でしょうし」
そう答えると彼女はすごくうれしそうな顔をした。花開くような笑顔。そんな言葉が彼女の表情を説明するには最適だと思える、そんな笑顔。ドアを押し開けた先は、見た目に劣らない立派なお屋敷だった。暖かみのある色の電球を使用したシャンデリアが僕を出迎えた。両サイドにはウォークインクローゼットが並んでいて、僅かに開いた扉の中には高そうな革靴が覗いていた。
玄関だけでも広かった。僕の家のお風呂くらいの広さは優にあった。お金持ちってどうしようもなくお金持ちなんだなとも思った。隅々まで掃除が行き届いていて埃なんてどこにもない。外観の幽霊屋敷みたいな印象を根底から覆すくらい清潔だった。
なんだか生活感はあまりなかったように感じたけど、こんな豪邸に住んでいても、使う部屋なんてそんなに多くは無いのかもしれない。そう考えれば結局は同じ人間なのかもしれない。
そのまま僕は客間というものに通された。学校とかでいうと校長室や応接室みたいな感じかもしれない。全く知らない場所ではなかった。
ふかふかなソファに腰かけるように指示され、指示されたとおりに座っていると、三人分の紅茶とお茶菓子が運ばれてきた。僕と保護者の人――名前を
そんな僕の疑念は全く気にせず、彼女は僕の前に一つ、向かいの席に一つ、その隣にもう一つ紅茶を置いた。紅茶からは湯気が立ち上っており、漂う紅茶の香りが心を落ち着かせる。アンティーク調のローテーブルと繊細な意匠がこらされたティーカップは見事に調和していた。美的センスが優れている。やはりお金持ちとは教養なんかも僕たちとは違うのだろうか。
「ちょっと多くないですか?僕一杯で十分ですよ」
彼女は口元に指を当ててクスっと笑った。別にバカにしているような笑い方ではなく、むしろ好意的な微笑みに近い。僕の問いへの答えとして彼女は扉の奥に向かって声をかけた。
「入っておいで。スバルくんに挨拶しなきゃダメでしょ?いっつもお世話になってるんだから」
廊下の方から声が聞こえた。女の子らしい声音だったが、どこか上擦ったような落ち着きのない声だった。
「まっ、待ってよ、心の準備ってものがね?知ってるでしょ、私男の子はおろか、あなた以外の人間に合うのなんて数年ぶりなのよ!?」
文句を言いながらも登場したのは戦場帰りの兵士みたいな恰好をした少女だった。部屋着のようなシンプルなワンピースに病的に白い透き通るような肌が特徴的な美少女だった。けれどその肌はそこらじゅうが包帯でぐるぐるになっていた。
ところどころ血が滲んでいて、その下は正直想像もしたくない。
特にその滲んだ血液は手首に多かった。大方リストカットというやつだろう。僕自身はそういうことをした経験は一切ないから何が楽しいのかわからないけど、今は死んでしまった妹が度々そういうことをしていたみたいで、知識としては知っている。
自傷行為とは危険なもので、事故が起きやすい。そのため、彼女のことを危なっかしい少女と脳内で認識しておくことにする。
「そ、その…ええと、なんて言ったらいいのかしら。あなたがその…スバルくんかしら?ごめんなさい、あまり人と話さないものだから、なんて言ったらいいか分からないのだけれど、いつもお世話になっているわ。私、ほんっとうにたまにしか学校に行かないから学校の情報とか、世間の状態とか、全然知らないのよ」
やはり、落ち着きがない少女だった。
目が泳いでいるし、動作も奇妙で変だ。けれどそれは僕が心から軽蔑する『嘘』とは無縁の世界のようで少しうれしかった。
少女は一度深呼吸をしてから努めて冷静に口にした。
「その、私にこれからも会いに来てくれないかしら…?」
「…男性に慣れていないなら忠告しておくけど、その言い方は誤解を招くよ。キミは要するに話し相手が欲しいんだね?」
「な、なによっ、悪い?嫌なら嫌って言いなさい!気持ち悪いって言われるのには慣れてるもの。だからその――」
少女が言葉に詰まっている。
多分だがこの子、寂しいんだろう。『慣れている』という表現も引っかかる。やはり今日の僕は気紛れなのかもしれない。
もしくは嘘を吐くことを知らなそうな彼女という存在にどこか惹かれていたのかもしれない。どちらにせよ、普段なら想像もしないような答えを出すくらいには、僕の気分はいつもと異なっていた。
「いいよ。会いに来る」
「いいの?言っといてあれだけど相手は私よ?」
本当に言っといてあれだった。それでも僕が「風邪ひいたり用事が重なった時は無理だろうけどな」と笑うと少女は「仕方ないわね」と上品に笑った。その仕草から見ても、彼女はどこかのお嬢様なのかもしれない。
そんな風に彼女と僕はしばらく会話を重ねた。正直話しているうちに気が変わってしまうかと思ったけど、そんなことは無かった。今学校で何が流行っているかとかそういう話から、好きな料理の話や行ってみたい国の話まで、何でもかんでも話した。明るい雰囲気で、僕も少し楽しかった。素直な感性をぶつけられるのは楽しかった。
彼女の腕に滲む血が、なんだかこの空気にそぐわなかったけれど。
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