3‐28.恋花火(side 麻衣子)

 高校生活最後の夏休みが始まって早いもので2週間が過ぎた8月4日。今夜は加藤麻衣子の自宅に高校の友人の香道なぎさと寺沢莉央の二人が泊まりに来ていた。


午後10時から人気俳優の一ノ瀬蓮主演の連続ドラマが放送される。麻衣子の部屋のテレビの前に三人並んで、テレビをつけた。


「きゃー! 一ノ瀬蓮は今日もかっこいい!」


一ノ瀬蓮のファンのなぎさはテレビに映る彼を観てご満悦だ。


「一ノ瀬蓮って9月に写真集出すんだね。アメリカで写真集の撮影したって書いてある」


CM途中に莉央が雑誌の広告ページを開いてなぎさと麻衣子に見せた。ページには一ノ瀬蓮の写真集の宣伝広告が載っていた。


「うん! もう予約した」

「さすがだねぇ」

「私も買おうかなー」


 莉央が持つ〈シェリ〉という名前の雑誌は十代から二十代女性に人気のあるファッション誌だ。今月号の表紙はシェリトップモデルの本庄玲夏ほんじょう れいか。彼女は青い海を背景にして白のマキシドレスを着て笑顔で表紙を飾っている。

表紙には大きく、本庄玲夏シェリ卒業! の文字が綴られていた。


「本庄玲夏、シェリ卒業しちゃうんだね」

「ねぇー。モデル辞めちゃうの勿体ない気もするけどテレビで見れるの楽しみ」


莉央がめくったページは本庄玲夏の卒業特集ページだった。人気モデルの卒業とあって、卒業インタビューや彼女のモデルとしての軌跡など特集ページは6ページもある。


「本庄玲夏って前に一ノ瀬蓮と付き合ってるって噂があったけど、本当はどうなんだろうね」

「同じ所属事務所だから二人が仲良いのは有名だよ。でも一ノ瀬蓮はアイドルの水瀬しぐれと付き合ってるって聞いたよ。私としては水瀬しぐれよりも本庄玲夏との方がお似合いだからそっちとくっついて欲しかったなぁ」


 一ノ瀬蓮のファンだけあり、なぎさは彼の情報に詳しい。

水瀬しぐれは男性人気はあっても女性人気は今一つのアイドルだ。女性支持の高い本庄玲夏が相手ならば一ノ瀬蓮の熱愛スキャンダルも好印象に映る。

恋愛するならば自分が好きな芸能人同士でして欲しいと望んでしまう。ファンとは勝手なものだ。


 一ノ瀬蓮のドラマがエンディングを迎えたところで莉央がトイレに立った。ベッドに体育座りする麻衣子の横になぎさが腰かける。

三人はお揃いのパジャマを着ていた。渋谷109で購入したパジャマは麻衣子がラベンダーベースに白のハート模様、なぎさがピンクベースに赤のハート、莉央が白ベースに青のハート模様の色違いだ。


「莉央って彼氏いるのかな?」

「え?」

「さっき、莉央がお風呂から出てきた時にね、莉央のここに赤いアザって言うか跡みたいなものがあって、あれは多分キスマークだよ」


なぎさはパジャマの襟を少しめくって自分の鎖骨を指差した。


「間違いないの?」

「うーん。もしかしたら虫刺されかもしれないけど……私も付けられたことあるから、キスマークってあんな感じだったんだよね」


なぎさには付き合っている他校の彼氏がいる。なぎさはもう処女ではない。

麻衣子はキスマークがどんなものか見たことはないが、経験者のなぎさがキスマークだと判断するのなら間違いのかもしれない。


「でも今日の莉央は鎖骨が隠せるような襟つきのワンピース着てたでしょ?」

「そう言えばそうだね。だけど莉央って男の子苦手そうじゃない?」

「そこなんだよね。だから引っかかるって言うか……莉央は自分のことは話したがらないから無理には聞かないけどね」

「そうだね。莉央がもし何か言ってきたらみゃんと聞いてあげよ。莉央ってたまにすごく悲しい顔してるから」

「きっと私達には言えないことがあるのかもね」


 莉央のことはなぎさが誰よりも理解している。クラスに馴染めずにひとりでいた莉央に声をかけ、莉央とクラスメートの仲を繋いだのはなぎさだ。

莉央もなぎさには誰よりも信頼を置いている。そのなぎさでさえ、踏み込めない領域がある。


 お泊まり会から2日後の8月6日。幼なじみの木村隼人の家で毎年恒例のスイカ割り&花火パーティーが開催される日だ。


 スイカ割り大会は先ほど行い、花火パーティーの開始は夕方から。

麻衣子はイベントが始まるまでもうひとりの幼なじみの渡辺亮と共に隼人の自室で夏休みの課題を片付けていた。


せっかくの機会だ。こういうことはその手の事情に精通している男に聞くのが一番だと思った麻衣子は隼人と亮を交互に見た。


「キスマークってどうやって付けるの?」

『……は?』


二人同時にすっとんきょうな声を出して隼人と亮は動きを止めた。室内に妙な静寂が訪れる。


「何よ? 二人して変な顔しちゃって」

『麻衣子……お前、ついに?』

『ええっ? おい、相手は? いつ? ホントなのかっ?』


隼人はじっと麻衣子を見据え、亮は慌てふためいている。


「だからなんでそうなるのよ。もういい。あんた達に聞いた私が馬鹿でした」


 男子高校生の頭の中を躊躇なくさらけ出すこの幼なじみ二人に年々ついていけなくなっている。麻衣子は大袈裟に肩をすくめた。


『待て待て。勝手に話を終わらせるな。お前がキスマーク付けられたってことじゃないんだな?』

「当たり前でしょ」

『なんだ。じゃあまだ処女か』

「だからそんな話じゃなくて……」

『あー! よかった! 麻衣子ー。びびらせんなよ……』


 冷静に話を進める隼人と焦ったり騒いだりと忙しい亮。亮のように焦ったりしていない隼人を憎らしく思う。


『それならどうしてキスマークのことを聞く?』


隼人が真剣な眼差しでこちらを見てくる。隼人は麻衣子がこうされると弱いと確信犯でやっているのだ。ますます憎らしい。


「友達に莉央って子がいるんだけど、その子のここに小さな赤いアザみたいなものがあって」


麻衣子は自分の鎖骨の辺りを指差した。なぎさにキスマークの話を聞いた翌朝、着替えをする莉央の鎖骨に付いたそれを麻衣子も見つけてしまった。


『それはキスマークだな』


隼人が即答する。そんなにあっさり答えられると身も蓋もない。


「キスマークがあるってことは、あの、その……」

『その? 何だよ。言いたいことはハッキリ言えよ? 麻衣子ちゃん」


その先を恥ずかしがって言えない麻衣子を隼人はからかって愉しんでいる。隼人のこと余裕ぶった態度が腹が立つ。


(ムカつくー! 隼人の大魔王! 帝王! サド!)


『試しに俺が付けてやろうか?』

「付けるって……」


 腰を浮かせた隼人が麻衣子に近付く。麻衣子の目には隼人から無駄にフェロモンが駄々もれしているように見えた。

一ノ瀬蓮の写真集の広告ページに上半身裸でベッドに寝そべる一ノ瀬蓮の写真のカットがあったが、上半身裸の一ノ瀬蓮に負けず劣らずのフェロモンが隼人にはある。


(隼人のその無駄な色気はなんなのよ! あんた本当に高校生かっ?)


 隼人に肩を掴まれて押し倒された。世界が逆転して目の前には明るい天井と含み笑いをする隼人の顔。


『これくらいで赤くなって、麻衣子は可愛いな』


これは明らかに魔王の微笑みだ。麻衣子の心臓は歴代最高速度で動いている。


『キスマークどこに付けて欲しい?』


 耳元で囁かれた隼人の声にゾクゾクとした高揚が沸き上がる。すぐ近くに感じる隼人の息遣い、隼人の香り、隼人の体温。

このままでは隼人を好きな気持ちが抑えられなくなる。


(ねぇ、私……隼人のことが……)


 危うく口から出そうになった告白の言葉は頭上から聞こえた鈍い音で塞がれた。


『……いってぇーっ!』


 麻衣子の上から退いた隼人が頭を押さえている。その隣では空のペットボトルを持った亮が膨れっ面で立っていた。


『バーカ。悪のりし過ぎだ』

『おい亮! 手加減しろよ』

『うるせー、エロ帝王』


亮がペットボトルで隼人の頭を一撃したことで麻衣子の貞操は危機一髪、守られた。


 だけどもう少しだけ、あのままでいたかった。いや、やはりもういい。

隼人のの顔は見たくない。隼人がどんな風に自分以外の女に触れているのか知りたくもない。

自分の知らない男になった隼人を見たくなかった。


 夕涼みに隼人の家の庭先でスイカ割りで割ったスイカを皆で食べた。冷蔵庫で冷やしたスイカは冷たくて、美味しかった。

それから流しそうめんが始まり、木村家、加藤家、渡辺家の大人達は晩酌タイム、子供達は花火に興じる。

線香花火をする麻衣子の隣に隼人が並んだ。


『さっきの話だけど友達がキスマーク付けてたってそんなに気にするものでもないだろ。彼氏持ちなら変じゃねぇし』

「莉央に彼氏がいるって聞いたことないの。それに莉央は男の子苦手そうだったから不思議で……」

『へぇ。でも男嫌いでも彼氏はできるんじゃねぇの? 友達にナイショで付き合うのもありがちな話だ』


 隼人はいつもさりげなく気遣ってフォローしてくれる。彼の片手が麻衣子の頭に触れた。

優しく頭を撫でられてまた心臓が騒ぎだす。


(隼人はずるいよ。私のこと幼なじみとしか思ってないくせに気遣ったり頭撫でたり、ドキドキさせることばっかりする)


 好きな気持ちは強まる一方。たとえこの恋が報われなくても。


お願い、まだ貴方を好きでいさせて。

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