第119話 天の岩戸

 どうしてこんなことになっているのか?

 もしかしたら注意をしていたつもりでも、ラミアという相手を無意識のうちに軽んじていたという可能性があったのかもしれない。


 油断をしたつもりも慢心をしたつもりもない。だが、どこかで緩んでしまっていた心の隙間に入りこまれた事で、俺とペイトンの二名は今、仲間であるオーク達に槍を向けられている。


 ならない為のペトラの薬草、彼らはその刺激に耐えられず目と鼻から垂れる液体を拭き、少しの間だけ水筒の蓋を閉めて、空を見上げながら大きく数回深呼吸をして森の新鮮な空気を吸い込んでいた。


「ウグ……、グゥ……!」

「やばいぞ、ペイトン! やっぱりやられてるみたいだ!」

「わかりました! ホリ様はお下がりください、ここは私が!」


 違和感を感じたのは彼らが数度深呼吸を終えた時、様子を見ようと声をかけたタイミングでがらりと様子が変わり、ふらふらとこちらへ向き直った彼らは焦点の定まらない瞳で俺やペイトンを見つめたまま槍を構え始めたのだ。


 男性陣はお互いに頻繁に声を掛け合っていた為、迅速な対応が取れた結果被害はない。

 だが被害が無い事の喜びよりも、俺は別の要因により大きな焦燥感に捉われている。


 早く、早く彼らを元に戻さねば……! という焦りの中から生まれた考えを実行する為に、一度真っ白になってしまった頭を再稼働させとにかく薬草汁を、と震える手でペイトンの影に隠れるようにしつつ鞄から水筒を一本取り出す事が出来た。


 しかしそれも全てが遅過ぎた。いや、のだ。


 俺が水筒を手に鞄から真正面へと視線を移して見た先、正気ではないオークを視線に入れた時、そのオークよりも狂暴な猛獣と化した鬼が眼光をぎらつかせながら飛び掛かっていて、凄まじい勢いで武器を振り下ろしていた。


「てぇいッ!!」

「ギャゥッ!」

「ああ、遅かった……!」


 鈍い音と共に膝から崩れ落ちる仲間、それが一人、また一人と地面に倒れ伏していく中で血走る瞳を浮かべた鬼がこちらを睨みつけると条件反射のように嫌な汗が噴き出て、恐怖が心を支配する。


 その瞳に見据えられ、何かが縮み上がるような感覚が襲ってくるとその鬼は一転表情を崩し、笑顔でこちらに口を開いてきた。


「ご無事ですか、ホリ様」

「いや、うん無事だけどね? 無事じゃないのが足元転がっているでしょ? ていうか一々怖いよ! 死んだろそれ!?」


 オーガの侍女達が即座に動いてくれたおかげで、被害は殆どない。


 殴られたオーク達も彼女達は意識を失わせただけだ、と言い張るので今は荷車に乗せて休ませておく他ない。満足気に一仕事を終えたオーガの女性達はそのまま元居た場所へと戻っていった。


 倒れた彼らに薬草汁は飲ませておいたし、顔の、何なら鼻の周りにこれでもかと塗り込んでおいたので匂いで操られる事はないだろうが……。


「や、やめて……、たすけっ……、うう……」


「ねえペイトン、やったのは俺だけどこれだけうなされていて、大の男が泣いているのを見ると流石に不憫だよ。薬草汁が原因で死なないよね?」

「だ、大丈夫でしょう恐らく……。ペトラの薬草は飲む時の衝撃以外の性能は親の私から見ても素晴らしい物、それにウタノハ殿の侍女達は戦闘に関しても卓越した技量の持ち主です。程無く目を覚ましてくれると思いますが……」


 それから荷台のオーク達の調子を伺いながら森の奥へ、目的地まで目と鼻の先というくらい近付いてきた。


 ここまで来ると、俺でも分かるほどに特殊な匂いが強く感じられる。


 花とバニラエッセンスを混ぜ合わせたような物をぶちまけたような匂いが辺りの木から香ってきて、そちらの方を見ると木々の根元にある物は死体、トロルや小柄な人の形をした亡骸が見えた。


 どれもこれも黒ずんでいるところから察するに、燃やされてここに打ち捨てられているようだが、どう見ても子供と思える亡骸もあればラミアだと断定できる特徴的な亡骸もあった。


「せめて埋めてやれよ……。アナスタシア、後であの亡骸、トロルの死体とは別の場所に埋葬してやりたいんだけど時間貰ってもいい?」

「ああ、構わん。当初の目的はここにある死体の処理だしな。トロルの死体の方は獣に食われた跡があるが、それ以外にそのような痕跡がないのは魔王様と神の慈悲かもしれないな。丁重に葬ってやろう」


 他の同行者達にも許可を貰い、落ち着いたらこちらの方に着手しよう。


「しかし、何故ホリはそう平然としているのだ? これでは計画が……」

「計画? いや、甘ったるい匂いだなとは思うけど、別に問題も無く普通だなぁ。ペイトン達には申し訳ないけどね」

「それでも、巣に近付いただけでこれとなりますと流石に巣の内部は想像するのも恐ろしいですね。オーク達もペイトン殿以外はアレの力でとてもじゃありませんが武器を構える事も難しいでしょうし」


 ペトラの薬草汁に対する経験の差をまざまざと見せつけるペイトン、彼も確かに苦しそうだが周囲を警戒する余裕はある。問題なのは他、重度の花粉症かな? と勘違いしてしまいそうなほどにボロボロと涙を流し、鼻をぐじぐじと言わせているオークの男性陣。


 彼らには以前にグスタールで購入した空気清浄機能付きの布を貸して、本当に辛抱出来なくなった時だけ使うようにと言ってあるが、付け焼き刃の対応に過ぎない。それ程長い時間はもたないだろう。


「母上がいれば、この辺りの空気を全て吹き飛ばしてくれると思うんだけど……。ごめんなさいねオークさん達、私はそこまで強く風を吹かせられないの」

「いえいえ、これくらい覚悟の上で参加したのです。フロウ殿が自分を責める事はありませんよ」

「そうです。それにしても、これ程泣いたのは何時振りでしょう? 戦争で負けて敗走している時や村から逃げる時よりも涙が出て来ますよ」

「はっはっは! 家族が死んだ時よりも泣かせてくれるとは、ペトラ殿の手腕には敵いませんな!」


 尻尾を力無く垂らし、元気のなくなったフロウの身体にポンと手を置いたオークとそれに続いて軽口を叩き、泣きながら笑っているオーク達。明るく振る舞うように努めてくれている彼らのおかげで場の空気が悪くなるという事はない。


 それでもまだ問題の場所に辿り着いてすらいない内からコレというのも気が重くなるな。


 オーガの女性達はそれほど気に留めてもいないが、ラヴィーニアとレリーア、リザードマン達などはラミアの巣に近付くにつれ、不快感を露わにして顔を顰めていた。


 話を聞くに生理的に腹が立つとか何とか、明確な理由が有る訳ではないがとにかくイライラしている様子なので、今の彼女達にはあまり近寄らないようにしておこう。特にシスコン。


「ついたわよホリ、あの岩の裂け目ね。あの中が深い洞窟になっていて、恐らく巣はそこにあるわ」


 黒い鼻先で方向を示し、目的の場所を指し示す。

 そこは木々の合間から顔を出すようにして少し小高い丘のような岩場があり、フロウの示した場所に大きな亀裂と穴が開いている。


 その穴の周りに見張りがいるような事はなかったが、森の中であれほど騒がしかった虫や獣の声がこの辺りに来た途端ぴたりと無くなった事による静けさ、俺達を待ち構え飲み込むような不気味さが一際強くなった甘い匂いと共に穴の方から感じられた。


「流石に匂いが凄いですね……、この中に入っていくのは嫌だなぁ」

「中の道も半端に広いせいで奇襲を受けやすいでしょうね。それでも行くしかありませんが……」

 オーガ達やケンタウロス達が会話している中、洞窟を一度覗き込んだレリーアがぷいっと顔を背けて不快感を一層強くしてこちらを睨んできた。


「気分の悪くなる匂いだ、とっとと済ませたいが罠が仕掛けられているということだし、ホリどうするんだ?」

「うーん、中は危険だよね間違いなく。相手が出てくるのを待つ? 別に話が出来ればいいんだし」

「いや、それは危険よホリ。あの捕らえたラミアの口振りからも相手はもうやる気みたいだったし、私達がここに居る事もアイツラの中で音に敏感な奴が感じて気付いている筈。そう易々と出てこないわよ」


 リューシィが剣の鞘で地面をコツコツとやっている。この小さな音ですら相手には聞こえているという事か? 凄まじいな……。そういえば、槍を向けられた時に居た茶髪のラミアが言っていたな『音に過敏』って。


「どちらにしろ、危険は承知で行動をせねばならないでしょう。持久戦になれば我らが不利なのは言わずもがな、夜になれば闇に乗じて攻め込んでこないとも限りません」


 オラトリが言った通り、こちらに時間的な余裕はそれ程ない。


 やはり少しでも早く、せめて襲われる心配が一つ減った状態であの号泣しているオーク達を楽にしてあげたい。ラミアの匂いを使った催眠にこれ程苦しめられるとは、想定より酷い物だったのは彼らのぐじゃぐじゃになった顔面が物語っている。

 こうなっては仕方がない。少々荒っぽい事になるし、まず間違いなく険悪な状態や最悪戦闘になるが相手に出てきてもらうとしよう。


「よしわかった。それなら中に入らず相手を呼び出すとしよう、ちょっと準備をするから呼んだ人は俺のところにきてくれ。最初はそうだなぁ……。アリヤとフォニア、レイとティエリの四人。ここへ来て耳を見せて!」

「はーい! って……、耳?」

「何ダ何ダ! ドウスレバイインデスカ!」

「ホリー、何するのさー?」

「よくわからないけど、耳を見られるなら今の内にちょっと綺麗にしておこうかしら……」


 名前を呼ぶと即座にやってきたフォニアとアリヤ、首を傾げているティエリ、そしてあたふたとしながらもふんわりとした茶色の髪を掻き分けて布で耳をごそごそとふき取っているレイ。


 衆人環視の中ではあるが彼女達一人一人に合った物を、そう考えて耳を見せて貰っている訳だけども……。

「ひゃっ、モォ、ホリさんくすぐったいわ」

「ご、ごめんごめん。やっぱり難しいなこれは……」


 作り上げた物、それは耳栓。

 レイの耳を見ながら、少し扇情的な声にドキドキしてしまう。時折サイズを確かめる為に耳に触れるのだが最初はアリヤとティエリの耳に俺の手が触れた時に笑っているだけだったので気にならなかったが、相手がフォニアとレイになるとそれも変わってくる。

 ボーイッシュな子や少し大人しい印象の女性が顔を赤らめて声を上擦らせるのを聞いていると、やっぱりドキドキしてしまうな。


 流石にその程度でしどろもどろになって作業が遅れるような事はないが、俺の所業を見ていた他の者達から大層お怒りな視線を感じる。

 それでも俺のやりたい事を尊重して何も言わない彼女達に感謝を捧げておこう。


「よし、何はともあれこちらは出来た。後は……」


 何かが恥ずかしかったのか、ちらちらとこちらに視線を送ってきたり真っ赤な顔で頭を掻いている二人は放っておくとして、次に作る物が重要だ。


 一度目的の場所に移り、鞄から一塊の鉱石を出し手頃なサイズへと板を作り上げていく。目標はラミア達の巣へと繋がる洞窟の入り口、それの封鎖。

 洞窟の出入口の穴、その穴の周りに一度ツルハシを打ち込み穴を開け、同サイズの穴を鉱石の板にも開ける。

 そしてその穴が外れないように楔を打ち込み、ハンマーで外れないように念入りに打ち込めば完成。

 ラミアの巣はその姿を殆ど鉱石の板に埋められ、空気が入るように多少の隙間を上下に作りながらも人っ子一人入れないような状況を作り上げた。


 俺のやっている事にどういう意味があるのか? と顔に書いてあるアナスタシア達は首を傾げて眺めてきているが、常に周囲の警戒や洞窟内の気配などに神経を尖らせているので作業は俺とオーク達でやっておいた。


 行っていた作業は簡単なのですぐ終わる。

 そして新たに始まるのは狂騒という意味がぴたりとハマるであろう内容だ。その先陣を切ってもらう為、俺はある人物の隣へ向かいその小さな肩に手を置いた。


「アリヤ……、今あえて聞くけど、あの剣大事にしてくれてた?」

「ハイ、モチロン! フォニアノ武器モイイデスケド、アレハ大事ナ物ナノデ!」


 元気な答えを返してきた彼女にはこれから全力を出してもらわねばならない。そしてそれはこれから恐らくラミアと事を構える前に上げる鬨や狼煙のような物だ、盛大にやってもらうとしよう。


 彼女の背に手を添えて、洞窟の出入口を封じている板の前へと立たせるとアリヤだけではなく他の者達も続いてやってきた。


 どうやら興味があるらしい、耳の良い種族は大変な事になるというのに。


「剣取られて、悔しい?」

「物凄ク、悔シイデスヨ!」


 ぐぐっと力が入る握り拳からは、その悔しさが伝わってくるほどに彼女は怒っている。先程までベルやシーとニコニコと遊んでいたのに、スイッチが切り替わったように沸々と湧き上がる怒りに俺は鞄から作戦の要の道具を出し、彼女の手にその柄を握らせた。


「よし、アリヤ。叩け」

「ハイ! ……ハイ?」


 言われた言葉の意味がわからないのであろう彼女は自分の手にあるハンマーと、俺の顔を交互に見てどうした物かと困った表情。そんなアリヤに再度、板を指差してやって欲しい事を伝えると彼女は二つ返事で了承してくれた。


 そうして納得したアリヤが打ち鳴らした闘いのゴング、それは盛大な音と共に彼女の手に衝撃を伝えたようで、最初は手が痺れたようだがラヴィーニアが糸と布を使い持ちやすくしたところ、今はその影響もない。


 俺の目の前には、悪鬼羅刹と見紛う二人が持っていた巨大な槌と俺が渡したハンマーを交互に振り下ろし、打ち鳴らされる衝撃が体の中心まで響き渡ってくる。


「おらぁー!」

「出テ来イヤァー!」

 一つ、また一つと森に大きな音が響き渡る。

 即席の耳栓を作り出し、一応の対処は出来ているがそれでも体を貫くような空気の振動。

 びりびりとした衝撃は肌を震わせ、凄まじい音となって打ち鳴らされている事が分かる。


 一緒にやっているフォニアはオラトリが砕いた両腕も完治したのか、もう大丈夫のようだし、アリヤも進化の末に手にした力は相当な物だという事があの様子からも伺える。


 俺は黙々と耳栓を他の人の分も作り上げているが、地面に伝わっている衝撃によって板のある洞窟の出入口付近の大地が小刻みに震えていたり、傍にある木が揺れているように見える。

 中にいる人、大丈夫かな? 早く出てきてくれればいいのに。


 鉱石の耳栓は遮音性も素晴らしい。こうして一人一人に合ったサイズを作っているとよく分かるが、つける前と後ではその差は如実に現れている。


 何せ、すぐ近くで鳴り響いている音が遠くの物のように感じる程。

 そしてその音によって両手を使い耳を守るように塞いでいる周りの魔族達の分の耳栓を作る為にまず隣にいたベルの肩に手を置いた。


 この作戦が始まった時からずっと耳栓をつけっぱなしで一人一人の肩に手を置いてそのまま耳を弄らせてもらっている訳だが、今度は疚しい気持ちにはなるという事はない。


 何故なら、目の前でどのような声を上げられても聞こえない。そして目の前の美しい女性が少し恥ずかしそうに顔を赤らめていても、大地から伝わってくる振動と体にやってくる衝撃が我に返らせてくれるのだ。


 それにしても、種族によって耳の形がこうも違うとは。


 オーガは少し全体的な形が尖っているし、アラクネはあまり人の物と形は変わらない。ミノタウロスはそのまま牛という感じの耳が頭のところにあるし、ケンタウロスは耳の場所こそ人間と同じだが、耳の裏に馬体と同じ色の毛が生えそろっていたり。


 リザードマンに至ってはつるんとした頭部の鱗に二つ穴が開いていて、そこが耳だという説明をリューシィがしてくれた。場所自体は人間とあまり変わりがない。

 耳の形なんて普段気にした事はないが、意外と種族の特徴のような物が出ているなぁ……。


「不思議だなぁ。ん? この耳は人間と違って、軟骨のような感触がないな……。耳の裏の毛並みも白くて綺麗だ」


 つい出来心が沸いてしまい、ツヤツヤとした毛並みを撫でてみると滑らかで柔らかい毛並みの感触が心地良い。これはずっと撫でていられる、すべすべだな。

 目の前で顔を紅潮させてこちらを強く睨んでいるアナスタシア、何かを言っているようだが耳栓をしているので聞こえない。実質セーフ。


 トン、と肩を叩かれた感覚に振り向いてみると、リューシィが何かを話している。

 そういえば耳栓をしていたのだった。遮音性に加えてすぐ近くで生み出されている騒音による影響だろうか、彼女の声は全く聞こえない。


 耳栓を外してみると耳を劈くような、まるで何かが爆発しているような衝撃音が。


 しかもかなりの頻度で打ち鳴らされているので、その騒音に負けないようにリューシィが大きく叫んできた。

「ホリッ! これいつまで続けるの!?」

「あー、どうしようかな……。考えてなかったー!」


 俺の叫びが聞こえてその無計画さに呆れているのか、彼女は大きく口を開いて呆然としているご様子。

 それもそうだ、この音はいつまで続くのかとあまり考えないようにしていたがラミアの対応にもよるし、最悪日が暮れ始めたらこの状態のまま放置して一度拠点に戻り、明日また出直してくるとしよう。


 怪我をしたオークもいる事だし……、仲間にやられた傷だけども。


「あれ? 静かになったね」

「どうやら殴り手が変わるようだぞ」


 レリーアの指差す方向には、フォニアから巨大な槌を受け取るレイとアリヤから普通サイズのハンマーを受け取るティエリの姿が見える。

 彼女達、腕力という点だけで選んだ人選だったが大丈夫だろうか? ミノタウロスは基本大人しい種族なのだし、失敗だったかも……?


「ティエリ、本気でやっていいわよ。私もそれなりに力を出すから」

「わかりましたよボス! それじゃあ……っ!!」


 大地を強く踏みしめて、ぐぐぐっと持っているハンマーの柄を握っている手に力を籠めるようにしているティエリのパッチリとした目がじわじわと紅く輝いていく。

 そしてその様子を見下ろすように見守っていたレイの少し垂れた目の中は既にティエリのソレと酷似した紅い輝きを強く放っていた。


 力を溜めるようにして、全身を戦慄くように震わせていたティエリが真っ赤に燃えた双眸を真正面のレイに向けると少し離れている俺にも聞こえるほどの大きな声が響いてきた。


「いけますっ!」

「よおし! 盛大にいくわよォッ!!」


 その叫びと共にやってきたのは音の大爆発。

 先程までソレらを振るっていたのは、拠点の中でも腕力などに関して優れていると評判のオーガ、そしてアリヤ自身の力も目を見張る成長を遂げているという点から考えれば、入り口を封鎖している鉱石板には相当な威力が打ちこまれていた事だろう。


 だが、あの二名の振るうハンマーの二重奏はそれを更に超える物だった。まるで重機のように鈍く、強い衝撃と音が鳴り始めるとほぼ全員が耳を押さえるのは勿論の事、耳の良い種族は地面に跪くように身を低くしてその衝撃音から逃げる事に必死だった。


「フォニアとアリヤも凄かったけど、やっぱりあの二人はやばいな……。力だけで言えば相当な物だし、レイに至ってはあれでまだ本気じゃないってのが恐ろしい」


 ぽつりと口から出てしまった言葉も即座に掻き消される。

 こうしてはいられない、後ろで顔を歪めて耐えている仲間の耳栓を急がねば。


 どうしても音が煩いし、この中で耳を押さえるなというのは酷な事だろう。アリヤ達と森の中で一晩を過ごす時に作った寝床棺桶の中なら少しは音が抑えられるかな? と鞄の中に手を入れ、寝床棺桶を組み立てるとレイ達が生み出す音にやられている者達が後から後から入ってくる。


「ここなら少しはマシか……」

「ちょっとォ、耳栓がある奴は外行ってよォ。狭いじゃなァい?」

「ラヴィーニア殿、貴方も耳栓貰っているでしょう……?」


 ぎゅうぎゅう、すし詰め状態、朝の満員電車よりも酷い状況かもしれないが、個人的にはラッキースケベにより体のあちこちに幸せな感触が!


「狭いから皆順番に控えて……うほー! 控えなくていいです、むしろもっと詰めて!!」

 狭いという条件はあるが、音が少しは遮断できるこの寝床に詰めかけてきた女性達、更に一番手に入り込んできたラヴィーニアの豊かな双丘に顔を襲われ、俺は流れに負けて後から押し寄せる人並みによりそのまま壁際まで追いやられてしまった。


「あァッ、んん……もォ、ホリィ? どさくさに紛れて何してるのよォ」

「堪忍やで! 仕方ないんやでこれは! 堪忍やでぇ!」


 目の前にいる彼女に真っ向から挑んではいるが、その感触に敗戦し続けていると壁に押しやられている頭を守るように目の前の彼女が腕を回してきた。

 埋めていた場所から見上げれば、優し気に見つめてくる紫黒の目と目が合った。


「フフフ、こうすればァ痛くないでしょォ?」

「ヒィン!」


 ついつい、豊かな双丘が生み出す谷に顔を埋めるという男性の夢の実現をしてしまった俺を突き放すような事もせず、むしろその行動を見守り包み込むような慈愛の篭ったその笑顔と言葉に心が震え、彼女の細い腰に腕を回して幸せ空間を味わっていると頭上から声が飛んできた。


「ホリ……、貴様だけは絶対殺す……。貴様だけは……!」


 彼女達特有の逃げ場、天井。

 そちらの方から呪詛のように響いてくるシスコンの声と歯軋りのような音は無視しておこう。今はこの感触を楽しむ事が国際OPI大使の役割と使命なのだ。


「こうしてホリを抱きしめるのも久々ねェ、フフフ」


 楽し気に呟いた彼女の声も、今は反応をしてあげる余裕はない。

 とりあえず、これを味わい尽くす事が俺に課せられた使命なのだ!


「おーい、ホリー! みんなー! ちょっと来てー!」

「あらあら、そんなに音、酷かったかしら?」


 この空間の終焉をもたらす声を出しているのは先程まで猛威を振るい続けていたレイとティエリだろう。


 ああ、この柔らかさと温もり、どうして楽しい時間は過ぎ去るのが早く感じるのだろう。悲しい、こんなに悲しい気持ちになったのは何時振りだろうか。

 最後に大きく深呼吸をして、貴重な天国の酸素を肺に送り込んだら行くとしよう。


「いい加減に、しろッ!!」

「いでっ」


 同じ甘い匂いでもラミアの罠のような妖しく、生気を奪われそうな匂いとは違う。まるで生きる為に必要な活力を与えてくれる天国のお花畑の匂いを全力で堪能していると、頭頂部に強い衝撃が走った。


 どうやらシスコンにより甘い時間は終了してしまったようだ。


 天井から降りてきた彼女にそのまま首根っこを掴まれて外へ連れ出され、更には外で他にも数名から叱責を受ける羽目に。素晴らしい時間を味わった直後なのでこれくらいの代償は何ともない。


「それでレイとティエリはどうしたの? 何かあった?」

「あっ、あー、いやそれが……」

「あったというか、しちゃったというか……?」


「敵地で説教なんてしている場合ではないでしょう」というペイトンのごもっともな一言により説教のお時間が終わったので、先程声をかけてきたレイ達に話を振ってみたがどうにも要領を得ない、一体どうした事だろう?


「あのー、ね? ちょっと私もティエリも、本気になっちゃったというか、やりすぎちゃったというか……?」

「ちょ、ちょっと夢中になっちゃって……」


 先程まで見せていた煌めく紅い瞳も今は消え、普段と変わらない黒い双眸があちこちへと泳いでいる。

 彼女達は何を焦り、そして何が言いたいのか? と思っていたところへ、小学生の遠足スタイルをしているオークの一名が血相を変えて走ってきた。


「ほ、ホリ様! 巣、巣の出入口が!!」

「ん? まぁ、とりあえず行って見るか」


 少し駆け足でラミアの巣の出入口がある岩場へと向かうと遠目からでもレイ達の『やりすぎた』という言葉の意味が理解出来た。

 先程と同じ、小高い丘のようになっている岩場の光景に不可思議な箇所が追加されている。


「なるほど……。レイ、ティエリ、ここまでやっちゃったんだね……」

「その……えへへっ」

「あ、あははっ」


 誤魔化すように頭を掻くようにして笑顔を浮かべたレイと、それを真似したティエリの両名に全員から視線が突き刺さり、彼女達はその重圧に耐えきれずに、最終的に小さく謝罪を口にしていた。


 それもそうだろう、なんせ……。


「まさか岩場に深々となんてね。ミノタウロスのパワーと鉱石の強度を甘く見ていた俺の責任だなぁ」

「何か途中から盛り上がっちゃって……」

「ボスに勝ちたかったので……」


 先程まであった岩場の裂け目、その姿はもう見えない。

 二人の腕力が叩き続けた結果、裂け目を覆っていた鉱石の板が岩場の奥へ奥へと侵入するように抉り始めていて、肝心の板はというと完全に岩場の中へ沈み込んでいる為、押しても引いてもビクともしない状態になってしまった。


「よく中が崩落したり周りが崩れ落ちたりしなかったな……。何はともあれレイもティエリもお疲れ様、こうなっちゃっても俺なら何とかなるからそこまで気を病む必要はないよ。手伝ってくれてありがとうね」

「お、おう! がんばったよ!」

「よかったぁ、ホリさんに怒られるんじゃないかと思った……」


 安堵するミノタウロスの二人だが、よく見れば鉱石の板の周りの岩には深い亀裂が走っている。正直、やりすぎではある。

 ちょっと中の様子がどうなっているか見てみるかな? ツルハシでいくつか穴を開けてみるとしよう。


 キンキン、と甲高い音を立てながら、振動を最小限に止めるように細心の注意を払いつつ鉱石の板に穴を開けてみた。

 だがツルハシで開けた穴は小さく、薄暗い中の様子はわからないので今度はスコップを出して少し大き目の四角い穴を作り上げてみる。

 スコップが鉱石に当たる度に横から岩の上げる悲鳴が鼓動を早くさせてくるが、これで崩落したら俺の責任なのだろうか? 慎重にやろう……。


「ホリ様、この岩場なんですが……」

「うん? ちょっと待ってね、もう少しで穴が完成するから……」


 オーガの女性に話を振られたが、こちらはいつ起爆するかわからない爆弾の解体をやっているような物、話が出来る心の余裕は全くないので後にしてもらおう。


 大分歪になってしまった四角い穴も最後にスコップを振るうと甲高い音と共に、貫通して中から甘い匂いが香ってきた。


「よし、これで中の様子が見えるぞ、っていってもやっぱり暗いなぁ……。ちょっと魔石投げ込んでみるか」


 ラミアにとっては影響はないかもしれない、それでも人間の俺からしたら中は真っ暗と言っても差し支えない暗さで全く何も見えない。


 中に光源の一つでもあればまた違うかもしれない、そう思いつき後で回収する事を告げてシーから一粒の魔石を借りた。


 歪な穴から少しでも奥へ、遠くへ、と手首を利かして投げた魔石は数メートル程行ったところで地面に落ち、コツコツと音を立てて転がっていったが俺はそれより、闇の中放物線を描き、そして地面を転がる淡く光る魔石が僅かな時間で教えてくれた自身の生み出した作戦の成果に眩暈がしてきた。


「これは……、あちらさん怒ってるだろうなぁ……!?」


 中に見えた作戦の成果の片鱗。

 つい最近見たコーヌと呼ばれる少女がしていた断末魔の表情、それよりも酷い表情を浮かべた女性達が少し広い空洞の中にこれでもかと転がっている映像を見て、ラミアとの戦闘は避けられない、そう強く確信した。

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