奇跡の始まりはいつからだったか

I医師の診察①

 現在の息子の回復具合を見て、奇跡的、と称される事が時々あります。実際には、あれだけの量の薬を小さな身体で受け、凄まじい抗がん剤の副作用に耐え、厳しいリハビリに耐えた、日々の努力の賜物であり、傍で見ていた身としては、全くもって奇跡等ではない、と思うのですが、では、もし仮に、奇跡なのだとしたら、と考えてみたことがあります。命の危機に晒された息子の身に、奇跡が訪れたのは、何時だったのか。


 息子が言うように、そもそもアテロームを持って生まれた事が奇跡的に作用したのでしょうか。それも一因かも知れません。ですが、わたしは、たぶんあの時からだろう、と思う時が、いや、人との出会いがあります。


 息子の腫瘍治療には、大きな影響を及ぼした医師が二人います。そのうちの一人が、I医師です。この人物との出会いが、奇跡的回復の、初めの一歩だったとわたしは思っています。


 2017年11月16日。緊急入院の夜。わたしは病院に遅れて到着した為、後で知ったのですが、I医師は息子が救急救命病棟に運び込まれた時からずっと、息子の診察をしてくれていたそうです。到着したわたしにも挨拶をしてくれました。わたしよりも若そうな、越していたとしても30代になったばかりくらいの、人の良さそうな笑顔が印象的な方でした。


 わたしが到着した時には、既にI医師の他にも数人の医師が集まっていました。グループのパワーバランスがあるのか、I医師はその中でも少し後方にいて、他の医師と相談をしているました。彼らは皆、神経科の医師だと妻が教えてくれました。足に力が入らず、立ち上がる事も出来ない息子の症状を見て、まず神経に異常があるのではないか、と疑いが掛けられ、集められた方々でした。


 医師の方々は、息子に問診をしましたが、発熱のある息子は、はっきりとした受け答えは出来ませんでした。次いで、足にアルコール綿で触り、冷たさが分かるかどうか、触っているかいないかを問う形でテストして行きました。これも息子は曖昧にしか答えることが出来ませんでした。


 医師の皆様の間でも、かなり頭を悩ませている空気が伝わりました。これは何だろう、何が起こっているのだろう。そういう様子でした。


 問診と触診は続けられました。わたしが少し席を外したとき、神経科医達は結論に達したそうです。ある病気の名前を妻に伝え、その病気の疑いがあるので、最初の治療を始めて行こうと思う、と言われたそうです。


 ここで神経科医に伝えられた病名は、ギラン・バレー症候群の疑いでした。この病気については、わたしもWikipediaくらいの知識しかありませんが、確か、免疫抗体に異常が生じて、本来攻撃する必要のない、自分の神経等にも免疫反応を示して、全身の神経を弱らせ、最悪の場合は呼吸器等も神経で動かすことが出来なくなって死に至る、恐ろしい病気だったと記憶しています。ただ、ギラン・バレー症候群にはしっかりとした治療法が確立されていて、息子の場合は、反応がない部位が下肢に止まっている為、時間はかかっても、また自分の意思で動かすことが出来るようになり、従来の生活を取り戻すことも出来るでしょう、という説明があったそうです。


 わたしも妻も、同行してくれた妻の母も、胸を撫で下ろしました。大変な事になったけれど、解決策が見つかって良かった。後は全快するまで付き添えばいいだけだね、そんな風に話したように思います。


 神経科の医師はI医師も含めて五人いました。病気におおよその疑いを付けられたことで、それぞれ準備があるのか、救命病棟を出ていきました。ただ、I医師だけが、息子の傍に残っていたのです。

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