第139話 食欲旺盛

 澄み渡る空に時折流れていく雲、心地よく吹き抜ける風にそよぐトレントの葉、まさに絶好のピクニック日和。出来る事ならこういう日は一日やらねばならない事を人に任せ、俺はポッドの根元でゆっくりと、のんびりと過ごしたいがそうはいかない。


 死活問題、といっても差し障りない問題を解消するためにも今日は迅速に目的を遂行しなければならない。

 自らにも気合を入れる為にも、種族を問わず集まってくれた大勢の者達に聞こえるように叫ぼうと俺は大きく息を吸い込んだ。


「全員、整ッ列!!」

 空に向かって声を張り上げ、この拠点に住む住人達が勢揃いして俺の前に並んでいるのを見るとまさに壮観。小柄な種族から大柄な種族まで、ほぼ全員が意思を統一させて俺を見つめている。


「これより、俺達の拠点を守る為に森へと向かいペトラとラミア達の望む薬草、そして今晩のおかずにする為の山菜を採取する! 決して単独行動をしないよう、山菜や薬草を採り尽くさないよう、各々、重々気を付ける事!!」


 普段は余り拠点の外に出る事のない人達や、ウタノハ、そしてリーンメイラの背中にいるト・ルースやラルバなどのお婆ちゃん達、まさに全員が一丸となっているように気合の入った様子が見て取れる。


「戦闘が不得意な者達は常に得意な者と動くように! まだまだ森にはトロルがいる可能性もある! 今回はラミア達の巣のあった森の方へ行く事になっているから戦闘が出来る者達は周囲の警戒を怠るなよ! それでは、出発!!」


 目的地への道のり、それは距離もそうだが普段使っている道と大きく違っているのは悪路。いつまでもそれでは不便なので道中の舗装も行いたいところではあるがそれはまた後にして、とりあえず優先すべきは薬草である。


 俺の声を皮切りに意気揚々と走り出したカーリン達、ケンタウロス達、そしてそれに続くように歩き出している各種族、まるで何かのイベントに向かう道中のように列を成している。


「ホリィ、森では気をつけてねェ。いってらっしゃァい」

「うん、いってきます。山菜楽しみにしててね」


 手を振って見送ってくれたラヴィーニアに手を振り返しながら歩き出す。

 流石に拠点の防衛をゼロにする訳にもいかないので、ラヴィーニア達アラクネやフォニアを中心とした腕自慢達が十名程、そしてパメラやリンセルなど、衣服を作れる者達が残る事になっているので安心だ。


 そうして気持ちの良い朝の空気を味わいつつ出発して、ラミア達から道中歩きながら情報を聞いていると一つの問題が浮彫になってきた。


「それじゃあもしかしたらラミアの居たあの森や、いつも行っている森も、が大繁殖していたせいで山菜がないかもしれないの?」

「ええ、ゴキローチは悪食、文字通り何でも食べますのでもしかしたら根こそぎ食べられているかもしれませんし、他にも悪食の虫は多々います。それに、ゴキローチや他の虫に山菜が齧られていたりしたら、それこそ食料には……」


 白髪と白い尾が特徴的なラミアの女性、フルメリが話す内容に少し頭を抱えてしまう。

「マジか……。それで、今日の目標である薬草は大丈夫なの? 探してみたけどなかったって事は……?」

「それは大丈夫です、少なくともゴキローチは今日探す薬草を食べるとほぼ死にますので食い尽くすという事は出来ません。その薬草はお香として焚けば虫除けにもなりますので、ホリ様は虫が嫌いという事なら常備しておくのが良いと思いますよ」


 彼女は以前にト・ルースが言っていた薬学に長けたラミアの一人という事らしいので、こういった情報がポンポンと出てくる。正直ありがたい。

 ペトラに任せきりだった薬草、薬関係の事もラミアが手助けできるならこれ程ありがたい事も無い筈なのだが……。


「ええっ!? あの虫を干して、カラカラになったのを砕いて使うんですか!?」

「そうです、飲み薬に使うならアレは外せません。栄養もある上に解毒の効力が強く、オススメですよ」


 ペトラや他のラミア達、彼女達の話を聞いてはいけない、聞いてはいけないのだがそれでも耳に入ってきてしまう内容が何とも恐ろしい。彼女達は楽し気にキャッキャウフフと話をしているが、その周りの者達は対照的に戦々恐々としている。


 ペトラの薬草学はラミアという協力者を得た事でまた大きく進化を遂げようとしている。

 その事実に一番震えているのは二日酔いで苦しんでいるペイトン、彼は昨日渡したハルバードを握り締めて多少震えている。

 まず間違いなく一番に被害に遭うからなぁ……。


「ペイトン、頑張れ……」

「うう、ホリ様……、あそこの会話を聞いているだけで体の芯が凍るような恐怖を感じますよ……」


 彼とポッド、そして俺と。俺達三名は特にペトラの作品に喰らわされているから、他人事ではない。

 鞄の中にある薬草丸薬、これもまだ極少量のカケラを狐人の数名に飲ませたくらいで、ちゃんとした人体実験は済ませていない。

 ただいつまでも放置しておくと、下手すると熟成が進み破壊力が上がる恐れもあるから早めに使ってその事態を避けたいのだが……。臭いを嗅ぐだけで意識を持っていかれるモノを飲み込むなんて真似、早々出来ないのでどうしようもない。


 元気なペトラを眺めつつ小さく溜息をつく俺達、話題を変えようとペイトンが肩に乗せている武器を見て問いかけてみた。


「それにしてもそのハルバード、まだまともに砥いでないから切る事は疎か刺す事も難しいのに何で持ってきたの? 武器としては役立たずでしょ?」


 武器としての体を成していないのに彼もゼルシュも、勿論オレグも。もっと言えばケンタウロス達もウタノハの侍女のオーガ達も全員が煌びやかな鉱石武器を所持している。

 鉱石で出来た武器だから勢い良く殴りつけるだけでその破壊力は折り紙つきだけど、もっと良い武器あるだろうに。グスタールで買ってきた奴とか……。

 そんな俺の疑問にキッとこちらへ視線を強めたペイトン。


「何を言うんですか! 折角頂いたこの武器、片時でも離すなんて事は出来ませんよ! 我らがどれだけ、どれだけウォック殿の槍を見て歯噛みしていた事か……!」

「アナスタシアの槍って……。作ったの大分前だけどそんな昔から欲しがってたのか。ごめんね、遅くなっちゃって」

「とんでもない!」


 俺の言葉にそう叫んできたのは昨晩、途中からスライム君ばりにぷるぷるしていたオレグ。今日は朝から時間があればゼルシュと共にハルバードを素振りしたりと、見るからに浮かれている。

 そんな彼は鼻息荒く気付けば傍までやってきていて、俺に向かって力強くハルバードを突き出してきた。

「こんな素晴らしい武器を頂けるなら、切望し続けた甲斐がありました!! この武器、私は死んでも離しませんぞ!」

「その通りです、ホリ様。オレグ殿の言うように、これ程の武器を賜れてウォック殿が持つ槍への羨望の気持ちも吹き飛びましたよ。何とお礼を言えば良いのか……」


 ペイトンもオレグも、見ているこちらに伝わってくる程に喜んでくれている。

 そしてハルバードを受け取った一人、ゼルシュはというと朝の集合の僅かな時間でもずっと素振りをしていたし、歩いている今も武器を見てニヤニヤと牙を見せるように笑っているし。

 もし今彼らに『それ返して』と言ったらどういう表情をするのか興味が沸いてしまう程だ。


「まぁ気に入ってくれたならいいんだ。ごめんね、待たせちゃって」

「いいんですよもう! 今日から、訓練だろうと何だろうとこの武器を手放す事はありませんよ我々は! ねえペイトン殿!」

「ええ、むしろこれの価値に負けぬよう、一層精進せねば!」


 そう語るペイトン、つい今し方までペトラの薬草汁に震えていた彼はすっかりその事を忘れ、更に二日酔いを吹き飛ばすように体からやる気が満ち溢れている。

 喜んでくれているの嬉しいが、浮かれてしまっているのは良くない。そこはちゃんと釘を刺しておかないとな。


 そういった話をしながらの道中、一度休憩を挟んだ際にチーム分けのような事をしていたが、今回はトロルの死体処理にやってきた時と違い、出来る限り種族を分散させ川に落ちても問題がないようにと人材を分けている時に何かを話し合っていたリザードマン達がやってきた。


「ホリ、ちょっといい?」

「リューシィ、どうしたの?」


 彼女やアマラ、レギィにアギラールと、話合いを終えた様子の彼女達は整列するように並び、リューシィが代表して口を開いて姿が見え始めた森を一度指差した。


「あそこの森にある川、ホリ達が落ちたあの川ね? 私達まだちゃんと調べた事がないの。もしかしたらいつもとは違う魚がいるかもしれないわ。出来ればこの機会に散策しておきたいんだけど」

「あー……、確かに結構大きな川だったからなぁ……。それじゃあえっと、各班に数名リザードマンを残して、後は川の散策に当たって貰おうかな?」


 意外とカナヅチの多い我が拠点の住人、水辺の事故は細心の注意を払わねばならない。そして水の中を自由に泳げる貴重な人員であるリザードマンが一人でもチームにいるというのは、そういった水難事故による最悪の事態を招く確率をぐっと下げる事が出来るだろう。


「ええ、任せて。罠を仕掛けた訳でも、道具をちゃんと持ってきている訳でもないから魚の獲れる量はあまり期待しないでね」

「うん、それはわかってるよ。それにしても川かぁ。カニでもいればまた美味しく頂けるのになぁ……」

「ん、カニ? カニとはなんだ?」


 きょとんとした表情でそう口にしたレギィ、他のリザードマン達も顔を見合わせて何の事かと口を揃えている。

 そうか、カニという名前では通じないかな? それに彼らは川に入ってしまえば魚を獲る事にそれ程不自由しないから、別にカニを獲る必要もそれを食べる必要もなかったのかもしれないな。


「えっとねぇ、こういう……足がいっぱいあってハサミをもった奴、見た事ない?」


 もしかしたらこの世界にカニはいないのかもしれないなと考えながらも、地面にカニの絵を書くと全リザードマンが指を差したり、手をポンと叩きながら「ああ!」と声を出し心当たりがあるようだ。

「見た事あるわ! えっ、あれ食べられるの!?」

「冗談ですよねホリ様? あんな奇怪な見た目の奴が……?」


 リューシィやアマラがまるで信じられないと口にした言葉に同意するように、俺を囲んでいたリザードマン達は全員が頷いている。


「食べられるよ、とは言ってもちゃんとした食べ方をしたり、新鮮な内に食べないとお腹が痛くなったり、物凄く苦しむ事になるから気をつけないといけない事は多いけどね」

「食べられる、食べられない。大事なのはそこじゃないだろうリューシィ、アマラよ……!」


 話し合っていた俺やリザードマン達を黙らせるような威圧感を持ってそう口を開いたのはゼルシュ。

 カツンとハルバードを地面に突き立てるようにして佇み、凄みのある真面目な顔で突如として口を開いてきた彼はその力強い瞳で俺を見据えてパシンと一つ地面を尻尾で叩き、重苦しい空気を醸し出しながら再度口を開いた。


「ホリ……、カニとやらはウマイのか? マズイのか?」

「んー、好みもあるけど……。俺が知ってるヤツはそりゃもう美味い」


 俺の出した言葉に気付けば集まっていた他の種族達が騒めき始めた。


「よし、ならば決まったな。おいウォック、川の方は俺を中心にカニを捕らえる。そちらには最低限の数のリザードマンを残しておけばいいな」

「勿論だ、こちらは任せておけ。その代わり、生半可な量しか獲れずにおめおめと帰ってくる事は許さん。わかってるなゼルシュ?」


 力強く視線を向けるアナスタシアとそれに頷くゼルシュ。とても大事な話合いをしているようにも見えるが、その内容はただの食いしん坊である。

 その後アナスタシアはあっという間に部隊を再編し、そしてリザードマン達を統べるようにゼルシュが声高に叫んでいる。


「食べられるカニかどうかもわからないのに……」

「ヒッヒ、もう何いっても聞きゃしませんねあのバカタレは。それにしても、カニ……でしたかい? あたしもアレは食べたことないんで、興味が沸いちまいますよ。それに、もし仮に毒があったらあたしらやペトラの嬢ちゃんが解毒しますから、安心してくだされ」


 リーンメイラの背に乗りつつ、尻尾をふりふりとして楽し気にゼルシュ達を見ているト・ルースがそう口にしたタイミングで彼が一際大きく叫んだ。


「よし! 今は僅かな時が惜しい、俺達は休憩を切り上げてこのまま一足先に川に向かう! 者共、いくぞぉっ!!」


 彼が叫びながら走り出すと、それに倣って全リザードマンが叫びながら走り始めた。鬼気迫るその勢いと迫力に圧倒されてしまいそうだが、ただの食いしん坊集団である。


 気合が満ち満ちた彼らを見送り、ほどなくして休憩を終えた俺達は森へと到着した。

 つい先日と多少違っているのは匂い、あの甘ったるい匂いが殆ど無くなっていて、当時森から感じた威圧感のような物も薄らいでいるような気がする。

 ラミアの女王が居た巣穴を潰したからだろうか? 身体の異変や不調を感じる者も居らず、そのまま再編されたチームで別れて山菜を探す事となった訳だが……。


 出足からしてやはり山菜、というか森の恵みと言われるような食べられる物は虫によって甚大な被害に遭っていて、どれも齧られていたり実の大半を食われていたりと探索は難渋した。


「うーん、これもダメ……かな? がっつりと実が齧られてるし……」


 木に実っている赤い果実を下から見ているだけでも目につく物がどれも半分くらいは無くなっている上に、少しだけ形が残っているまだ真っ青などう見ても食べ頃ではない物まで無惨に食われている。

 虫自体はまだ俺の前にその姿を現していないが、ありとあらゆる形で大量の虫が居たと証明するように森のあちこちに傷跡を残している。


「こりゃまともな状態の食料を見つけるのは厳しいか……? 逆に虫が食い荒らした物を覚えておけば、もしかしたら今まで食べてなかった新しい食料が見つかるかもしれないな」


 森の中の捜索に苦戦していると、同じ班のミノタウロスやオークが話しかけてきた。


「ホリ様、あまりにも食料が見つからないようなので山菜探しとは別に、木を伐り出しておいても良いですか? ラミアや狐人の家屋など、また新たに建てねばならない物がありますから」

「うん、構わないよ。どこか開けた場所か、さっきの集合場所に伐り出した木を纏めておいてくれれば後で回収するから」

「わかりました」


 森の内部に木を伐り出す音が追加される中、相当な時間を散策してしらみつぶしに探しているがやはり収獲の経過は芳しくない。こうなってくると後はここに土地勘のあるラミア達や、知識のあるペトラやシュレン頼りになってしまう。


 収獲が多いと楽しい、夢中になって探してしまうから疲労も感じる事なく時間が経つのも早い。今はその真逆、探しても探しても目的の一つである山菜の無事な物を見つけ出す事は困難を極め、一緒に動いている者達も苦汁の表情を浮かべている。


「このままだと、今晩の天ぷらは無しかなぁ……。下手すれば森全体がこういう状況だろうし」

「エエーッ!?」

「天プラ、食ベラレナイノ……?」


 かなりの時間を捜索した結果、荷車に載せられている山菜の量が働きに見合っておらず、寂しい事は一目瞭然。その結果につい漏らしてしまった俺の本音に敏感に反応してアリヤ達、そして同じチームの子達もがっくりと肩を落としている。

 日も大分高くなり、そろそろ飯時といった時間までやってはみたがこれ以上時間をかけても難しいだろう。


「もうしばらく、せめて虫の被害が回復したと言える程になるまでちゃんと時期を見計らうべきだったね。これは俺の落ち度だなぁ、無駄足踏ませちゃってごめんよ皆」

「いえ、それでもこうして目的の薬草はちゃんと手に入ってます、無駄ではありませんよ」


 フルメリの手にある少し青の色味が強い草、これはかなりの数が手に入っているからまだいいが、山菜を楽しみにしていた者達には悪い事をしてしまったと後悔をしていると、空から音も無くルゥシアが降り立ってきた。

「ホリー、アナスタシアが一度集合しようって!!」

「ん、了解。お疲れ様ルゥシア、よし皆一度集合場所に戻ろうか!」


 元気な彼女の声に負けないように、声を張り上げて指示を出してみたがそれでも意気揚々としていた朝の時と違い、返ってきた声は弱々しい物だった。

 俺としては虫よけや殺虫団子の素になる薬草が収獲出来ているので一安心なのだが、そうも言ってられないくらいモチベーションが下がっているのは見てわかる。


 更に、悪い予感は的中したようで合流したアナスタシア、俺達よりも後にやってきたオラトリやレイなど、戻ってきた人達もその表情は暗く苦戦を強いられていたようだ。


「そちらはどうだった?」

「ダメね、手当たり次第食われてって感じで散々よ。オラトリは?」

「私達はラミアの巣穴の付近まで足を伸ばしてみました、以前にシャミエ殿達によって置かれていたという殺虫団子のおかげで多少は実入りもありましたが、それでも満足いく量かと言われれば……」


 アナスタシアの問い掛けにレイもオラトリも渋い反応、数チーム全ての収穫を集めても、大きな荷車を一杯にするのは叶わないのだから仕方がないか。


「うーん、今回はこれで撤収……かな? 第一の目標の薬草はある程度の量はあるんでしょ?」


 シャミエを始めとするラミアにそう言いながら視線を送ると、彼女達を代表してシャミエが一つ頷いた。

「そうだな、これだけあれば充分過ぎる程だ。こちらは問題はない。我らもまさかこれほどまでに森が荒れているとは思わなかったが、奴等も流石にコレには手を出せなかったようだな」


 一台の荷車に纏めて入れられている薬草の束、束、束……。

 この山と積んである薬草でどれだけ拠点を守る事が出来るかは不明だが、これから先森の恵みを虫に喰われないように数を間引ければかなり大きい。


「あとはコレをゴキローチがわからないように違う薬草と配合をしながら団子にすれば、コレを喰った奴等が巣に戻った時に死亡する、そのゴキローチの死骸をその巣にいる他のゴキローチが喰って、連鎖的に排除できる。大分数も減らせうわっ」


 聞けば聞くほどラミアの手腕は素晴らしいな、つい昨夜の宴の時と同じようにシャミエに抱き着いて感謝を体で表現してしまった。


「ありがとう、ありがとうシャミエ……! 本っ当にありがとう……!」

「ふふっ、本当にヤツラが嫌いなんだな。任せてくれ……ハッ!?」


 これも昨夜の宴の時と同じようにしゅるりと腕を回して笑顔で応えてくれる彼女。良い匂いがするなぁ、とつい目を瞑って嗅覚と触覚に全神経を集中していると、シャミエの呼吸が止まったような気がした。

「あれ……、シャミエ?」

「彼女ならあっちです」


 またも気付けば、目の前にいた美人は今度はもふもふのオークにいつの間にか変わっていた。プルネスが指差した方向には、これまた先日の場面を彷彿とさせるように首根っこを掴まれ持ち上げられ、数名の女性に体を押さえつけられるように運ばれている金髪のラミアの姿。

 よくは分からないが、敬礼しておくとしよう。


「しっかしこれじゃあ、今晩の宴は無しだなぁ。残念だけど」

「仕方がありませんね、これでは……。ホリ様、あまり撫でられるとくすぐったいのですが……」

 もふもふのオーク、更に拠点で使っている石鹸が体に合っているのか、以前よりもふわっと感が増している彼らの体は艶々と輝き、それでいてとても触り心地が良く、適度に温かい。

 ついついプルネスの体を抱きついたまま撫でてしまい、その感触に酔いしれているその時、森の中から大きな遠吠えが聞こえてきた。


 その遠吠え、以前にも聞いたからリーンメイラの物だというのはすぐにわかったが、どうして今彼女が? という疑問がまず頭の中に沸き、もしかしたら何か問題が起きたのか? という不安が過る。


「プルネス、今の……」

「リーンメイラ殿、ですね。むっ、また……?」


 彼と会話をしている内に先程よりも大きく聞こえてきた遠吠えがまたも響き、集合場所に集っていたほぼ全員に緊張が走った。

「オーガ、ラミアは亜人を囲むように守護! 近接は前へ、弩と弓部隊はその後方! ホリ! お前も亜人と共にいろ!!」


 大きく叫んだアナスタシアの声に呼応して、あっという間に陣形が組まれた。

 プルネスに抱き着いていた俺はその指示の下、亜人達と一緒に居る事になったのだが……。

「何があっても、ホリ様は私達が守りますから!」

「ホリ様、し、心配しないでくださいね!」


 マリエンやコーヌ、他にも気合の入った亜人の方々に囲まれるようにしてがっちりと守られている俺。それはとてもありがたい心意気だし、小さい子にまでそう言わせてしまうのは心苦しいのだけども、今重要なのはそこではない。


 十数名の亜人が俺に背を向けておしくらまんじゅうをするように守ってくれている。


 それはつまり、十数本の尻尾が俺の方に向いている上に彼らはとても距離が近い。そして緊張状態とあってか、亜人達は皆一種の興奮状態。

 つまり四方八方から俺の方に向けられている尻尾に、更に興奮している彼らの感情とリンクしてぶんぶんぶわぶわと揺れる尻尾にとてもくすぐったい思いをさせられている。


 更に、最初に彼らのところへ来た時に狐人の男性が『体勢を低くしていてください!』と言ってきたのを忠実に守っていた俺は胡坐をかくように座っていた状態だった事から、首から上を集中してもふもふビンタされ続けている。


 正面に立つマリエンのしなやかさの中に硬さがある尻尾ビンタと、とにかくふわっふわの毛並みがぴちぴちとぶつかってくるコーヌの尻尾ビンタ、そして耳から首筋からと、全方位を亜人達に攻められていた。


 彼らは真面目に、俺の為に体を張ってくれているのだから文句など言えようはずがない。

 更に、正面の二本のもふもふ尻尾の持ち主達はよく見れば震えている。

 恐らくだが、俺の周りにいる亜人達は皆そうなのだろう。つい先日まで酷い目に遭っていた彼らがこみ上げてくる恐怖と戦いながらも、俺の為に必死になってくれている。

 そんな彼女達の頑張りを無駄にしてはいけないのだ。


 なので俺自身いつでも彼女達を守れるように、くすぐったさと戦いつつも鞄の中に手を入れっぱなしにしてある。取り出す物でどれだけ効果があるかはわからないが、超巨大な鉱石の鉄板を取り出して俺達全員を覆ってバリケードにするくらいは出来る。


 固唾を飲んで森を眺め、緊張が場を包み込む中で姿を現したのは大柄で青い毛並みの、背中に二人の老婆を乗せている老犬。そしてそれに続くようにカーリン達姉妹の姿も見えてきた。


 やってきた彼女達の姿を見て、一つほっとしているとリーンメイラは俺達に向かって大きく声を張り上げた。

「ホリさん! 急いで手を貸しておくれ、リザードマンの子達が!」


 彼女の言葉、そしてその様子から只事ではなさそうなのでこうしてはいられない。

 もふもふが好きな人には堪らない空間だが、迅速な行動を取るとしよう。


 とりあえず、目の前で顔をビンタしてくる二本の尻尾を軽く手で摘まみ、お礼の意味を込めてもにゅもにゅと撫でておいた。

「ヒャ!」

「ハゥ!」

「ナイスな反応するなぁ二人共。うん、良い触り心地……。あっ、これセクハラか? いやここは日本じゃない、セーフ!」


 彼女達はその顔を真っ赤にさせてこちらを見ているが特にやめろと言われないので、引き続き感触を楽しみたいところではあるが今はそれどころではないだろう。

「マリエンもコーヌさんも、周りの人達もありがとうね。どうやら何かあったみたいだからちょっとどいてくれる? 皆いい尻尾の感触してるね」


 それを聞いて男女問わず赤面しつつ尻尾を両手で守るようにしながらも道を開けてくれたので、急いでリーンメイラの下へいくと老犬の背にいた二人が楽し気にしている。


「どうやら驚かしちまいましたかねえ。ヒッヒッヒ」

「ルース、今はそれよりも急いで受け入れの準備をしないとならんて。ホリ様、高い場所から申し訳ありませんが急を要します、以前にツリをした時に使った水槽のついた大きな荷車を出して頂けますか?」

「お、おう? わかった。ちょっと待っててね」


 ト・ルースの対応を見るに、それ程切羽詰まった状況ではないようにも感じるが……。ラルバに言われるがまま、以前に用意した水槽付き荷車の荷台部分を出しているとガタガタと荷車の車輪が地面を転がる騒音と共に大きな叫び声が森の中から響いてきた。


「ゼルシュ! そっち早く押さえてよ! 落ちるじゃないの!!」

「わかっている! コイツラ存外タフなんだ、ちょっと待っていろ!」

「レギィ! そっち! 落ちるわよ!」

「なに、どこだ!? 見えんぞ!」


 その声が聞こえた時から何となく嫌な予感はしていた。

 そしてその嫌な予感はどうやら的中してしまったようだというのは、森の中から現れた荷車を見れば一発で理解できた。


 今日は何だろう……、悪い予感が当たる日なのだろうか? 俺は荷車から零れてしまう程に小高い丘を築き上げている真っ青なカニの山を見てつい頭を抱えてしまった。


 食欲って、凄いなぁ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る