第83話 無慈悲な一撃

 長閑のどかな自然の中で朝の冷たい空気を味わう、これは異世界にやってきた時に贅沢だなと思ったものだ。だがやはりそういった自然にも慣れ、というかそういった物しかない場所で生活を送っているとむしろグスタールのような人里に行った時に味わう空間や待遇にありがたみを感じてしまう事もある。


 朝の食事を頂きながら実感する。一番の贅沢はこうしてどちらの方がより贅沢なのかを考えられる時間なんだろうなぁと。


「それじゃあ、飯もたっぷりと食べた事だし、そろそろ行くかー」

 デザートに果物まで出て、動くのも苦しいと言わんばかりに食べすぎてしまった我々は早々に荷物を纏め、馬車へと乗り込む。


 手際が良い、と思ったのはジーヌが二日酔いのようにして浮かない表情でテントから出てきたタイミングでもうそのテントの片付けを始めていたアレック君とクラリー。とても息のあったコンビネーションでテキパキとしたソレは、見ていて感嘆の息がつい漏れてしまうほどだった。


 我々が乗り込み、荷物の残しやゴミがないかを確認しているミリーが戻ってきて、馬車に乗り込んだところで出発となる。

「今日の感じなら、夕方にはホリさんの目的地につけると思うぞ? しかし、俺達はそのまま移動しちまうが本当にいいのか? あんなところに一人で……」


 手綱を握り、二頭の馬を操るジーヌがこちらへと視線を送ってきている。

「ええ、まぁ。何とかなると思いますよ、逃げ足の速さには少し自信がありますから」

「アッハッハ! ホリさんも結構いいガタイしてるのにねえ! でも、それが一番だろうね。私もこうしてクラリーがいるから安心しているけど、そうじゃなきゃおっかなくて逃げる事すら出来ないかもしれないよ」


 ミリーがお腹を押さえて大きく笑った後に、御者台のクラリーの肩へ手を乗せている。褒められていてむずがゆいと言わんばかりの表情で頭を掻く彼女の横で、同じく大きく笑っていたジーヌがこちらへと視線を向けてきた。


「まぁ、逃げるが勝ちだよな! 俺も戦うなら、銅貨や銀貨の枚数で戦いてえな!」

「フフ、その通りですよ。それに私の国の言葉で『生きているだけで丸儲け』って言葉がありましてね」


 俺がそう言うと、ジーヌが一際大きな声で笑いながら俺の方へ歯を見せるようにして笑顔を向けてくる。

「そりゃいい言葉だな! 俺もそれ、これから使わせてもらうかな!」

「それならホリさんも生きて無事に仲間に会えるように祈っとくぜ、アタシらが出来る事なんてそれだけだしな。昨日あまり寝られていないだろ? こっちの事は気にしなくていいから、休んでな」

 クラリーがそう言って、ジーヌ一家も頷き賛同してくれたのでお言葉に甘えるとしよう。


「ではすみませんが、少し休ませて貰いますね。何かあったら声をかけて下さい」

「おう、おやすみ」

「おやすみ、ホリさん」

「おやすみなさい」


 馬車の壁面へ寄りかかり、剣で抱えるようにして体をマントで包み、彼らの楽し気な会話を子守唄代わりに目を瞑っていると襲ってきていた睡魔に抗えるはずもなく意識が無くなる。


 次に彼らから声をかけられた時には今日の第一の目的地、しかも食事の準備まで出来ているというタイミング。

「おう、おはようホリさん。飯だ、飯!」

「おはようさん、よく休めたみたいだね」

 ジーヌとクラリーがそう声をかけてきて多少渇いていた喉で返事をしながら水を頂いた。


「すいません、随分と熟睡をしていたみたいで。何もお手伝いせず……」

「いいよいいよ、こっちはおかげで夜通し寝れた訳だしな。その分、今日のホリさんの目的地までは早くつけるぜ? かなり順調だったしな」


 それは朗報だな。こちらとしても少しでも山に近づいておきたいし、彼らも早くあの山から離れれば襲われる危険性も減るだろう。


「ホリさん、おはようございます。これ、お昼のスープ。先に渡しておきますね」


 アレック君が笑顔で木の器を持ってきてくれたので受け取り、お礼を言うと次はクラリーの分の器を持ってきたのだが。


 指先が触れてしまったのか、お互いが赤面しているように見えるのは気のせいだろうか? アレック君はわかる、いやクラリーさん……? 昨日も怪しいとは思っていましたがそれ確定ですよね。


 アレック君、早く大人になれるといいなぁ。

 スープを頂きながらそんな邪推した考えを俺から向けられているとは露とも思っていないアレック君は笑顔でクラリーと談笑している。

 アナスタシアの背にまたがって運ばれている時には味わえないであろうこの道中、彼女の背中も死を感じさせる速度を出さなければ快適なのだが、こちらもこちらで味わいのある旅路。


 ケンタウロスに運ばれた後は暫く休まないといけないからなぁ……、あとどうしても目の前で頑張って運んでくれている相手に遠慮して休めない。


「さぁて、飯もさっさと食べてホリさんの目的地まで急ぐとするか。時間は少しでも早いほうがいいだろうし、ここからもうすぐ行ったところだからな。ホリさんも荷物の忘れ物がないかだけは注意しといてくれよ」

「ありがとうございます、助かりますよ。何分土地勘が余りないので、時間があるに越した事はないと思いますし」


 とはいっても、目的地の山が大分はっきりと見えてきている。ここからでもあそこへ行くのに迷う事はないと思うのだが、こうして遠くから山をゆっくり眺めながら食事を頂いた事もなかったかもしれないな。


 周囲には似た様な高さの山もなく、地面から突然飛び出してきたようにも見える雄大な一枚岩。端が見えないほどの大きさのそれを見て嫌な事実を思い出してしまった。


 俺、あの拠点の正確な場所知らないじゃん……。


 頭をよぎったその事実を考えない事として、彼らと別れてからは一人。食える時にある程度は食っておこう。ばっちりと仮眠も出来たし、最悪今日は夜通し歩く覚悟でいてもいいな。


 今日もデザートに果物を頂き、何やらバナナのような物を出してきたミリー。一つ貰って手に取ってみても見た目はバナナ。

 皮を剥こうかと考えていたところ、クラリーもアレック君もそのまま丸齧りをしていたので真似をして齧ってみる。不思議な味だな、ヨーグルトにレモンを足したような甘味と酸味がクセになる。


 彼らとの最後の食事も楽しく終えられたので、またミリーが荷物の忘れ物やゴミがないかを確認して馬車が動き始めた。


 天気の崩れる様子もなく、順調にそれから暫く馬車の揺れに身を任せているとジーヌが声を掛けてきた。

「ホリさん、ようやく到着だ! 待たせたな」

「おお、早かったですね!」


 馬車から顔を出してみると、真正面と左手には木々が生い茂り獣道がひとつあった。彼らはこの獣道を目印に向きを変えて森から離れるので、いよいよお別れという事になり、一度馬車から降りて挨拶をお互いに済ませていた。



「……?」

「どうしたの? クラリーさん?」

 俺が降りる為に一時的に停止している馬車の御者台で座っていたクラリーが立ち上がって周囲を見渡している。そしてその彼女の異変に気付いたアレック君が声をかけて案じているが……。


「やべえ……、かなりの数に見られてる、と思う。ジーヌ、馬はどれくらいの時間全力で走れる?」


 短い間でしかないが、ここに来て初めて見せる彼女の強張こわばった表情、何かが切り替わったように視線を強めて俺達から少し離れた茂みを睨みつけ、そして彼女の纏う空気が変わるとアレック君やミリーが緊張した面持ちで息を吞むようにしている。


「どうだろうな、この時間になると流石にヘバってるから……、それでも今日の目的地までは全力でいけると思うぞ」


 俺と別れの握手をしていたジーヌ、彼は小さな声でそう返すとクラリーは視線をジーヌからまた森の茂みへと移して小さな声で返した。

「それなら問題は、どうやって逃げ出すか……。すぐに手を出してこないで観察しているってのは相当慎重な相手だ、逃げる素振りを見せた途端に襲い掛かってくるかもしれねえ」


 彼らはここより離れる算段をつけようとしているが、その未知の相手に作戦の立てようもないのだろう。舌打ちを小さくして頭を掻く様にしているクラリー。


「クラリーさん、相手は相当な人数がいるんですかね?」

「ああ、多分、としか言えねえけど数はいる。チラチラと感じるんだがどうしてだい?」

「それはだと思います?」


 大事な事を聞いてみる。

 彼女は俺の質問に怪訝な表情で首を捻っていたが、すぐに質問の意図を理解してくれたようだ。


「いや、それはない。この辺りは何かと物騒だ。もし野盗がいるならここの森じゃなく近くの街道で狙ってくる筈、あぁいう連中も命は惜しいだろうしね。多分あそこにいるのはだよ」

「そうですか。相手は慎重な奴らみたいですし、そうですね……」


 相手が人間じゃないのなら、まぁ仕方がないか。


 一度森の茂みに視線を送ってみても、俺にはまるでわからないが護衛の彼女が言っているのだから何かがいるのだろう。


「クラリーさん、ジーヌさん、俺がオトリになりましょう。全力で逃げる馬車と残った人間、慎重を期する相手なら恐らく狙いは俺に絞って来るでしょう。その間に貴方達は安全圏まで逃げて下さい」


 俺の発言に唖然としているジーヌ一家と、対照的に険しい顔をして口元に手を当てて何か考えているクラリー。


「ば、バカいっちゃいけねえよホリさん! こんな状況で一人残してなんていけるか!」

「そうだよ! ホリさん、アンタ死んじまうよ!?」

 ジーヌとミリーが声を荒げているが、口元に指を置いて静かにするようにというポーズを見せると少し落ち着いてくれた。


「クラリーさん。今優先すべきはジーヌさん達の命、そうですよね?」

 彼女へと視線を向けてそう問いかけると、険しい表情のまま静かに頷き俺の発言を肯定してくれる。


「ああ、それがアタシの仕事だからな。それに、そのやり方を取っていいのなら逃げられる可能性も高いと思う。こうしている今もただ見ているって事は何かの機を待っているんだろう。それでも、ホリさんを狙わずにこちらを狙ってくる可能性もあるが……」


 それもそうか、賭けみたいな物だし。

「そうですね、どちらも死ぬかもしれないしどちらも捕まるかもしれない。ただまぁ、相手の真っ只中を俺が歩いていったり、ここで警戒をしたりすればまた違うんじゃないですか?」

「そうだろうな、より確実にホリさんを狙うと思う。でもそれだとアンタは逃げられなくなるかもしれないぞ」


 彼女の考えも間違っていないんだろうなぁ。彼女が呟いた最後の一言に反応して、アレック君が恐怖からか悲痛な表情を浮かべ、涙を溜めて近くへと寄ってきたので彼の頭を撫でてみる、ふわっふわだな。


「ホリさん……」

「大丈夫だよアレック君。……クラリーさん、今は一番若いこの子の事を考えてあげましょう。彼が死ぬような事はあってはならないし、彼の両親と大事な人である貴方、三人は死んではいけない。ならこれが最良でしょう」


 流石に彼とクラリーさんの恋路がここで終わるのは神様も許さないだろう。何よりも俺が見たい、彼らのドラマの続きを。


「し、しかしよう……。ホリさん、アンタが死んじまうよ」

「大丈夫です、こういう時の為の道具もかなりありますから。それに先程も言いましたが、逃げ足には自信があるんですよ?」

 俺がそう返すと言葉を無くしてしまったジーヌ。歯を食い縛っているように見え、握っている拳が少し震えている。


 アレック君を抱き上げてクラリーの横の御者台へと乗せる。

「そうだ、アレック君。これ、次会う時まで預けておくよ。君達のこれからが無事なよう祈っておくね」

「これは……」

 鞄から出したのは昨日作ったナイフ。この会心の出来を拠点の皆に見せて、俺にもこれくらいのセンスはあるのだと披露出来ないのは少し悔しいが、彼の気を紛らわせてくれるのなら安い物だろう。


「昨日言ってたお守りのナイフ、今度返してね?」

「はい……、はいっ!」


 ああ……、どちらかというと彼の、歳の差を物ともしない愛が実を結ぶ事を祈ってしまいそうだが、ぐっと堪えておこう。涙を拭ってナイフを握りしめている彼の眼は力強い、大丈夫だ。


「クラリーさん、いいですね?」

「ああ、わかった。それならせめて……、おいミリー、少しでいいから食料……匂いの強い奴だ、出しな」

「え、ええ……」

 力強く頷いて指示を出したクラリー。その指示の元にミリーは香りの強い果物や赤みの強い肉をクラリーに渡すと、彼女はそれを小さな小袋へ詰め込みこちらへと渡してきた。


「少しでも食料を持っているって思わせりゃ、あっちも少なからず狙うかもしれねえ。ホリさん、生きてまた会えたら今回の話を肴に一杯飲もうや」

「いいですね。それじゃあジーヌさん、ミリーさん、アレック君、クラリーさん。ここまで運んで下さってありがとうございます。またグスタールで会えたら、オススメの商品を格安で譲ってください。いいですね、格安! ここ大事ですから!」


 そういうと涙を軽く拭い、くすりと小さく笑った彼ら。意を決したように少し表情が変わりこちらを見て頷いている。大丈夫そうだ。


「それじゃあクラリーさん、相手のいる場所、分かる範囲でいいので教えて貰えます? 貴方達が逃げて追うようなら何か妨害でもして援護するんで」

「わかった。大体場所は……、あの一本背が高い木の根元、それと向こうの獣道横の茂みの中だ。正確な数はわからねえ。……ホリさん、すまねえな」


 彼らは馬車の中と御者台に座り込み、ゆっくりと方向を変えている。

 クラリーの合図で飛び出していこうというつもりなのだろう、こちらも準備をしておこうかな? 使った事ないけど、弩でも出しておくか。シーに一度教わっておけばよかったなぁ。


「よし、いけジーヌ!!」

 強い風が吹きつけ目を軽く瞑ったタイミングで叫んだクラリー、彼女の声に端を発してジーヌの手綱の音が強く響き、駆け出した二頭の馬が全速力で走っていく。馬車の荷台の隙間や、御者台から向けられる視線に手を振り別れを済ませておく。


 森の中から何かが出てくる気配は……。

 幸運なのか不運なのかは別として、いない様子。どうやら狙いをこちらへと絞ってくれたようだ。そうして周りを警戒している内に、馬車は既に遠くまで行っている。


 別動隊がいるからかも、と考えてみたがそこまで手も回せないし、面倒も見切れない。クラリーがいるからまぁ何とかなるだろう。


 さてと、こちらは彼らとは別としてやらねばならない事がある。

 彼らが話せる魔族かどうか、まずはそこが問題だ。瘴気から生まれたゴブリンでしたって事になると面倒だな……、怖いし。


 そういえば、前にポッドが森で出会う魔族には注意しろって言ってたな。人間と見たら即殺されるからって。

 一応鉱石で頭だけでも覆っておくか? 致命傷は避けれるかも……。


 俺はクラリーが言っていた一本だけ背の高い木の根元、その周囲にある茂みの近くまで来てみた。ここまで来ても何かがいる気配はないが……。


「あー、魔族さん? もしいるなら出てきてくれると嬉しいんですがー? 誰かおられませんかー?」


 その茂みや、近くの茂みに向かって声を出しても反応はない。本当にいるのかは定かではないけど、この茂みの中へと入っていくのも嫌だなぁ。

 あんまり大っぴらに見せたくはなかったけど、ちょっとマントを使ってみるか。


 鬱蒼うっそうとした森の中、少しでも早く決着ケリをつけないといけない。何せ闇の中で相手の魔族がもし夜目が利くとなるとこちらには不利。そうなってしまう位ならマントで逃げ切ってから、後日仲間を連れてこの相手と接触をした方がいいだろうな。


 そうと決まれば、山のふもとまで突っ走るつもりでやるか。


 走る為に呼吸を整えていて気が付いた、確かに何かに見られていると思う。俺が急に体をほぐしたりと動きを見せた為に、警戒の色を強めたのだろうか?

 だがしかし、それでも相手がこちらへと襲い掛かってきたりする様子もない。


「山は……、あっちか。さて、相手がケンタウロスなら即座に捕まって痛い目に遭わされるかもしれないけど、やってみるかな」


 目的地への方向は見定めたので、最後に大きく息を吐き出して新鮮な空気を取り込んだ後、俺は全力で走り始めた。


 足元を何かに取られる訳にも行かないので、地面と正面とを常に気を配りながらとにかく周りを見渡す余裕もないまま全力疾走。まさに脱兎の如く森の中を突き進んでいく。


 耳から入る何か異質な音が聞こえても基本は無視。それに気を取られるよりかは相手の注意力と警戒が散漫になるまでこうして走り続けよう。


 暫く走っていて、息も大分切れてくる。一度頃合いかと木陰に身を潜めてマントへと魔力を注ぎ込むイメージ。これで相手が精霊だろうと気づかれる事はない、久々にお世話になります。

 そうして荒くなってしまった息を殺しながら、静かに呼吸を整えて周囲の警戒を始めた。


 身を潜ませて、どれくらいになったろう。時間としては余り経過はしていないと思うのだが大分息も落ち着いてきた。


 だが状況はかなり切迫しているかもしれない。

 俺が走ってきた道なき道にそびえ立つようにして生えていた木々がへし折られながら何かがこちらへ向かって来ている。


 最初の異変は地面から微かに伝わる地響き。

 地震でも起きたか? と思いながらも、以前にこの地で地震が起きる事は殆どないと聞かされていたのを思い出して、それは違うとわかった。


 そして次に聞こえてきたのは木々の倒れる音や、それらをへし折るような音、力強い足音が複数、辺り一帯に響き渡って森の静けさを打ち消した。


 その音は確実に俺のいた方、いる方へと近づいて来ていていくつもの足音が徐々に徐々にと多く、大きくなっている。


 今の内に喉を潤しておこう。ト・ルースが言っていたがもし相手がオーガの場合なら即座に逃げる。話し合いも無しで寝ずに拠点まで走ろう。


 体を隠しながら近くの大きな木のうろを見つけたが、こういった場所は却って見つかるかな? その近くの茂みの影に身を隠すか。


 響いてくる音の方角を確かめて意識を向けていると、割とすぐ横から話声が聞こえてきた。

「クソッ……、見失ってしまったか! 人族ならば何か薬を持っていたかもしれないのに!!」

「だからさっき言ったじゃないのー? 声をかけられた時に出て行けばよかったのにー」


 うるさいうるさい! と叫んでいる何かと、むくれるような声を出している何か。両者共に女性だろうか? 声から察するに……。

 マントの隙間から少しだけ覗き見ると、俺が先程隠れるか悩んだ木の洞を覗き込んでいる二つの頭。

 片方は髪が真っ黒な長髪を下ろしていて割と背も高い、もう片方はライトブラウンといった明るい茶色の髪色をしていて、それを頭の高い位置で纏めている。黒髪の女性より体格は少し小柄といったところか。


「こうなったら森に火を放つか……! それなら森から飛び出してくるだろ!? 名案だ!」

「やめた方がいいと思うよー? 私達の丸焼きが出来るだけじゃないのー。それなら今からでも叫んで返事を待った方がー」


 黒髪の女性が発した言葉にまたうるさい! と言って黙らせた茶髪の子。どうやら彼女達についていけば、この子達の仲間の元まで行けるかもしれない。

 悩みどころではあるが、一度場所を確認する意味も込めてこのまま後をつける……か? やってみるとしよう。


 そこから少しだけマントに隙間を作って視界を確保し、苛立つ茶髪の女性とそれをなだめる黒髪の女性の後方を、離されないギリギリの距離を保ちながら追いかける。


 勿論、映画などでよくあるワンシーン、木の枝を踏みぬいて気付かれるなんて間抜けな真似はしない。そして気付かれた結果、猫の鳴き声なんて出したらそれはもう死亡フラグだ、気を付けないと。


 彼女達を追いながら、気がつけば空が赤く染まり日が沈もうとしているのがわかる。こうしている時間で拠点へと向かえば良かったと若干の後悔も生まれてくるが、こうして彼女達を見つけたのも何かの縁かもしれない。


 彼女達の口振りから今向かっている先にいる仲間の、それも相当な数が怪我をしているようだし、何とか出来るならしてあげよう。抵抗されるだろうから難しいかもしれないけど。


 それから暫く歩いて、彼女達が拠点にしていると思われる場所へと辿り着いた。

 そこには十を優に超すテント、そして見渡すと様々な種族がいる事も確認できる。オークやリザードマン、それに……。


「牛の頭に、人間の体か……。まさかミノタウロスにこんな形で出会うとは……」

 その姿、ファンタジー好きなら見過ごす事も出来ない。

 自分達の野営地へと到着した彼女達、テントの中から現れたミノタウロスと話しているのだが、やはり茶髪の子が地団駄を踏みながら何やら揉めている。


 んー……!? んッ!? デカい! あの二人何とは言えないがデカッ!! ラヴィーニア程ではないがウタノハサイズを超えている!? これはじっくりと観察しないと、OPI一級技術者検定に落ちてしまいますねぇ……。


 観察を続けているが、彼女達の状況はかなり追い込まれているようだ。

 まずテントの中、風が吹く度にチラリと垣間見えるのは怪我人が横たわり、休んでいる姿。

 次に食料。食事の準備を始めていないのは何故だろうと思って一度テント傍まで行った際、目についた主な食料は腐った肉としなびれた野草しかなかった事。これでは怪我人には毒となるだろう。


 最後に武器や衣服。

 これならもういっそのこと木の棒で戦った方がいいのでは? と思える程に折れていたり曲がっている剣に歪んだ盾、血が落ち切っていない干された衣服もあちこちにほつれや穴があったりと。


 更にテントの傍では、すすり泣いているリザードマンや項垂うなだれているオーク。何よりもこの野営地全体を覆っているどんよりとした空気、怪我人には酷だろう。


 その時、あるテントから怒号のような声と共に中から何かが飛び出してきた。

「人間を逃がした!? お前達、揃いも揃って何やってるの!」

「ぼ、ボス、興奮するとまた血が……」

「もぉ、うるさいっ!!」


 中から出てきたのは二人、一人は顔を紅潮させるように興奮して叫び、テントの中へとその怒りの矛先をぶつけている茶髪の女性。

 そしてもう一人は、牛の顔と頭部から突き出ている角が立派なミノタウロス。


 ん……!? ボス……っていう事は彼女もミノタウロスなのかな? 顔立ちは少し垂れ目で瞳孔の色も黒い、人間としか見えない上に美人のふんわりとした髪型、だがその頭部には怒りをぶつけられているミノタウロスと同じように鋭い角と、よく見れば何やら忙しない尻尾のような物が……。


 そして、何がとは言わないが彼女もでかい、先程の子達より一際デカイ。なるほど、ボス。流石です、ボス! 

 ミノタウロス、牛……、牛かぁ……! ケンタウロス達の怒りの発言の数々を思い出しながら、先程の彼女達ももしかしたらミノタウロスに分類されるのかな。と呑気に考えていた。


 俺があれこれと観察している中で、ボスと呼ばれている女性が大きく叫ぶ。

「人間に見つかったとなればここもまずいかもしれない! 怪我人の様子を見ながら移動しましょう、支度して!!」

「し、しかしボス……」

「もぉっ! うるさいっ!!」


 一喝とはこういう物と言わんばかりに、それ以上反論を許さないよう大きく叫んだ彼女、そして大きく叫んだ代償に彼女はふらりと立ち眩みを起こして足元が覚束ない様子。


 騒ぎを聞いて、あちらこちらのテントから顔を覗かせてきている人数もかなりいるな。二十……、いやそれ以上かな? 寝たきりの怪我人も含めたらもっといるかもしれないな。

 無暗に動かれても困る、何より死者を出すのもよろしくない。


 こうするのが一番、かなあ……。


 思いついた案を実行する為に、痛い思いをするかもしれない事を危惧して覚悟を決めながら、大きく息を吐いて自分を落ち着かせる。


「移動をするのは待って欲しい、魔族の者達」

「誰ッ!?」


 俺が発した声に即座に反応し、テントの前にあった粗悪な剣を手にしたボスと呼ばれる女性。

 だがキョロキョロと辺りを見回している彼女とその横にいるミノタウロスや周りの者達は俺を捉える事が出来ていない様子。

 あれ、これ強キャラの登場っぽいな。いや中身ポンコツだから見栄を張っても意味はないけども。

「落ち着け、こちらに敵意はないからその武器をしまったら姿を見せる」

「何をォ……!?」


 彼女は音の在処からこちらの場所に検討を付けだしているので、定期的に移動を繰り返しておこう。見える位置に耳がある種族はわかりやすくていいなあ。それに猫人もそうだったけど、ある意味では感情表現が豊か。


「もう一度言うぞ、落ち着け。その武器をしまったら姿を見せて怪我人の面倒と食事を用意しよう。こちらへの敵意を下げるように周りの者にも言ってくれ」

「……っ、信用出来ない。何か信用に値する物でも見せてもらいたい」


 んー? 先程ジーヌ達に貰った食料でも投げ込んでおくか。あと匂いで場所がバレそうだからリザードマンから離れたところがいいな。


「今そこに食料を少し置いたから確認してみろ。あと、薬もある。ちょっと『刺激が強い』薬なんで、お子様には使えないが」


 周囲を見回して、腕に包帯を巻きつけているオークがそれを見つけて声を上げた。どうやらそれに気を取られたのか、敵意も少し消えたように思える。


「もう一度だけ言うぞ、武器を下げてくれ。そうしたら姿を見せるが、戦闘をする気もない。ただ貴方達に死んでもらいたくないというだけだ」


 ボスと呼ばれた女性は歪んだ剣をテントの入り口に置き直し、両手を軽く上げて武器を持っていないという仕草を見せてきた。

「わかった、こちらも何があっても戦闘はしない。仲間を助けてくれるとありがたい、頼む」

「わかった、任されよう。周囲の者も敵対する行為は避けて欲しい。何故なら俺は――」


 彼女達の前で身を包んで俺を守ってくれていたマントを解き放つようにしてはためかせた。


「人間だからな」

 不敵に笑いながら、マントを脱ぎ正体を現したと同時に軽くポーズを決めるようにしてそう言い放ってみたのだが……。あれ? やだ、俺かっこいい……!? 先程登場シーンを思いついて正解だったな! ファッサァマント、お前今最高にファッサァしてるよ!!


 そう浮かれていた矢先に、ずんっという音と鈍い痛みが体の中から響いてきた。

 視線を下ろすと後ろから薙ぎ払われたように剣が俺の体を抉っていて、後方からは楽し気な声がする。


「やった! やったぞロサナ! 見たか私の剣術!!」

「ティエリちゃん、剣術は見事かもしれないけど、やった事とタイミングは最低だと思うなー」


 主犯の顔を見る事は出来なかったが、声に聞き覚えがある。

 先程ここまで案内してくれた茶髪の子、そして黒髪の子の物だろう。


 楽し気な彼女達のおかげで、俺の登場シーンはうずくまるところからスタートしてしまった。悲しい。

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