第118話 愛の鞭

 魔族のリアクションは面白い。

 彼らは新しい事に対しても貪欲だ、それは食べ物でも一日の作業でもそう。

 殊更ここに住んでいる者達はそれが色濃く感じられ、何か新しい事を始めるという時には積極的に参加してくれるのでとても助かる。


 今回、面白いリアクションを見せてくれたのは目の前のラミアの女性。

 その顔はエロスを含むほどに恍惚としていて、何も知らない人がこの表情の彼女を見たら事後か? と思ってしまうかもしれないが、卵焼きを食べただけである。


 アナスタシアもそうだが、表情をあまり変えないクールビューティーな女性が表情を崩している様を見ると、多少得をした気分になる。


 それにしても、この女性の惨状は……。

 輝くような笑顔で楽し気に食事をする女性は日本にも多数いるが卒倒するような人はそうそういないだろう。そんな客に来られても、むしろ店側もいい迷惑である。


「ヒッ、オイッ、ヒィ……」

「ああ、涎が……。……よし、まぁこんなもんで良いだろう。ん? スライム君それは」


 倒れている彼女の口元からだらりと伸びた舌を口内へ戻し、口の横からたらたらと漏れてきている液体を拭き終わったところでスライム君が追加のオーダーを持ってきていた。


 やはりこのラミア達は卵が好きな種族なのだろうか? どれもこれも卵焼きが皿の上に乗っかっているが……。

「それじゃあ、あちらの目覚めたラミア達にも食べてもらおうね。それにしても美味しそう、今度俺の分もよろしくね。朝御飯のメニューにもたまにあると嬉しいよ」


 皿が頭の上にあるので跳ねる事は出来ない為、触手で円を描いて了承をしてくれた彼と共に、自分達のリーダーの惨状に怯えているラミアの口の中へと卵焼きを入れていく。


 まずは飲み物を飲ませて喉を潤してから卵焼きを入れていくと、あちこちで嬌声のような物が上がり始めて、それが続いていくと段々と拠点の住人達からの視線も痛く感じる、それでもこの女性達もほぼ丸一日飲み食いはしていないのだから食べられる体力があるうちに食べて貰った方が良いだろう。


 飲み物も水や果実を使ったジュースのような物、お望みなら酒もあるぞといったらラミアの女性達は遠慮をしたのか水を要求してきた。

 いよいよ最後の一人、白い髪と尻尾が特徴的なラミアの番になる頃にはあちこちでぴくぴくとしたあまりお子様に見せたくない惨状へと場は様変わりしていた。


「どうしてそんなに怯えるの? これ食べて欲しいだけだよ? ほら、おいしいよ?」

「ヒッ、い、イヤ……、やめて、私達が悪かったからやめて……!」


 どうしてだろう? 慈善事業のような事をしているのにまるでこれ以上ない程の責め苦を仲間が受けているのを見ていたかのような怯えっぷり。


「ほら食べないと終われないでしょ? それとも無理矢理食べさせられたい? 体の為にも何かお腹の中に入れておかないとね。さぁほら」

「やめ、やめて……!」


 不思議だな、ただ卵焼きを食べて欲しいだけなのだが。

 どうしてこうも抵抗を見せるのか、毒が無い事はわかりきっているのだからこの美味しさを満喫すればいいのに。これ以上の問答は時間の無駄だな、無理矢理突っ込んでしまおう。


「ほら美味しい美味しい。怖がらずに食べて良かったでしょ」

「ふぐっ、うぐっ……、あひっ!」


 先程までのラミア達と同じように、こちらの白い髪の女性も体の奥底から沸いてくるような、時折襲ってくる電流に抗うように……そう、丁度先程ベルに嬲られていた先程までの俺のように体をぴくつかせている。

 何か変な物でも入っているのか? 今更だが一つ食べてみるとしよう。


 見た目も美しい金色、摘まんでみると仄かに温かみを感じる食べ頃といった卵焼きをそのまま口の中へ運び噛みしめてみたが、中心の方がとろとろとしている美味しい卵焼きだ。


「一体どうしてこれが……こっちはもう手遅れか」

「ヒィッ、アヘッ……」


 ピンと腕や背筋を伸ばした状態で、時折ぴくりと動くどこか遠くへ意識が行ってしまった女性の体に布をかけておこう。ついでにだらしなく伸び、口外へと飛び出した舌も戻しておくとしよう。


「よし、これで彼女達も大丈夫だな。ようし、それじゃあ皆こっちも……、あれ……?」


 薄々はわかっていたのだが、それでもやはり早朝から子供に見せる光景ではなかったようだ。アリヤ達やペトラを始めとする子供達の視線を手で覆い隠し、こちらを見られないようにという配慮がなされている中で数名が怒りの表情を浮かべているのが見えた。


「ホリ様、貴方という人は……。先程の私の話を聞いておられなかったようですな!!」

「はい、反省してます」


 俺はただ卵焼きを食べさせただけなのに……。

 その後また足の痺れに襲われるほど説教を味わわされ、そのおかげでベルだけではなくアリヤにも先程と同じように痺れる足を弄ばれてしまった。


「ホリ、それでどうする?」

「そうだね、とりあえず相手の巣のある場所へと向かおうか。部隊の編制はラミアの事に詳しいト・ルースの意見を聞いた上で各種族の代表者達に選んで貰おう。俺はまずこの足を何とか……、あっ、シーもう少し優しくしてッ! あっ、アッ……!」


 力の入らない足をゆっくりと解してもらい、面倒を見てくれたシーにお礼を言っていると脱兎の如く逃げ出したアリヤとベルが戻ってくる頃には巣へと向かう人員が決まったようで、俺のいる場所に集まってきた。


 選考された顔ぶれ、ト・ルースが率いるように前に立っていて、その後ろに並んでいる面々を見て少しだけ首を傾げてしまう。


「何か……、女性が多いね? いや別にだから何っていう訳ではないんだけど」

「ヒッヒ、オスを多く連れていけばそれだけ相手の手駒にされる危険が増しますからねえ……、極力減らしておきましたよ。それに時として女の方が残虐ですからねぇ。先程少し気合を入れただけでほらあの通り」


 くいっと杖の先端を向けた先にはぶつぶつと呟いて作戦会議をしている者達や、武器の状態を細かく確認している者達、どの子も何故か鬼気迫る表情である。


 その形相とも言える凄みを見せる彼女達、気合が入っていると言えば聞こえはいい、悪く言えば恐ろしい。


 リューシィ達リザードマンの女性は最初から私怨のような物があったから気合が満ち溢れていたのでそれほど変化はないが、それ以外の種族達は一体どういう言葉を言われたらああなってしまうのか……?


「なんか……、ちょっと力入りすぎてない? 戦闘するかもわからないのに」

「ヒッヒッヒ! ホリ様、相手が相手です。隙を見せると、そこを執拗に狙い続けてくるのが連中の性分って奴でしてね。あたしも油断をさせるつもりはないのでねえ、大げさに発破をかけておきましたよ。そう、例えば……」


 ト・ルースは俺に向かって指を差し、にやりと口元を歪めるようにして牙を見せて来た。

「俺? 俺がなんかあるの?」

「ええ、ええ。あの子らの大半にこう言ってやったんですわ」


 ちょいちょいと、手招きをするような仕草を見せてきたので小柄なト・ルースの高さに合わせて彼女に顔を寄せると小さく耳打ちをしてきた。


「『ここにいる唯一無二の存在は人族、簡単に連中の術にハマる。そうしたらもうここに戻らずにラミア共の巣で励み、子を成すだろう。あの人の事だから自分の子はどういった経緯であれ、それはもう殊更大事にするだろう。そうなったらあんた達は厄介者だよ』とね」

「ええ? 俺、魔王の奥さんの催眠すら利かなあぐっ」


 俺の口を塞ぎ、コクコクと頷いているリザードマンの長は何かを堪えるように小刻みに体を震わせている。


「ヒッヒッヒ! ええ、ええ、それは王妃様にお聞きしましたよ。それを知っているのもあたしを含めてもそれほどおりませんが、こう言っておけば油断など万に一つもありません。あの様子からしても、それはわかるでしょう?」

「ん、いやまぁ……、そりゃあね」


 元々気合の入っていたリザードマン達と同じくらいの熱量を感じさせるオーガ達やアリヤ達と、表情は変えないがあれこれと綿密に連携の打ち合わせをしているアナスタシアや他のケンタウロス達、フロウやレイ達と輪を描いて話込んでいるアラクネ達……。


「まぁ俺弱いから仕方ないよね……。申し訳ないなぁ」

「ヒッヒッヒ、あの子達はホリ様の強さや弱さとは関係のないところで気合が入っとるんですがねえ……、まぁそりゃええでしょ」


 お互いに呟くように言葉を交わしていると、隣からペイトンやプルネスといったオークの男性陣もやってきた。彼らも巣へと向かう班に組み込まれているようだが、オークは大丈夫なのか?


「ホリ様、荷車やそれ以外にも準備は終えておきました。昨日簡易的ではありますが荷車が通れるように道の整備もしてありますので、そろそろ参りましょう」

「ありがとうペイトン、プルネス達もお疲れ様。オーク達は男性中心だけど、大丈夫なの? リザードマン達やミノタウロスは男性が一切いないけど……」


 何ならケンタウロスも男性はいないところを見ると、どうやらオークだけは選考される理由があるようだ。オークの数自体がこの拠点には少ない為、その数も決して多くはないが彼らは皆、気合の入った顔をしている。


「我々は大丈夫です。これがあるので……」

「それは……、水筒?」

「ええ、そうです」


 ペイトンやプルネスが力強く頷く。

 俺に差し出すように伸ばされた彼らの手に握られているのは紐がついた水筒。何故かただの水筒の筈なのに、そこだけ空気が違う重圧を感じる水筒なのだがまさか中身は……。


「お察しの通り、中には『アレ』が入っています。これをこう……」


 彼らは薬草汁が入っているだろうと察した俺にその使用方法を実践してきた。

 その手にしていた水筒の紐を首にかけ、胸元の辺りに水筒を吊り下げる子供の遠足スタイルを始めるとそのまま水筒の蓋を開いた。


 蓋を開けた途端目の覚めるような、それでいて気の遠くなるような臭いが立ち込める。この距離でも感じられるほどに熟成の進んだペトラの薬草汁の破壊力に、首から水筒を下げて並んでいたオーク達の顔が歪む。


「こ、このようにすれば……、我々は大丈夫うぐっ、です……!」

「いや蓋閉めて閉めて! 大丈夫っていうかむしろそっちの方が危ないだろ! どうしてそう捨て身なの!?」


 臭いに敏感なオーク達からすれば、常に最強の着付け薬が首の下から猛威を振るい続けるのだから相手の術中に嵌るような事になる危険性は低いと思える。


「ヒッヒッヒ、奴らは匂いで相手を魅了する事もあります。こうすればその手は使えんでしょう。それに、いざ他の要因で魅了されたらその水筒をひっくり返してやれば対処も易い。匂いを嗅ぎとるのに敏感なオークだからこそできる戦法ですわ」

「まぁ、無理だけはしないようにね? ほらペイトンも他の皆も水筒の蓋を閉めなさいって。極力頭から薬草汁を被らなくて済むように祈っといてね」


 蓋を閉めるペイトン始めとするオーク達、彼らは目からぽろぽろと涙を流していたり、目を真っ赤にしていたりとしながらも水筒の蓋を閉めていく。


「ホリさーん、こっちも準備できたってクサッ! 何ここ臭いんだけど!!」

 背中に工房で使っている大きな槌を携えたフォニアが声をかけてきた途端に鼻を摘まみ顔を背けた。蓋を閉めたとはいえ、残り香でこの破壊力……とんでもないな。


「フォニア、おつかれ。この臭いはペイトン達オークの漢気の代償だからね、彼らに報いる為に帰ってきたら鉱石でオークの像でも作りたいほどの頑張りようだよ」

「おぉ、それは面白いですな。ホリ様どうです? この件が終わったらここに住む者の種族の銅像を設置してみるというのは?」

「それはいいですね、ですがそれだと設置する場所で揉めそうですな」


 顔を顰めているフォニアやオーク達と話をしながらアナスタシア達と合流してそのまま出発となった。

 見送りにはゼルシュやオレグ、他にもかなりの数が残されているので捕らえているラミアの女性達の方も大丈夫だろう。ト・ルースも残るしな。


「ホリ、力になれずすまない。どうしてもオババやリューシィに止められてしまって……」

「ホリ様、ご武運を。細心の注意を払ってくだされ」

「ゼルシュ、今回ばかりは仕方ないよ。頑張ってくるからさ。オレグもありがとう、他の皆もね。それじゃあ行ってきます!」


 激励の声を叫び大きく手を振っている見送りの面々と別れそのまま出発をした俺達、それほど日程があった訳ではないのに道もある程度整理されているし、快調なペースのまま目的地へと向かえている。


 それなりの距離を歩いて、あっという間に時間は経ち、隣を歩いていたアナスタシアは一度空を見上げた後に仲間全体に振り返って聞こえるように指示を出した。


「よし、順調に来たので少し早いがこの辺りで食事にしよう。これ以上あの森に近付くと流石に何があるかわからないからな」

「わかったよ、スライム君の持たせてくれたお弁当もあるしスープも鞄の中に鍋ごと入っているし、温めればすぐ食べられるよ。ちょっと待ってて」


 四十名強の、料理班の子も数多くいる今回のメンバー達。

 俺が鞄からスープの入った鍋を出すとてきぱきと火にかけ、順番に配っていき食料の渡った者から食事という流れに。


 食事をしながらリューシィ始めとするリザードマンに話を聞いていると、やはりラミア相手で一番怖いのは相手に操られた事による同士討ち。


 男性陣が少ないのは、女性陣にその催眠はあまり効果はなくかかったとしても薄い物で、同士討ち自体、男性が操られて女性を全滅させるという内容が殆どなのだとか。


「ゼルシュが操られた時なんて、おばあちゃんが本気で殺しにかかってたのよ?! 『ラミアに引っ掛かるあんな腑抜け、死んでもええねリューシィ』って言ってたし! ホント大変なんだからね!?」

「よく無事だったねゼルシュ……、いや普段はだけどあれで拠点内でも有数の強さだもんなぁ……、ト・ルースが本気になるくらいの惨事になるって事だもんね」

「それにオークさん達が取っている『あの』戦法も、我々がやると感覚が鈍りすぎて相手の動きについていけなくなってしまうので出来ません。オークさん達は我々ほど匂いを頼りに戦う事も少ないから出来る芸当です」


 アマラの説明で思い出したが、そういえばリザードマン達って暗闇でも嗅覚さえ生きていれば何とかなるって言ってたな。

 それを考えたら遠足スタイルで首の下から刺激臭を嗅ぎ続けてたら戦闘どころじゃないだろうしなぁ。相手のラミアは耳が良いって言ってたから、嗅覚を潰されても問題はないようだし、それに毒はあまり効果がないってあのリーダー風の女性が言っていたもんな……。


 ペイトン達オークも極力前線で戦闘はせず後方支援に徹するっていう話だから、今回は本当に女性陣が頼りの作戦だな。


「それにしても怖いね。ト・ルースの話じゃ花のような甘い匂いを感じたら警戒しろって事だったけど、気付いたら相手の術中っていうのが不安になるよ」

「そうね。これから向かう場所なんてその臭いしかしないような場所よ、おばあちゃんに今回ホリが来るのは反対したのに、『あの人は問題ないよ、もしも仮に暴れたとしてもどうとでもなるだろう?』って言っててね? それもそうかってなったわ!」


 もし仮に俺が操られたとしても全力で殴って止めるという強い意志を感じさせるような握り拳を構え、力強く頷くリューシィの言葉に続き、隣からは鋭利な足が伸びてきた。

「そうだぞ、むしろ全力でってやるから操られてくれても構わん。是非操られろ」

「うるさいぞシスコン、操られたらいの一番にレリーアにセクハラしてやるから覚悟しといてくれ」

「プックク……、そこはホリらしいわねェ」


 ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めたレリーアと俺の頭の上に手を置いてきたラヴィーニアの両名とフロウがそのまま食事を済ませて一足先に森へと向かった。

 どうやら以前に罠を仕掛けていたらしく、そちらに敵がいないかを見てくるらしい。


 二人と一匹だけでは危険、と数名が同行を申し出たが彼女達以外がいるといざという時に却って逃げる事が難しいという事なので、心配だがこのまま送り出すとしよう。


「充分に気を付けてね」

「フフッ、大丈夫よォ。ねェフロウ?」

「ええ、森で私が遅れを取る事はないわよ。それじゃ、行ってくるわねホリ」


 森と荒野の境目のところで合流、という事を了承したラヴィーニア達はそのまま歩き始めて行ってしまった。

 せめてカーリン達が二日酔いじゃなければ人員が増やせてもう少し安心できたのだけども……。


「それにしても厄介な相手ね、リューシィの話じゃ女には催眠の効果が薄いってだけでかからないっていう訳じゃないみたいだし、ティエリ、注意するのよ?」

「わかってますよボス! それに、ホリが操られたら私がガツン! ってやるし!」

「このハンマーの出番だよね!」


 死ぬだろそれという大きさのハンマーをぶんぶんと振り回しているフォニアや、それをみて見様見真似に振り回す仕草をしているティエリに腕を組んでうんうんと頷くレイ。


 どうやら絶対に操られてはいけない状況に追い込まれている。相手の術中に嵌るイコール死が訪れるという図式が完全に成り立っているし、そのレイ達の会話を聞いて、他のオーガ達も何やら気合を入れるように食事が終わった者から順に愛用している武器で素振りを始めだした。


「姫様の為に、我らの為に! いざという時は全力でホリ様を正気に戻すぞ!」

「ええ、容赦はしないわ! 大丈夫、ホリ様なら笑って許してくれるわ!」

「もっと! もっと抉るように振り下ろすのよ!! それじゃダメよ、躊躇ちゅうちょなくこう!!」

「殺す気か」


 凄まじい勢いで振り下ろされる鋭利な刃物を見てつい呟いてしまったがどうしよう、彼女達の信頼が辛い。

 気を取り直すように一度深呼吸をしてアリヤ達の様子を見てみると、彼女達はまた別のところで闘志を燃やしている。


「ホリ様カラ貰ッタ槍ノ仇、絶対トッテヤルンダ……!」

「アリヤノ剣、死ンデモ取リ返ス……!!」


 シーは二人の言葉を聞いた上で、スープを味わっているがおもむろに背中を一度触り、可愛い顔が歪むようにしてにやりと不敵な笑顔を浮かべた。

 以前に殴られた事をまだ覚えていて、根に持っているのだろう。もしかしたらあの三人の中で一番怒らせてはいけない子かもしれない……。これから気を付けよう。


「何だか、戦闘する気はないのに臨戦態勢すぎて怖いわ皆……。気合が入っているのは良い事かもしれないけど……」

「ある意味では、女の闘いという奴だ。ホリも痛い目に遭いたくなければ油断をするんじゃないぞ」

「ですがウォック様、これを機に敢えてホリ様に……」


 こちらの身を案じるように忠告をしてきたアナスタシアだったが、彼女の後ろからその部下のケンタウロスの女性達がひそひそと何かを話しかけている。


「……となったら、……してしまうのはどう……、ウォック様……」

「む……? だがそれは……」

「いやそこはむしろ……」


 女性陣の秘密の会話が怖い、聞くのも野暮だからペイトン達のところへ行って安心しよう。

「そうだホリ様、これを渡すかどうか悩んでいたのですが、いざという時の為にどうぞ。その、渡す事が躊躇ためらわれるのですが……」

「それは……? うっ、その重圧……、まさか……?」


 ペイトンが腰に下げていた小さな袋から出した真っ黒な球体、彼の掌からその内の一粒を摘まみ顔の近くに持ってくると、一瞬目が眩むように意識が飛んだ。既に途轍もないポテンシャルのような物を感じさせるな、これ。


「ええ……、申し上げにくいのですがペトラの新作です……。スライム殿との共同開発により、薬草が丸薬としても生まれてしまいました……。その効力は、この臭いからも察せられる程でして……」

「何という物を作り上げてるんだよペトラは……! ぽ、ポッドで試したのこれ?」


 ふるふると首を横に振り、俺の発言を否定するペイトン。

 どうやらまだ被害者はいないようだ。未知数の破壊力は身を以って味わえと? 無茶をいってくれるな。


「先程、出発の際に渡されたのです。『これなら持ち運びがしやすいでしょ』と笑顔で……。丁度今回参加している男性陣、全員分あるのでどうぞ……」

「私は結構ですよペイトン殿!」

「ペイトンさん私も遠慮しておきます!」

「今回は後方支援ですしな、それは不要ですよ!!」


 震える手を必死に抑えて周囲のオークに無理矢理渡していくペイトン。

 余ったらその分自分が実験台だもんな……。


「わかった、いらない分は俺が貰おう。ペトラの手腕に一番助けて貰っているのは間違いなく俺だし、俺以上にあの拠点にいる人員で『コレ』を活かせる奴はいないと断言できるしね」

「おぉっ、おぉっ……、ありがとうございますホリ様!」


 彼がこれ程取り乱すようにしてお礼を言ってくるなんて……、最近は特にペトラの薬草に頼っていた事もあって、彼女自身歯止めが利かなくなっている恐れがある。

 一度控えるように俺から伝えておこう……。


 それに、スライム君が携わっているのなら微かな希望として味は良いかもしれない! 今この場で試す勇気も余裕もないが、後でアリヤに飲んでもらって味の感想を貰うとするか。


「よ、よし。それじゃあそろそろ後片付けを済ませて行くとしようか。皆も手伝って、って……。悪いペイトン達、あの子らはもう完全に頭がラミアの巣に行ってしまったから大変だけど手伝ってくれる?」

「ええ、その為の我らですから。早速やってしまいましょう」


 見渡してもあちこちで武器を振り回したり、気合を込めるように叫んでいたり、赤い顔をしてひそひそと密談を交わしていたり……。


 とてもではないが話を聞いてくれそうにない女性陣は放っておいて、男性陣だけで後片付けを済ませて出発となった。


 その気合、戦意といった闘志は森で合流したラヴィーニア達が呆れるほどで、茂みから小さな物音がすれば即座に槍が投擲され、弩と弓が追撃をして、最後に魔法が撃ち込まれる事で茂み自体が無くなり、その茂みがあった場所から無残な死体が姿を見せる。

「チッ……、虫か……!」

「まぁ、ホリ様は虫がダメだからちょうどいいわ。どんどんいきましょう」

「ホリさん、どうしたの行くわよ?」


 左の手で大木を掴んで武器にしようとしているレイが呆然と茂みがあった場所を眺めていた俺の手を取り、目的地へとどんどん進んでいく。

 何だろう、もう戦闘になる気しかしない。


 痛む頭と眩暈が起きてしまいそうな意識を取り戻す為に、ペトラの新作の臭いを嗅いでみた。

 くぅ、こうかはばつぐんだ……。


 目的地まではあと少し、だがこれ程までに頭が痛くなるような状態でお宅訪問なんて想像していなかった俺は、絶対に操られる事のないようにと右腕で光り輝く腕輪を撫でながら神様へと縋るように祈りを捧げ続けていた。

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