第111話 姫様ポジション
目の前に忽然と現れた眉目麗しい女性達、キリッとした目鼻立ちや艶やかな髪、そして布のシャツ一枚、という薄着な上にその裾を結びあげ、上半身のボディラインがとてもセクシー。
ただどうしても気になり目が行ってしまうのはあの蛇のようなニョロニョロした足の部分、様々な模様が走った流れる尾を目で追うと腰の辺りには短いスカートを履いている。
そして気になるのはもう一点、瞳。
目の前の女性達の目の中には一本の縦の線が入っていて、個人によって黄色だったり赤だったりと色が違う。
中学二年生辺りの子が欲しがりそうな独特の瞳をつい観察してしまい、蛇の目ってこういう風になっているのかと息を漏らしてしまった。
それに人型の上半身にも体のあちこちや、チラ見えするオナカに所々鱗のような物があったり……。
前にいる女性達は威圧の意味を込めてこちらに鋭い視線と槍の穂先を向けていつでも戦闘になっても良いという状態で待機している。
八人のラミアが持つ八つの槍の切っ先、彼女達にぐるりと囲まれているから横から逃げる事もまず不可能だろう。それに彼女達は弓を持っていない、つまりそれはまだ見えない相手が複数いるという事。下手に動くと撃たれそうだ。
後ろには崖、そして崖下には流れが激しいと主張するように音を立てて流れていく川。
これ以上ないという程に追い込まれてしまった現状、こちらから話しかけると矢が射られるので話しかける事は出来ない……。そして相手から何かを言ってくるような事もないので川の濁流の音が俺達の間には響き続けている。
ペイトン達が戻ってくるまでの時間、どれだけの時間が必要なのかはわからないが、とにかくそれまで耐えねば……。
突如として沸いたセクシーな女性達と視線を交わし、横のアリヤやベル、シーの三名と相手に聞こえないようにか細い声で会話をしてペイトン達が戻ってくるまで時間を稼ぐという作戦を伝えると、彼等も強く頷いた。
「それにしても、もしこのまま戦闘になって川に落とされたりとかしないよね……、あの流れの激しい川に落ちたら流石にまずいでしょ……?」
「ホリ様、ドウシヨウ……」
普段こういった時は勇ましいゴブリン達にはいつもの覇気に何かが混じった複雑な表情を浮かべている。
「俺達ミンナ、泳ゲナイヨ……!?」
「うっそだろマジですか……?! 前に川で水浴びとかしてたって言ってなかったっけ……」
「水浴ビデソンナ深イトコロ行カナイシ……!?」
楽器は弾ける、でも泳げない。
むしろ逆だろそこは!! と言いたいところではあるが、泳げない物は仕方ない。
何とか穏便に、と考えているところで相手の陣の中心が割れ、こちらに音もなく進みこんできた者がいる。
他の女性達と同じ様にこれまた美人、顔立ちにも種族の特徴のような物が出るのだろうか? 気の強そうな目や鼻立ちもそうだが、緑のシャツを装い、腰には短いスカート。
長い金色の髪を首の横で一つに纏めるようにしていて、その髪と似た色合いの金色の尾を持つ女性は槍をこちらに向けて口を開いた。
「人族のオス、そしてゴブリン達。ここに何をしにきた?」
先程話しかけてきたのと同じ声の主。高圧的な目に睨まれ、小さな心臓を持つ身としては恐怖でタマヒュンをしてしまうのでやめて頂きたい。
「あー……、ここへは悪臭の原因を断ちに。こちらは貴方達と戦闘する気はないので、槍を下ろして貰えませんか?」
小さな舌打ちと共にこちらへ向けている槍に力が入る女性陣。
どうやらお気に召さない返答をしてしまい彼女達がじわりと前に進んだ事で、また槍がこちらへにじり寄ってくる。
「得体の知れない一団のいう事を信じろと? お前達がやっていた事は見ていたが、だからといって我らに危害を加えないという保証にはならない」
「ぐうっ」
ごもっとも! と叫びたくなるほどの正論を突きつけられ、思わずぐうの音が出てしまった。
映画のワンシーンのようにじわりじわりと槍の壁が迫ってくる。
「あーっとですね、このまま俺達は帰りますので道を開けてもらう事は出来ませんか? 勿論、金輪際立ち寄る事もしませんので」
「お前達をこのまま行かせて、次に大軍を率いてここへ襲撃に来ないという保証がない」
危ない危ない、ぐうの音を連発してしまうところだった。
更に近づく鈍い光、鋭い刃に目を奪われてしまう緊張感の中でゴブリン達が少しずつ陣形を取るように、そして俺を庇うように立ち位置を変えていく。
その様子の何が面白かったのか、槍を構えている内の数名がにたりと嗤い、更にその嘲笑のような物を浮かべていた内の一人が武器の切っ先を俺やゴブリン達に目標を変えて品定めをするように弄んでいる。
「シャミエ、もうやっちゃおうよ。どうせ生かして帰せないんだし」
「そうそう、この前亜人の群れ捕まえてオスや小間使いはいらないし、私ゴブリンきらーい!」
「アァッ!? コッチダッテモググ」
売り言葉に買い言葉。
そうなる矢先にシーが咄嗟に止めたがその動きでまた一つ警戒心を強めた相手は、再度舌打ちをしてまた一つ近寄ってきた。
彼女達の威圧によりじりじり下がっている内に俺やゴブリン達の後ろはもう音を轟かせている川が覗き込めてしまうような崖際。
いよいよまずいな、それにあの茶髪のラミアが言った『亜人の群れを捕まえた』っていうのも気になるところだが、そろそろ槍でお腹辺りをつんつんされてしまいそう。
何か状況を打破する糸口は、と思っていたが現実は残酷である。目の前のリーダー格の女性の口から無情な一言が発せられた。
「……そうだな、これ以上の下僕はいらない。わざわざ我々の存在を人族に知られたままにしておくなど、何があるかわからない。こいつらにはこのままここで死んでもらうとしよう。何故人族がゴブリンを引き連れているのか聞いておきたかったが……」
その発言に全力で抵抗をする意志を見せるアリヤ達に合わせて俺も剣を抜いた。
武器を構えた俺達、そして対峙する相手と。それとはまた別の団体がとうとうやってきてくれた事を知らせるように、遠くから多数の足音と叫び声がする。
「ホリ様ァー!!!」
救いのようなペイトンの声、だがそれ以上に救いがなかったのは相手の行動。
「うぐほぉっ」
俺達や周りを囲むラミア、この場にいる殆どの者がペイトン達の叫ぶ声に気をやる中で唯一、先程ゴブリンキライ発言をした茶髪のラミアが俺の腹を槍で抉りこんでいた。
追いやられていた崖際、更に意識がペイトン達へ向いていた事で不意をつかれ踏ん張ることが出来ず、体を後方に突き飛ばされた!
「あーれぇー!」
その後に襲ってくるのは下から込み上げてくる独特の感覚、浮遊感。
せめて崖に手が届けば、と必死に手を伸ばしたがそれも叶わず俺はそのまま川へ真っ逆さまに……。
落ちる! と脳裏に過ったその瞬間、そんな考えが掻き消されてしまうようにがしりと手首を強く掴まれた。
俺の手を掴んできたのはアリヤ、空へ放り出されてしまった俺へと咄嗟に飛び掛かるとそれに続いたベルがアリヤの足を掴み、そしてベルの両足を掴んだシーが踏ん張り、数珠つなぎのような連携プレーにより落下を防いでくれている。
「あ、アリヤ! 離して離して!! 全員落ちちゃうから!」
「ヤダ……、絶対ヤダ……ッ!!」
力強く俺の手首を握り締め、離す気概は一切見せないアリヤ、そして歯を食い縛っているゴブリン達、全員が気を抜いたら落ちてしまうような状況。
眼下には流れの激しい川、崖には取っ掛かりのような物がなく、状況を改善するにはアリヤ達の体を伝いよじ登るくらいしかない。
崖の上からは何かの叫び声と金属が打ち鳴らされる音、戦闘が繰り広げられているようだ。あの蛇共の注意がこちらに向く前に何とかせねば……。
「ウギギッ……!」
「三人共! これからよじ登るからもう少し我慢できる!?」
「ガ、頑張リマス……ッ!」
俺の叫びに歯を食い縛りながら何度も頷くアリヤとシー、そして返事を返すベルと状況を打破する為に動き出そうとした時、俺達の横からそれを嘲笑うように声をかけてきた奴がいる。
「ああ、無駄に頑張らなくていいから。それと、この綺麗な剣もらっとくね! ゴブリン如きが持っているには勿体ないし、もう死んじゃうからいいよねー?」
先程俺の腹をつんつんしてきた茶髪の女性、蛇のような下半身で壁を伝い俺達の横までやってくると、身動き一つ取れないアリヤの腰から剣を抜き放ち奪っていった。
「コノッ……! ソレアリヤノ!!」
「ふふ、泳げないんだっていうのはさっき聞こえてたよ? 私達は皆音には過敏だからね、それじゃあ四人纏めて川に落ちてさっさと死んじゃってね?」
アリヤの剣を奪った彼女はそのままにゅるにゅると壁面を登り、上まで辿り着くとそのままシーの背中を思い切り殴り飛ばした。
それでもそれに耐え手を離さず踏ん張り続けるシーを忌々し気に眺めると、その後数回殴り続けてそのまま川へ俺達を叩き落とした。
「アリヤ! ベル! シー! 三人共、お互いを離すなよ!!」
俺達は叫び声をそのままに、流れの速い激流に飲み込まれる。
着ていた服や、身に着けていた防具や武器などを川の流れの中で脱ぎ捨て、少しでも重量を軽くした後にアリヤ達を探す。流れの激しい川の勢いで視界が取れないがそれでも水面には見当たらない。
「アリヤ! ベル! シー! どこだ!? 返事をしてくれ!」
水の音に彼らの声は消され、その水の勢いに負けて彼らを見失ってしまった。それから数回叫んでも返事がない、もしかしたらアリヤ達は水中か!
一度息を吸い込み水中へと沈みこむがとにかく流れが激しくて目を開けていられない、それでも彼らの命が懸かっているのだから何とかせねば。
何度か水中へ行くと、ぼんやりとした灯りが見えた。
シーが腰につけていた魔石を使うランタンか!? と半ば決め打ちをしてそこへ水を掻いて進むと三人はがしりとお互いを離す事なく水の流れに身を任せていた。
既に意識を失ったように反応がないのに、それでも俺の言った事を守ってくれた彼らには頭が下がる。
沈み込んでから時間がそれなりに経ってしまっている、武器や防具のせいで浮かび上がれなかったのか? とにかく水面へ連れて行かないと! と彼らを掴んでみたが重い!
泳ぎは別に得意でも不得意でも何でもない、水泳普通レベルの俺じゃあ厳しいがどうにかしないと彼らが危ない、だが俺ももう息が苦しい、何か、何かないか!
助けを求めるようにアリヤ達を掴んでいるのとは逆の腕を鞄の中に入れて、考えている時に背中に何かがぶつかってアリヤ達を手放してしまった。
衝撃で息を漏らした事でまた一つ苦しくなって、いよいよまずいとなった時にそのぶつかってきたのであろう木片のような物を見て閃いた。
多分、多分アレならいける! あとはアリヤ達を……、と一度木片のおかげで冷静になれたので、水面まで戻りそのまま数回呼吸をして体に酸素を送り込んだ後にもう一度水中に潜り彼らを探す。
あまり距離が離れていない場所を彼らは固まって流されていたので、今度は絶対に離さないように思い切り抱き締めた。
もう彼らは何をしてもぐったりとしていて体から力は感じない。
だがそれでも互いを離すまいと腕だけはしっかりと握り合っているところを抱え込みそのまま左腕を鞄の口へと突っ込み、ある物を取り出した。
それは取り出した途端に浮力を生み出して俺達四人の重量を物ともせずにそのまま水面まで飛び跳ねるように浮き上がった。
蓋を締めておいてよかった、ありがとう空になった酒樽。これほど樽に感謝する事はこれからの人生でもないと思う。
最後の命綱を離すまいと、全力で彼らを抱えながら浮かび続ける樽の上へと押し上げる事に成功した。
「アリヤ! ベル! シー! 返事しろ! 大丈夫か!」
三人の反応はない、ぐったりと目を瞑り意識を失っている。
流石に水の中に居過ぎたか? 水の生み出す音に負けないように大きく何度も声をかけ、体を揺すっていると一人が意識を取り戻した。
「ンアッ……、ガハッ!」
「ベル! ベル! 大丈夫!?」
樽に身を任せるように乗っていると自覚をしていないベル、彼はぼんやりとこちらを見た後に異変に気付き、慌てるように周囲を確認して水を大きく被ると、そのままパニックに陥ってしまった。
「ホ、ホリ様ッ!? 水ガ、水ガ!! ウワッ!? 助ケテッ!!」
「ベル落ち着いて! この樽にしがみついてれば溺れないから!! アリヤとシーを絶対離すなよ!!」
必死に叫び、彼に落ち着くように声を張り上げていく。
激流の中へ飲み込まれそうになりながらも、パニック状態から落ち着いた彼は大きな返事と共にアリヤとシーを一層強く握り、樽に身を預けた。
「ベル! このままじゃ埒が明かない! 壁の方まで行って何とかよじ登るぞ! 手伝って!」
「ハイッ!!」
呼吸が苦しい、それでも樽のおかげで何とかなっているが今度はこの状況から少しでも早く抜け出さないとならない。
アリヤとシーの反応が全くないから、急がないと……。
「よし! ベル、いくぞ!」
「ハァイッ!」
泳げないながらもばしゃばしゃと足を掻き、樽を押すベルとその樽を引っ張る俺、流れに逆らう事は出来ないがそれでも少しずつ壁際に寄る事が出来た。
ベルと二人でまさに命懸けの水泳大会を開催していると、とうとう壁面まで手が届くような距離までやってこれたので、そこで鞄に手を入れ、一本のロープを取り出してベルに渡す。
「よし! ベル、これで俺とアリヤを結んでくれ! それ終わったらシーを掴んで俺に抱き着け! この川から抜け出すぞ!」
「任セテ! ヨッシャ、イイヨホリ様!」
手早く俺とアリヤを体に食い込む程に強く縛り上げ、大きな返事と共にシーを掴みながら首筋に抱き着いてきたベル。
タイミングを見計らって腕輪からツルハシを出して壁面に向かって振り抜くと、力の入らない状態でも深々と突き刺さったツルハシ。
神様に感謝をしておこう、不便な道具をありがとうと。意識をすれば出し入れが自由なのはこういう時にありがたい。
刺さったツルハシを頼りに必死に壁に取り付き、運よく左手の届くところに出っ張った部分があったのでそこを掴み、体が少しだけ水面から離れる事が出来た!
必死に俺の首に取りついているベル、そしてアリヤとシーの為にも急がねば。
「クソッ、あの蛇女ども絶対許さねえぞ!!」
「ボコボコニシテヤルゾー!! チクショー!!」
ベルと大声を張り上げて自分達を鼓舞しながら、今度は左手を支えにしてツルハシを少しでも高い位置に振り抜き体を持ち上げる。そしてまた左手で掴めるところを探し、少しでも取っ掛かりがあればそこを基点にまた右手のツルハシを振るう。
少しずつだが確実に壁面をよじ登り、あともう少しというところまでやってこれた。
「あうっ!」
「ウワッ!?」
必死に岩壁を掴んでいた左手、ここに来るまで爪を立てて全力で掴み続けてきた結果、爪がずるりと剥けるように剥げ、それにより指が血で滑ってしまった。
体勢を崩した結果、アリヤはロープで結んでいたので事なきを得たが、シーはベルが掴んでいただけ。
そのベルがシーの体を滑らせるように手を離してしまったのを咄嗟に捕まえた。
「うぐぐぐッ!!」
「ホリ様、ないすきゃっち!!」
毎日の土木作業という名の筋トレにより培われた筋肉は裏切らないのだろう。
咄嗟に滑り落ちたシーの足を掴み、落下を防ぐ事は出来たが、右腕一本で子供のような背丈三人分の体重と自分自身を支えるのはキツイ!
「べ、ベル急いで……ッ! これながくもたない……!!」
「ハイッ! モウ大丈夫!!」
しっかりとシーを俺の腕から受け取り体勢を立て直したベル、そして俺は一度壁に張り付いた状態で震えるように口から漏れる息を整える。
「よし、ベル行くぞ!」
「了解デスッ!」
今度はちゃんと岩の出っ張りを掴み、再度壁面にツルハシを振って刺し込んだ後に体を持ち上げてそのまま左手を伸ばすととうとう掌が地面に届いた! 最後に両手で崖の際を掴みベルに叫ぶ。
「ベル……、このまま一度上まで登れる……!? ごめん、腕が限界来ててこれ以上上がれない……!」
「ワカリマシタッ! ホリ様、モウチョイ頑張ッテ!!」
俺の肩に乗るような形を取ったベルが大きく叫んでまずはシーを崖の上へと半ば放り投げ、同じようにロープを解いたアリヤの服の襟首辺りを鷲掴みのようにして再度放り投げようとしている。
「ホリャアァッ!!」
「もうちょい丁寧にしてあげなさいよ……、いやいい判断かもしれないけど」
指先から肩に至るまで既に自分が今力を籠めているのかいないのかがわからない程に感覚が無くなってきている片腕を、上に登ったベルが掴んで引っ張り上げてきた。
小さい体とは言え、力はあるベル達ゴブリン。
すんなりととは言えないまでも彼の助けもあり、何とか這い上がる事が出来た。
平面の地面がこれ程にありがたい物だとは……、ありがとう地面!当分川なんて見たくない!
「アリヤ! シー!! 起キテ! 起キテヨ!!」
とにかく呼吸を整える為に寝そべっていると、悲鳴のような声を上げたベルがアリヤの体を揺すったりとしている。只事ではないその声に、体が反応してすぐさま彼に声をかけていた。
「どうした!?」
「アリヤトシーガ! 息シテナイデスッ!! アリヤ達死ンジャッタァッ!」
大きな声で泣き叫ぶベル、その彼が手を置いているアリヤとベルは確かにぴくりともしない。このままじゃマズイ!
「やるしかないな、ベル手伝え!!」
「ウワァァン! アリヤァァ! シィィ!!」
こちらの声が届いておらず、大きな声で涙をぼろぼろと流すベル。一分一秒の問題、彼の協力は不可欠だ!
ベルの頬を軽く叩き、パシンと音を立てて叫びを止める。
「いいかベル! アリヤ達の命は今お前の手に懸かっているんだ! 泣くのは全てが終わってからにしろ!! いいから手伝え!!」
「ウッ、グスッ……、ファイッ!!」
大泣きから一転、気丈に返事をくれたベルの服を思い切り捲り上げて耳を澄ませる。
大きく息を吐き、自身を落ち着けながら聞き耳を立てるとベルの胸元から聞こえてくる心臓の位置、多分人間と変わらないな。
確認が終わり、シーの腰にあるナイフを使ってアリヤとシーの服に切れ目を入れて思い切り引き裂いておく。
「ベルいいか! 俺はまずアリヤの方から人口呼吸をする! ベルはシーの頭をこうして、気道を確保するんだ!」
「アイッ!!」
表情はしっかりとしながらも、瞳からはぼろぼろと湧き出る泉のように涙を流すベルは、シーの頭を俺の指示通りにがっちりと固定した。
アリヤの胸の中からは微かに、だがしっかりとした鼓動の音がする。それでも口元に耳を立てても音がしないし、胸があまり動かないのは水でも入ったか? とりあえず呼吸をさせていかないと、時間がない!
小さな体を壊さないように慎重に、アリヤの鼻を摘まみ一度大きく呼吸を整えた。
「ごめんなアリヤ、これは人命救助だからノーカンな」
大きく、出来る限り大きく、アリヤの胸の挙動を見ながらマウストゥマウスで息を直接吹き込む。大きく一回、二回と続けて今度はシーへ。
「ベル、同じようにしてアリヤの方の頭を押さえて! あと、何か吐き出すかもしれないから頭を軽く横に向けるんだ! 出来るな!?」
「ヤルヨッ! 頑張リマスッ!!」
シーの方の胸の中からも鼓動の音はする。それでもアリヤの物よりも小さい音が気持ちを逸らせるが焦ってはいけない、下手をすればそれこそ命とりだ。
まず先程と同じように落ち着く意味も込めて呼吸を整えて、そのままシーにも人口呼吸をする。
小さな体のお腹の辺りが膨らむのを確認した時、彼の体がぶるりと反応を示してその奥から水を吐き出してきた。
咄嗟の事だったが、彼の顔を横に向けて口を繋いだまま吐き出してきた水をこちらへ移すために吸い出す。
「ゴハッ、ゴホッ、よし、シー頑張れ! もう少しだけ頑張れ!」
もう一度、彼の体の奥から吸い出すようにして水を掻き出した後息を吹き込む。
先程よりも量は少ないが、それでも彼が懸命に吐き出してきた水を吸い出し一度アリヤの方へ戻る。
「ベル! 交代だ! シーは一生懸命水を吐き出しているから、顔を横にして手伝ってやってくれ!」
「ハァイッ! シー、ガンバッテ!!」
同じ様にアリヤの胸の音を聞き、音を確認して呼吸を吹き込む。
二度、呼吸を吹き込んだ時にアリヤの体が少し揺れ、そのまま水を吐き出してきた。
「ガハッ! ゴホッ! アリヤいいぞ! 頑張って水を吐き出せ! 頑張ってくれ!」
アリヤの方も水は出した、もう少し、もう少しの筈!
「ベル交代だ! アリヤも水を吐き出し始めた、踏ん張るぞ!」
「了解デスッ!」
顔を軽く横に向けていたシー、口元からは水が垂れているのが確認できたので一度吐き出した水を吸いこみ、外へ吐き出す。
その後、もう一度息を吹き込むと今度は水ではなく空気が跳ね返されるようにこちらへ流れて、呼吸が出来た事を教えてくれた。
咳き込むような彼の声、だが息を吹き返してもまた吐き出した物が器官に詰まらないように体ごと横へ向けて……。
「ベル! シーが持ち直したぞ! 横にした状態で背中を擦ってやれ! 交代だ!」
「ワカリマシタ! シー、頑張ッテ!!」
ぼろぼろと涙を流しても励ます声を止めないベル、強い子だなと感心している場合ではない。アリヤの方ももう少し、もう少しの筈!
「アリヤ、頑張れよ! 死ぬんじゃないぞ!」
「アリヤ! シーモ頑張ッテルヨ! 負ケナイデッ!」
横でシーの背中をさすり大きく声を張り上げるベルの声を聞きながら、一度口内の水を吸い上げる。
そしてアリヤが吐き出した物を地面に吐き出し、一度彼の胸を見ながら息を吹き込むと膨らんだ後に大量の水が込みあがってきた。
咄嗟にそれを受け止め、そのまま地面に吐き出した後にアリヤの顔を横へ向けている時、アリヤも小さく体が揺れた。
「ゲホッ、エホッ、エフッ!」
「アリヤ! アリヤ大丈夫か!? 俺がわかるか?!」
ぼんやりと目を開けて、意識は朦朧としているアリヤだったがそれでも俺の声に小さく頷き口の中からだらだらと水を吐き出している。
一度それを吸い上げて、体を横向きにさせて再度ベルに声をかけた。
「よし! ベル交代だ! アリヤの方を頼んだぞ!」
「ハイッ!」
一度シーの様子を見てみると、口元からは多量の水を吐き出している。
後は……、体温を上げてやらないといけないか!?
「シー、ごめん! 後でいっぱい謝るからな!」
上半身を覆っていた布の服をナイフで切り裂き、鞄の中からありったけの布を持ち出して状態を確認すると、濡れているような事もない。
ホントにどういう原理なのか知らないが、心の底から感謝を魔王に捧げて鞄から出した布でシーを包み込み、一度口内の水を吸い出しておいた。
アリヤも同じように衣服を破り、新たな布で体を包みこみ水を吸い出しておく。
二人共口元に耳を近づければ呼吸音がちゃんと聞こえる、山を越える事は出来たがまだ安心してはいけない。冷えた体を温めないといけないから、焚き火だな!
鞄の中へ手を突っ込んだが木材が無い……。そういえば炭もない! 焚きつけ……、もないな!? ホントに何もないぞどうしよう……。
「あっ! 藁なら燃えるか!?」
設置するのを忘れていたけど、ラヴィーニアに作って貰った藁の道具をバラして一本燃やしてみると素材が乾いていた為かちりちりとすぐに燃え始めた。
これで何とかなりそうだ、木と言えば酒樽ならあるけどこれ燃えるか? これでダメだったらまた別の物を燃やしてでも火を起こそう。
鞄からいくつか鉱石を出してアリヤ達に程近い場所に火を起こしてみると、腕輪のピッケルでバラバラにしたワイン樽だった木片がちりちりと赤い光を生み出し熱を放ち始めた。よし、これで空気を送り続けて……。
流石に息を吐き出しているとくらくらしてきたな、それでもここが踏ん張りどころだ、倒れるのは全てが落ち着いてからでも出来る。
アリヤとシーの二名が煙を吸い込まないようにしてもう一枚布をかけて……、よし回復体位も取らせたしこれでいいな! 後は彼らが無事な事を祈るしかない。
濡れた体を抱きしめるようにして寒さを堪えているベル、それでもアリヤ達を思って視線を逸らさなかった彼に声をかけた。
「ベル、こっちへおいで。俺達に出来る事はもうないよ、アリヤ達を信じて待とうか。よく頑張ってくれたね、ありがとう」
「ハイッ、ハイ……ッ! ウゥッ」
必死に抑えていた感情がぶり返してきたのか、アリヤ達が息を吹き返した事に安堵したからか、ベルは感極まった様子で俺に抱き着くと大きな声で泣き叫ぶので頭を撫でて労おう。彼のおかげで最善は尽くせたと思いたい。
それからベルが落ち着くまで宥め続けていると、落ち着いてくれたが濡れたままは良くないな……。着替えも俺の分は何枚かあるけど、ベルの物はないから乾かしておこう。
ベルは落ち着いたら寒さを感じ始めたのか、体がより強く小刻みに震えている。
「今思えば相当冷たかったからなぁ水……、ベル服脱いで? それで乾かしておこう。あと体を包める布は一枚しかないから二人でくっついて温まっておくよ」
「エッ! イヤッ、アノッ!?」
余裕を取り戻したと思いきやまたも何か慌てる彼、流石にぼたぼたと水が滴っている状態では体温を奪われてしまう。
元気そうに見えるベルだが、彼だってアリヤ達と同じ目に遭っている。体へのダメージがあるのは当然だろう。
「ほれほればんざーい」
「アッ! アァッ!?」
彼の胸当てなどを外して服の裾を掴みそのまま一気に持ち上げるように脱がすと、彼は膝を抱えるように屈んでしまった。
うーん? まぁいいか。火もいい感じに木片に燃え移ったから問題はないだろう。
「ウワァッ!?」
「どうしたのベル? あんまり体力使うような事はしない方がいいよ」
俺も下に履いているズボンを脱ぎ去ると、膝を抱えてこちらを見ていたベルが大声を張り上げるが、とりあえず寒くて仕方ないので彼を後ろから抱え上げて火の傍に腰を下ろし、そのまま膝の上にベルを乗せた。
抱き締めるとわかるがやはり彼の体は思った以上に冷たい。体感的には俺よりも寒さを感じているだろう、こうしている今もガタガタと震え続けているし。
「これでよし、後は少し休憩しようね。寒くないかな?」
「ダ、大丈夫デスヨッ!」
布一枚に一緒に包まると何やらもぞもぞとやっているベル。どうしたのだろう? じんわりと温かくなってきたのに、と思っていたら布の隙間から彼が下に履いていた半ズボンを火の傍に放り投げた。
やはり寒いのだろうか? 彼はまだぷるぷると震えている。もう少し体を密着させて暖をとらないと彼の体が心配だ。
「ベル、さっきは叩いちゃってごめんね? 痛かったよね」
「大丈夫デス……、混乱シチャッテゴメンナサイ……」
彼の体を擦り、少しでも温まるようにとやっているが何か他に出来る事はないかな。
「お、そうだ。豆乳とワインがあるな……。ベル、どっちが飲みたい? ああ、勿論温めるからすぐには飲めないけど」
「ワインッテ、温メテイインデスカ?」
下から少し不思議そうな表情を浮かべてこちらを見上げてくる彼、宴会でもお酒飲んでるけど、こういう時に飲ませても大丈夫……かな? とりあえず体温を上げないとな。
「うん、寒い時に俺はたまに飲んでたよ。試しに飲んでみる? 体は寒い以外に不調はないかな?」
「ハイッ、飲ミマス! ソレニサッキヨリ暖カイデス!」
一度ベルを膝から降ろして布から抜け出し、アリヤとシーの様子を見たが少し水を吐き出しているので包んでいる布の余っている部分で口の中を拭っておいた。
「頑張れよ、二人共」
俺の声に反応するようにぴくりと体が動いたような気がしたが、取り敢えず大丈夫そうだ。呼吸もしっかりできている。
砕いたワイン樽の木片を火に足して、少しだけ入れておいたへそくりワインを火にかけておいた。あとは少し待てばいいかな?
「寒い寒い寒い!」
「アッ」
ベルから離れて、というより布一枚がないだけで夜風が体に襲い掛かる。
僅かな時間でも体が一気に冷めていくのがわかり、急いでベルの元へと戻り再度彼を抱きしめて暖をとると、震えのなくなったベルが回した腕を先程俺がしたようにさすってきた。
「ふぁー、暖かい。ありがとうベル」
「ア、アノ! ホリ様、ソレ擽ッタイデス……!」
すっぽりと胸の中へ収まる大きさのベルを抱え込むようにしながら深呼吸していたり、二人で寒さを堪えてアリヤ達の調子を見ているとワインが少し煮立つような温度になった。
「はい、最初はゆっくり飲むんだよ? 不調があったら飲むのは止める事ね?」
「ハイッ、大丈夫デス」
二人分、ベルはお試しにという事なので少な目にカップへ注ぎ、二人で布から頭だけを出した状態でホットワインを頂く。香りの強い、暖かい赤ワインが体の中を通り抜けるのが分かると一気に体が温まる感覚がやってきた。
「うーん、じんわり腹にくるなぁ……。あ、そうだ」
「ファァー……」
ホットワインをちびちびと飲みながら息を漏らしているベルを見ながら、びしょ濡れになった鞄から朝スライム君が持たせてくれたお菓子の入った袋を取り出した。
「これからどうなるかわからない、これでも食べて元気をつけておかないとね」
「ハイッ、頂キマス!」
袋の口を開くと、甘い香りが立ち上るように鼻に入ってきた。
ワインを入れた事でお腹も動き出したのか、小さく鳴ったので早速二人でスライム君の新作クッキーを頂いた。
「うわ、これんまいなぁ」
「甘クテオイシーデス……!」
これまでの疲れが取れるような柔らかい甘さ、そしてサクサクとした食感、空腹、様々な要因で俺とベルはあっという間に一袋を食べ切ってしまった。
少しではあるがお腹も満たされたし、大分体も温まる事が出来た。
そんな折にワインを一口飲み込んで大きな息を吐いたベルが一言呟いて頭をがくんと落としてしまった。
「槍……、無クシチャイマシタ……。大事ニシテキタノニ……」
「あぁ、あの槍かぁ。流石にあの川の流れだとどうなってるかわからないねぇ」
彼の呟きにそう返すと、温まった体の影響か一気に鼻息が荒くなり始めた彼は俺の腕の中で小刻みに体を揺らし、怒りを露わにしている。
「絶対アイツラボコボコニシテヤリマスヨ! 謝ッテキテモ許サナイ!!」
「そうだね、こんな目に遭わされたし流石に俺も腹立つよ。でも取り敢えず今は落ち着いてね? ベルだって疲れてるんだから、少しでも体を休めないと」
彼の体を抑えるように抱き締めると、徐々に静かになってくれた。
俺とベル、そして倒れた二人。
川に落ちた時に落としてしまった結果、武器はシーが持っていたナイフ一本と、所持している物は収納鞄のみ。
知らない森でしかも夜。先の事を考えると頭が痛くなるので、今は止めておこう。
「アレッ?」
「どうしたのベル?」
彼はアリヤとシーを眺めて声を出した。
何だろう? と釣られて俺もそちらを見てみると何だか彼らの体が動いている……? 何か異変でもあったのかと、ベルを抱え上げてそのままアリヤとシーの傍へ行くと小刻みに揺れている。
「寒いのか?! どうしよう、温めないと……」
「ホリ様違ウ、コレ違ウヨ!!」
抱き上げていたベル、腕の中で彼は興奮そのままに大きな声で叫んでいる。
一体何が……、と呆気に取られて事の成り行きを見守ると、アリヤの体が大きく跳ねた! そしてそれに続いてシーの体も!
二人共意識はないのに体のあちこちが跳ねるように動き続け、その動きに合わせるように骨がみしみしという音を立てている!?
「うわ、怖い怖い怖い怖い! なにこれ大丈夫なの!? ねえベル!?」
「大丈夫! 大丈夫ダヨ! ソレデモ何デ今ナノ……? 僕達アンナニ色々ヤッタノニ……、アッ!?」
バッ! と音を出すようにこちらへ勢いよく振り向いたベル。腕の中にいる彼の邪悪な顔が睨みつけるように俺を見ているのだが、あれ? 俺なんかしたかな?
「ソウカ……ッ! キッカケ……!」
「ベルどうしたの? 顔怖いし、なんか赤い……?」
只事ではない雰囲気のベル、その鬼気迫る邪悪な顔に圧倒されていると彼はがしりと俺の顔を掴み、一層強く睨みつけてきた。
「ホリ様、ゴメンネッ!!」
「なにんぐぅっ!?」
彼は俺に頭突きでもするように勢いよく顔をぶつけてきた。
がちんという歯の当たる音が知らせるのはベルがしてきた俺への口づけ。
咄嗟の事に反応出来る訳がないし、何しろ顔を掴む力が強ェっ!? 痛いほどに全力で掴まれ、その後体全体で抱き着いてきた彼の勢いに負けてそのまま押し倒されてしまった。
視界一杯にゴブリンの顔、この恐怖はいつか夢に見る。間違いない。
「ウグアァッァッ!!」
「ベル!? どうしたのベル!? 俺とチューして苦しみ出すとか失礼だろ!!」
物凄い力で俺の体を締めあげてくる彼の体、今異変が起きているアリヤ達と同じように骨の軋む音が鳴り響き続け、その音に苦しむような声を上げ続けるベルに声をかけるがとにかく力が強え!! 振り解けないんだがっ!?
「ベル!? ベル、大丈夫!? っておいおいおい!!」
「ウゥゥ……ッ、アガァッ!!」
先程のみしみしという軋む音がまた変わり、ベルからもアリヤ達からも今度は骨を矯正するようなごりごりとした音が鳴り響く。
彼等の体に異変が様子を変えると、俺を抱き締めているベルも、すぐ近くで休んでいるアリヤもシーも、体がでかくなってきている!?
「ウワァァァッアァァァァッ!!」
ベルが夜の森中に響き渡らせるような大きな叫び声をあげると、彼の体が激しく光り始めた?!
「うぉっ、眩しッ!!」
急転直下の展開に目をやられてしまった俺が顔を逸らして目を瞑ると、夜の闇を切り裂く光はそのまま暫く光り続けている。ぐぐっと力を籠めて瞑っていた瞼でも感じる強い光がその後、治まった事は目を瞑っていても確認できた。
彼の体が上げていた悲鳴のような物音も静まった、だが目は開ける事が出来ない。それは体が先に教えてくれた未知の恐怖、それは先程よりも明らかに増している重量により何が起きているか大体察せられるからだ。
どう考えても、コレはそういう事なのだろう……。
「ホリ様ッ……、ホリ様……」
ベルが上げた最後の叫び声で耳鳴りが起きている中で、その叫びを出した張本人のベルであろう声が聞こえてきた。
そして揺すられるような体の感覚、どんな事になっていても俺は現実を受け入れねばならない。
大きく深呼吸をして心を強く、決心が鈍らないように歯を食い縛って目を開ける!
「ホリ様ッ、大丈夫デスカ?」
とんでもない美少女と至近距離で見つめ合う。
あまりの現実離れした現象に最初に頭に浮かんだ疑問の言葉を止める事は俺には出来なかった。
「どちら様でしょう?」
美少女は、にこりと微笑み何も言わずに俺の投げかけた疑問に首を傾げた――
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